「ピエタ」の意味とは?ミケランジェロのピエタ像や絵画も解説

聖母マリアが美しい「ミケランジェロのピエタ」は、世界で最も有名な彫刻かもしれません。ところで「ピエタ」とは、どのような意味なのでしょうか?

この記事では「ピエタ」の意味を解説するとともに、「ミケランジェロのピエタ」と、絵画に描かれた「ピエタ」も紹介します。あわせて「ピエタ」にまつわる小説なども紹介しています。



「ピエタ」(イタリア語:Pietà、英語:Pieta)の意味とは?

「ピエタ」とは、イタリア語で「憐れみ・慈悲」を意味します。キリスト教美術のモチーフの一つとして、絵画や彫刻、礼拝用の小さな聖像画などが作られました。広義の意味と狭義の意味があります。

「ピエタ」広義の意味は「キリストの十字架降下に続く場面」のこと

「ピエタ」広義の意味では、十字架から降ろされたイエス・キリストの遺体のそばで、聖母マリアや聖パウロらが、悲しみ嘆く場面を指します。

初期中世の時代にはイエスの聖痕(磔刑の際の傷あと)のすべてを見えるように描くことが一つの様式であったため、全身が入るようにイエスを横たえた構図で描くことが一般的でした。

「ピエタ」狭義の意味は「キリストをひざの上に抱いて悲しむ聖母マリア」の図像

「ピエタ」狭義の意味としては、十字架から降ろされたイエス・キリストを、ひざの上に抱いて悲しむ聖母マリアの座像を指します。これは14世紀に登場した彫刻像で、一般的にピエタと言うときはこれを指します。彫刻ではミケランジェロのピエタが最も有名です。

有名な「ピエタ像」と「絵画」は?

「ミケランジェロ」が制作した四つのピエタ

ミケランジェロ(1475年~1564年)は、ピエタ像を4つ制作しています。完成した作品は『サン・ピエトロのピエタ』のみで、他は未完成です。ミケランジェロのピエタ像について解説します。

代表作『サン・ピエトロのピエタ』(1498年~1499年)

『サン・ピエトロのピエタ』(1498年~1499年)サン・ピエトロ大聖堂(フィレンツェ)
(出典:Adobe Stock)

『サン・ピエトロのピエタ』は、ミケランジェロが20代のときに制作した、実質的な彼のデビュー作です。ミケランジェロの代表作であるとともに、ルネサンス彫刻の傑作だとされます。大理石の1枚岩から2年をかけて彫刻されました。

イエスを膝の上に抱いて悲しむマリアの姿は、イエスが30代であったことを考えると若すぎると批判されましたが、マリアの不滅の純潔を表しているとミケランジェロが答えています。また、ミケランジェロが幼くして亡くした母を投影しているという説もあります。

バチカンのサン・ピエトロ大聖堂内に防弾ガラスに囲まれて安置されており、本物を鑑賞できます。

なお、日本の東京大司教座聖堂である「カトリック東京カテドラル関口教会」には、『サン・ピエトロのピエタ』と同じ大きさ(高さ175センチ・重さ2,600キロ)の精巧なレプリカが安置されています。

未完成の『フィレンツェのピエタ』(1547年頃~)

『フィレンツェのピエタ』ドゥオーモ博物館(フィレンツェ)
(出典:Wikimedia Commons User:Hans-Juergen Luntzer~commonswiki)

ミケランジェロ2つ目のピエタは、現在フィレンツェのドゥオーモ博物館に収蔵されている『フィレンツェのピエタ』です。1作目のピエタから半世紀後の1547年に着手されましたが、途中で自ら一部を破壊し、完成されることはありませんでした。すでに70代に入っていたミケランジェロの苦悩を感じさせるエピソードだといえます。

表現している場面については諸説があります。キリストが十字架から降ろされた場面、キリストを埋葬する場面、それらを融合した表現などの説です。フードを被った人物は、ミケランジェロの自画像であるとされます。

真贋が問われる『パレストリーナのピエタ』(1555年頃~)

『パレストリーナのピエタ』は、後ろの人物が除かれた他は『フィレンツェのピエタ』とほぼ同じ構成ですが、粗削りのまま未完成となった彫刻です。フィレンツェのアカデミア美術館に1939年から収蔵されていますが、それまでは別の場所に放置されていました。

歴史書の記述から、ミケランジェロの作品だと認められましたが、放置されていたことや、その作風から真作ではないとする研究者も多くいます。

遺作となった『ロンダニーニのピエタ』(1559年頃~)

『ロンダニーニのピエタ』スフォルツァ城博物館(ミラノ)
(出典:Adobe Stock)

『ロンダニーニのピエタ』はミケランジェロの遺作であり、88歳となった最晩年のときまで手を入れていた作品です。ミケランジェロにとって「ピエタ」は特別なものであったことが伺われます。

『ロンダニーニのピエタ』は、マリアがキリストの身体を後ろから抱きかかえる珍しい構図です。ミケランジェロは、マリアに優しく抱かれるキリストに自身を投影していたとされます。この像は、注文によって制作されたのではなく、ミケランジェロが自分のために彫ったものでした。

「ボッティチェッリ」の絵画『ピエタ』(1490年頃)

『ピエタ』アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)
(出典:Wikimedia Commons User:Oxxo)

絵画においても「ピエタ」は多く制作されてきましたが、初期ルネサンスを代表する画家サンドロ・ボッティチェッリ(1445年~1510年)の作品が有名です。「ピエタ」は後期の代表作の一つです。登場人物たちの表情や動作によって、苦痛と宗教感情を激しく表現しています。

ボッティチェッリは、修道士サヴォナローラの説教に影響を受け、華やかに描いた前期のルネサンス様式を捨て、後期には敬虔な宗教画を手がけました。

「ピエタ」という名前の慈善院と小説について紹介

ヴェネツィア

最後に、ヴィヴァルディが支援したヴェネツィアの「ピエタ」という名前の慈善院と、その慈善院を舞台にした小説を紹介します。

ヴィヴァルディが支援したヴェネツィアの「ピエタ慈善院」

1346年に、ヴェネツィア共和国の救貧・孤児院としてピエタ慈善院が設立されました。女子は慈善院付属音楽院で学び、「合奏・合唱の娘たち」となり、コンサート収入によって院の運営を支えました。

ヴェネツィアに生まれた作曲家でカトリック教会の司祭でもあったヴィヴァルディ(1678年~1741年)は、ピエタ慈善院付属音楽院で音楽を教えたり楽曲を提供したりして支援を行いました。現在、慈善院は取り壊されています。

18世紀の「ピエタ慈善院」を舞台にした小説『ピエタ』

18世紀のヴェネツィア「ピエタ慈善院」を舞台に、「合奏・合唱の娘たち」の絆を描いた小説『ピエタ』は、2012年本屋大賞の第3位を獲得して話題となりました。ヴィヴァルディの訃報が届くところから物語が始まります。「ピエタ」と直接の関係はありませんが、18世紀ヨーロッパの世相や、そこに生きた人々の物語を知ることができます。

まとめ

「ピエタ」とは、十字架から降ろされたイエス・キリストへの哀悼を表現する、キリスト教芸術の様式のことです。「ピエタ」には、「慈悲」という意味があります。芸術家は、ただたんに聖書の場面を写すのではなく、自身の感情や人生の意味も込めてピエタを制作しました。

「ピエタ」は「死への哀悼」を表したものであるため、キリスト教徒でなくとも、見る人にその感情の同化を迫るものであるといえます。