「聖遺物」とは何か?「聖杯」「イバラの冠」紹介や造られた理由も

ヨーロッパの大聖堂や教会で、豪華な装飾の箱に入れられた「聖遺物(せいいぶつ)」に出会うことがあります。時にはガラスケースに入った人の骨が展示されていることもあり、戸惑ったことがある人もいるのではないでしょうか?

この記事では、キリスト教の聖遺物とは何なのかを解説します。重要な「イバラの冠」や「聖十字架」、物語のテーマにもなる「聖杯」などについても紹介します。

「聖遺物(英語:Sacred relics)」とは?

「聖遺物」とは”キリストの遺品など信仰の対象物”

「聖遺物」とは、キリスト教のカトリック教会において、キリストや聖母マリアの遺品、聖人の体の一部や遺品などのことです。聖遺物に触れたり、拝んだりすることで、病気を癒したり、神秘的な力によって奇跡が起きると信じられました。

また聖遺物を所有する国や教会は、その重要度に応じて権威が高まりました。

「キリストの受難の十字架」などが主な聖遺物

聖遺物で重要なものは、キリストにまつわるものですが、イエス・キリストおよび聖母マリアは天に昇ったとされるため、遺骸はありません。そのため、キリストの受難にかかわる十字架などが、もっとも重要な聖遺物です。

「聖遺物」は祭儀などに用いられる

聖遺物は聖遺物容器に収められて保管され、祭儀などで用いられます。その容器は、例えば聖遺物が手であれば手の形をとるなど、聖遺物と同じ形態をとることもあり、宝石や金などで豪華に装飾されており、キリスト教美術の重要な工芸品でもあります。

キリスト教の重要な「聖遺物」を紹介

伝説が伝わる「最後の晩餐の聖杯」

最後の晩餐に使われたとされる杯も聖遺物として重要なものです。この聖杯については、聖杯を探すさまざまな伝説が物語として伝えられており、「聖杯伝説」が生まれています。物語によっては、聖杯はキリストの血筋を示す比喩として用いられることもあります。

実際に聖杯だと信じられているものはいくつかが存在し、ジェノヴァ大聖堂や、バレンシア大聖堂などが所有しています。

ノートル・ダム大聖堂が所蔵する「イバラの冠」

キリストが処刑されたときにかむっていた「イバラの冠」は、パリのノートル・ダム大聖堂が所蔵しています。2019年4月に発生した大聖堂の火災の際には、持ち出されて無事でした。

「イバラの冠」は、敬虔なキリスト教徒で芸術の保護者であった、13世紀のフランス国王ルイ9世が高額で購入したものですが、売ったヴェネツィアは、コンスタンティノープルから略奪していたのでした。

分割されて各地の教会が所蔵する「聖十字架」

最も重要な聖遺物である、キリストの磔刑に使われた十字架は、伝説によれば3世紀の初めにコンスタンティヌス帝の母ヘレナがエルサレムに赴き、ゴルゴタの丘を発掘させて、釘やイバラの冠などとともに発見したとされます。

ヘレナはその場所に聖墳墓教会を建て、十字架の一部はそこに残し、一部をコンスタンティノープルに持ち帰りました。ヘレナがなきあとは、細かく分割されて各地の教会にちらばりました。

ケルン大聖堂が所蔵する「東方の三博士の聖遺物」

ドイツ・ケルン大聖堂の聖域奥には、黄金の装飾が施された黄金の箱に入れられた、東方の三博士の聖遺物容器が置かれています。

東方の三博士とは、救世主であるイエスが生まれたことを天体の観測によって知り、ペルシアからイエスを拝みにやってきたと聖書に記載されている三人の博士のことで、キリスト生誕にまつわる絵画の主題として取り上げられることが多い逸話、もしくは実話です。

ローマ皇帝コンスタンチヌスの母ヘレナが命じた発掘調査の際に、十字架とともに三人の遺骸も発見したとされ、コンスタンティノープルに持ち帰ります。のちにミラノ司教のもとにわたり、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ一世が、ミラノを占領した1162年に戦利品として奪ってケルンに運びました。

サン・ピエトロ大聖堂の「聖ペテロの聖遺物」

キリストの弟子である十二使徒の聖遺物も重要です。バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂には、最初の弟子となった使徒ペテロの遺骨が祭られています。聖堂はペトロの墓と伝えられる場所の上に大聖堂は建てられました。ミケランジェロが設計したドームを持つ巨大な大聖堂の中には、ベルニーニが教会の権威を具現化した豪華な天蓋がペテロの墓を守っています。

「聖遺物」が造られた理由とは?

「聖遺物」は”聖人信仰”のために必要だった

カトリック教ではキリストや聖母マリアのほかに多くの「聖人」も信仰されます。聖人とは、特に秀でた信仰者や殉教者などが、教皇によって列聖された人のことです。洗礼者ヨハネや使徒ペテロ、マグダラのマリアなどが有名ですが、教派によって列聖される聖人は異なります。

キリストや聖母マリアも含む聖人を信仰するためには、その存在を実感するための対象物が必要になります。そこで大切となるのが聖人にゆかりのある聖遺物であり、聖人伝や聖地です。聖地には教会が建てられ、聖遺物が祭られました。

中世ヨーロッパで熱狂的に崇拝され、略奪されることもあった

聖遺物は、古い時代から崇敬の対象でしたが、中世ヨーロッパにおいて熱狂的に崇拝され、高額で売買されたり略奪されたりしました。

特に11世紀~12世紀の十字軍の遠征や、聖地巡礼のブームによって、エルサレムから聖遺物がヨーロッパにもたらされました。1204年の第4回十字軍では、イスラム教徒から聖地を奪還するという目的から離れてコンスタンティノープルの略奪を行い、大量の聖遺物や美術品がヨーロッパに持ち出されました。

聖職者や貴族にとって権力の証明でもあった

重要な聖遺物は、それを持つことで正当な保持者として権力を証明できるため、高位聖職者や王侯貴族などが財力にまかせて高額で買い取ったり、戦いの戦利品として略奪したりすることも当然のように行われていました。

また教会に聖遺物を導入できると、大勢の巡礼者がやってくるため、重要な聖遺物を持つ教会の一帯は繁栄しました。

まとめ

ヨーロッパの教会は、建築のほかにもステンドグラスや彫刻など、美しい芸術品で溢れていますが、聖遺物という視点で鑑賞してみると新しい発見があります。

遺骸を保存し、拝むということには、そのような習慣がない日本人には理解できない感覚かもしれませんが、キリスト教では最後の審判の際に肉体が復活すると考えられているため、遺体の保存に対する感覚が違うのだといえます。さらに、聖なる人の遺体やその一部には、同じように聖なる力が宿ると信じられているため、聖遺物は好ましいものとして受け止められているのです。