「レヴィナス」とその思想を解説!『全体性と無限』や名言も紹介

「レヴィナス」は、第二次大戦後のヨーロッパを代表するユダヤ人の哲学者です。ホロコーストを生き延びた思想家として独自の倫理を打ち立て、世界各国に影響を与えました。この記事では、レヴィナスの思想の概要と、著書や名言を紹介します。



「レヴィナス」とその思想とは?

「レヴィナス」はホロコーストを生き延びた二十世紀を代表する哲学者

エマニュエル・レヴィナス(1906年~1995年)は、当時はロシア帝国領だった現在のリトアニアに生まれたユダヤ人の思想家です。フッサールなど多くの教師のもとで哲学を学び、ハイデガーを研究しました。戦後のフランスにおいて現象学と実存主義の基礎を築き、サルトルやデリダなど、多くの哲学者や思想家にに影響を与えました。

一方でレヴィナスは、幼い頃からユダヤ教の文献に親しみ、戦後にはユダヤ教の聖典タルムードの師としてシュシャーニに出会い、ユダヤ教の宗教観を哲学に融合させるという独自の道を切り開きました。レヴィナスはタルムードの研究でも知られています。

レヴィナスは第二次世界大戦中にドイツの捕虜収容所に収容されますが、フランス国籍を取得しフランス正規軍に属していたため、人道的措置により生き延びることができました。しかし、妻子をのぞく、ほとんどすべての親族はドイツ軍によって虐殺されました。レヴィナスが過酷な運命を生き延びたことは、他者に対する責任を追及した彼の倫理哲学に大きな影響を与えています。

「人は何のために生きるのか」を徹底的に考え抜いた

人間は生まれて子どもを産み、老いて死ぬ生きものとしての存在者ですが、レヴィナスは人は何のために生きるのかを徹底的に考え抜いた哲学者だといえます。レヴィナスは自殺を否定し、また人間が老化して死ぬということが他者のためであるとし、共同して生きることは幸せなことだと論じました。

フッサールの「現象学」とハイデガーの「存在論」から出発した

レヴィナスはフッサールの現象学と、ハイデガーの存在論の批判的な哲学論から哲学のキャリアをスタートさせました。また思索の相手として両者を選び、生涯をかけた終わりなき対話を続けました。

レヴィナスは、ハイデガーの『存在と時間』を称賛しながら、批判的に論じています。ハイデガーが「人間は存在するのではなく、そこに存在する」ということを示した「世界内存在」の概念を、レヴィナスは「人間は存在するのではなく、その隙間に存在する」としてユダヤ教の「始原の遅れ」の概念で語りました。

レヴィナスの用いる独特なキーワードはユダヤ教からもたらされたものも多く、さまざまな新しい語法を確立しました。またそのことが、読み解くことが難しいレヴィナスの難解なテキストをさらに複雑にさせているといえます。

また、レヴィナスのハイデガーへの批判には敬意が含まれていましたが、ハイデガーとナチスとの関わりについては許すことができないと述べ、厳しく非難しました。

「顔」とは「他者が私と対面する状況」を表す

レヴィナスの独自の術語のなかでも、特に「顔」というキーワードが頻出します。「顔は他者のたしかなあらわれである。他者の顔はわれわれに共通でありうる世界と絶縁している」などと、顔という言葉で他性の問題を表しました。

顔とは、他者と私が対面する状況を表すものです。顔は呼びかけ、問われる出来事を表したもので、レヴィナスの他者論を支えるキーワードです。

デリダは『暴力と形而上学』においてレヴィナスを批判した

デリダは論文『暴力と形而上学』において、レヴィナスの純粋な他者の倫理を批判しました。その一方で、デリダはレヴィナスの西洋哲学批判には共鳴しています。デリダの批判は、レヴィナスが扱った「暴力」と「形而上学」の意味を解釈する上において、大きな影響を与えました。

「レヴィナス」の主著と名言を紹介

レヴィナスの著書は多数ありますが、その中から主著の2冊を紹介します。あわせて、著書の中から名言も紹介します。

『全体性と無限』1961年

レヴィナスの主著である『全体性と無限』では、自らの哲学的構想をはじめて体系的に論じました。伝統的なヨーロッパ哲学を支配する全体性を批判し、無限の主体性を思考しました。

「全体性」とは、主体の個体性をのみ込む暴力を意味します。全体性の暴力に抗する手段として「無限」という外部を設定します。人間は国家などの全体性に飲み込まれて主体性を失い、破壊されてしまうため、他者へ暴力をふるいます。レヴィナスは、全体性の暴力から逃れ、離脱する主体を打ち立てようと試みました。

『存在の彼方へ』1974年

『存在の彼方へ』は、レヴィナスの第二の主著です。正式なタイトルは『存在するとはべつのしかたで あるいは存在することの彼方へ』という異彩を放つもので、前期思想とは連続する部分と断絶する部分があります。

前期に見い出した主体の下に、壊れる主体を発見していくもので、精神疾患の可能性から出発する特異な哲学が語られます。自己とは、私の同一性の破損あるいは敗北である、さらに、私の好みとはなんのかかわりもなく「老いる」という意味で、「生とは、生に反する生なのである」と述べました。

レヴィナスの「名言」

ひとは存在するのではない。ひとはみずからを存在する。

疲れるとは、存在することに疲れてしまうことである。

希望は、それが許されないときにはじめて希望となる。

人間とは何か。それは一個の存在者であるためには一つでありつつ二つであるということである。より端的に言えば、意識を持つこと、自由であることである。

まとめ

レヴィナスは、ナチス政権のユダヤ人弾圧を生き延びたことの「罪」を背負い、人は何のために生きるのか、平和とは何かを過剰なまでに考え抜きました。そのテキストは晦渋をきわめ、研究者によって解釈が大きく異なります。

レヴィナスの翻訳と研究で知られる内田樹氏は、レヴィナスの言葉がほんとうはどいういう意味なのか、通り一遍の了解に至ることはできず、読者のニーズにおいていろいろな読み方ができると述べています。

レヴィナス入門書はたくさん出版されていますが、内田氏がレヴィナスについて個人的考察を収めたとする『レヴィナスと愛の現象学』は、レヴィナスがそう語っているように聞こえたことを、できるだけ自分自身の言葉で言い換えようと試みたと著者があとがきで述べているとおり、レヴィナスの読み方指南の本としても読むことができます。レヴィナスの思考の端緒をつかみたい人におすすめです。

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趣味は読書とヨーロッパ旅行です。ドイツには5年余り滞在経験があります。某大学の人間科学部とデザイン学部を卒業。人生が豊かになる知識の探索を人生の糧にしています。