「シャガール」の生涯と作品とは?ステンドグラスや美術館も紹介

「マルク・シャガール」の豊かな色彩と幻想的な作風は日本でも人気です。他に類を見ないシャガール独自の世界はどのようにして出来上がったのでしょうか?

この記事では、ユダヤ人画家シャガールの生涯と作品の特徴を解説します。あわせて代表作とシャガールの美術館を紹介します。

「マルク・シャガール」とその生涯とは?

ユダヤ教の象徴「メノーラー」

シャガールは「色彩の詩人」と呼ばれる20世紀を代表する画家

マルク・シャガール(Marc Chagall、1887年~1985年)は、ロシアのヴィテブスク(現ベラルーシ共和国の都市)でユダヤ教を信奉するユダヤ人家庭に生まれました。豊かな色彩と、ユダヤの文化を反映させた独自の幻想的な表現が特徴です。

シャガールは、絵画やリトグラフ、ステンドグラスなどの作品を、98歳の長きにわたる生涯のすべてを注いで制作し続け、多くの傑作を残しました。

シャガールはユダヤ人画家としてフランスで活躍した

シャガールは奨学金を得てパリに出て絵を学びますが、第2次大戦中はユダヤ人の迫害から逃れるためアメリカに亡命し、戦後は南フランスに拠点を設けました。最後の20年はニースに近いサン=ポール=ド=ヴァンスに定住し、その地に眠っています。

フランスで活動したため、フランスの画家と紹介されることもあるシャガールですが、その作風にはユダヤ人としての出生や感性が色濃く表れ、南仏の光と融合して独自の世界観を作り上げています。

シャガールの作品の特徴とは?

ユダヤ教徒のポートレート

シャガールが表現したテーマ「ユダヤ・キリスト教」

シャガールは、伝統的なユダヤ教を信奉するユダヤ人の家庭に生まれ、青年期までを古いしきたりが残るユダヤ人集落の中で過ごしました。ユダヤの聖書では偶像崇拝が禁止されており、伝統的に人間の形を表現することはいかなる形でも認められていませんでした。

シャガールは、そのような伝統を破り、聖書をテーマとした人物表現を行いました。それは著名なユダヤ人画家としては初めてのことでした。さらに、ユダヤ教におけるイエス・キリストの否定も乗り越えて、ユダヤ・キリスト教信仰に行き着きます。

シャガールは、十字架の上で息を引き取ったキリストの高い人間性と孤独に深い感銘を受け、キリストを「生というものを最も深く理解した人間」だと述べています。

なお、ユダヤの民族宗教から派生したキリスト教においても偶像崇拝について論争がありましたが、絵画や彫刻などは字が読めない人のための聖書だとして、キリスト教文化圏では多くの聖書物語が描かれてきました。

シャガールは特定の集団に参加せず「独自のスタイル」を追求した

20世紀初頭のパリには、多くの芸術家たちが集まっており、シャガールも交遊を持ちましたが、特定の芸術家集団やサークルに参加することはありませんでした。

また、シャガールがシュルレアリスムの画家であると紹介されることがありますが、シャガール自身はシュルレアリストからの誘いを「意図的に空想的な芸術は私には理解できない」として断っています。

シャガールはどのような派にも属さず、独自の世界観を構築する道を選びました。シャガールは、子どもの頃のロシアのユダヤ人集落における記憶や、聖書の世界から引き出されたモチーフ、そして恋人たちを自由に組み合わせて、空想の世界を美しい色彩で描き続けました。

「シャガール」の代表作とは?

故郷の村を描いた『私と村』

『私と村』は1911年に描かれた油彩画で、シャガール初期の代表作です。1910年から1914年のパリ時代に制作されました。シャガールが生まれ育った故郷ヴィテブスクの村の記憶を、キュビズムの技法を使ってイメージを統合させています。

「シャガール独自の青」が表現されたステンドグラス

ノートルダム大聖堂(ランス)のステンドグラス
(出典:Wikimedia Commons User:Plucas58)

シャガールは70代に入ってから、ステンドグラスの制作を始めました。1958年にフランスのメッスのサンテティエンヌ大聖堂に取り組む途中で「エルサレムのためのステンドグラス」を依頼されます。その後もランスのノートルダム大聖堂のステンドグラスなど、大作の依頼が次々と舞い込みました。

98歳で生涯を閉じるまでの間、フランス、アメリカ、イギリス、イスラエルなど、6か国15箇所の聖堂にステンドグラスを制作し、ユダヤ教、キリスト教の垣根を超えた聖書の世界を表現しました。

ステンドグラスに多用された独自の青い色彩は、「シャガール・ブルー」とも呼ばれ、聖堂を幻想的に染め上げました。

聖書の世界を独自に表現した作品が収蔵される「聖書の言葉美術館」

ステンドグラスはキリスト教の聖堂のための仕事でしたが、シャガールはユダヤ人としてキリスト教会のために仕事をする困惑を抱えていました。そのことから、宗教的背景のない建物に作品を展示したいという思いから、1973年にはニースに「国立マルク・シャガール聖書の言葉美術館」 (Musée National Message Biblique Marc Chagall) がフランス国家の予算によって建てられました。

シャガールは次のように発言しています。

私は若い頃からずっと、人生と芸術に聖書がどのように表れているかを捜し求めてきました。聖書は自然のこだまに似ていますが、これが私が伝えたいと切望している聖書の神秘です。(中略)芸術においては、人生においてと同じように、愛から生まれたものであるなら、すべては可能となるのです。

聖書の言葉美術館には、旧約聖書の挿絵の連作や、彫刻、「天地創造」が主題の青を基調とするステンドグラスなどシャガールの代表作品をが収蔵されています。

国立マルク・シャガール聖書の言葉美術館・コレクションページ

まとめ

マルク・シャガールはロシアのユダヤ人家庭に生まれ、そこで培った感性と美学を一生忘れることなく高め続けました。シャガールの絵画にたびたび登場するサーカスの軽業師、道化師は、彼が子供のころに出会った芸術家でした。

加えて、『旧約聖書』はシャガールにとって重要な発想の源であり、聖書の言葉美術館のための作品において頂点を極めました。それらの作品は、宗教や人種を超えて、世界中の人々に作品を見てもらいたいとの思いで制作されました。