「ドストエフスキー」の生涯とは?おすすめ本の解説と名言も紹介

難解な長編小説のイメージがあるロシアの文豪「ドストエフスキー」ですが、読みやすい短編や中編も書いているのをご存じでしょうか?この記事では、ドストエフスキーの生涯を紹介しながら、おすすめの小説を短編、中編、長編に分けて解説します。最後に「名言」も紹介しています。

「ドストエフスキー」とは?

フョードル・ドストエフスキー(ヴァシリー・グリゴリエヴィチ・ペロフ画)
(出典:Wikimedia Commons)

「ドストエフスキー」とはロシアを代表する文豪

「フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821年~1881年)」とは、19世紀ロシアを代表する小説家・思想家であり、また世界で多くの読者に読まれ続けている文豪の一人です。

ドストエフスキーの小説は、人間の謎や普遍的な性質が独自の文体で掘り下げられ、寓意的で複雑な象徴に満ちています。また、ドストエフスキーの小説に展開されるテーマは、「悪とは何か」や「人間の悲劇性」など、永遠の現代性を持つと言われ、現代の予言書とも呼ばれます。

ドストエフスキーの小説は世界の作家や芸術家に影響を与え、日本においても大江健三郎や村上春樹をはじめとして、多くの作家が影響を受けました。

「父親の惨殺事件」が心に傷跡を残した

ドストエフスキーは、モスクワにあった貧民施設病院の外科医長のもとに生まれました。彼が18歳のとき、領地の農民たちの恨みを買い、父親が惨殺されるという事件が起こります。

父親の惨殺は、ドストエフスキーの心に傷跡を残しました。この事件は、『カラマーゾフの兄弟』の父親殺しのテーマに結びついたとも論じられています。

「死刑宣告」と「シベリア流刑」が思想に影響を与えた

ドストエフスキー23歳のときの処女作『貧しき人々』(1846年)は高く評価され、順調な船出かと思われましたが、革命思想家のサークルに接近したことから、1849年に逮捕され、裁判の結果、死刑を宣告されます。

しかし、銃殺刑が執行される寸前に、皇帝の特赦だとして死刑執行は行われず、1850年からシベリアの監獄に4年間収容されました。

この時の、死と直面した恐怖は、精神を震撼させる衝撃を作家に与え、また厳しいシベリア流刑の経験も、その思想に大きな影響を与えました。生涯苦しんだ持病のてんかんも、この時期から悪化しました。

自身の死刑宣告と流刑生活は、『死の家の記録』の源泉となり、シベリアでの人間観察から長編小説の登場人物の原型が造られました。

後半は「五大長編」を次々と発表し60歳で永眠

シベリアの監獄を出獄後、5年におよぶ兵卒勤務を経て、ドストエフスキーは、『死の家の記録』(1860年)、『虐げられた人びと』(1861年)を発表します。

続けて、後期の作品への文学上の転換点となった『地下室の手記』(1864年)を皮切りに、「五大長編」と呼ばれる『罪と罰』(1866年)、『白痴』(1868年)、『悪霊』(1871年)、『未成年』(1875年)、『カラマーゾフの兄弟』(1880年)を次々に発表しました。

これらの長編では、犯罪や事件を展開させながら、人間の心が抱える秘密や人間が持つ悲劇性を追求してゆきました。

作家の集大成的作品である『カラマーゾフの兄弟』は、その続編も構想されていましたが、1881年、60歳のとき喀血し、家族に看取られ永眠しました。

「ドストエフスキー入門」におすすめの本とは?

これからドストエフスキーを読んでみようという人に向けて、読みやすい短編小説と、長編の準備にもなる中編小説、そして1冊だけ選ぶならこれ、という長編小説を紹介します。

気軽に読める「短編小説」からのおすすめ

『白夜』

『白夜』(1848年)は、シベリア流刑になる前の、ドストエフスキーが20代の頃に書かれたみずみずしい短編小説です。白夜に出会った内気な青年と17歳の少女の、束の間の心の交流が描かれます。「ドストエフスキーらしくない」爽やかな恋愛小説です。

『おかしな人間の夢』

『おかしな人間の夢ー幻想的な物語』(1877年)は、その副題にあるとおり、不思議で幻想的な展開をみせる物語です。「僕はおかしな人間だ。連中は今では私のことを気が変だと言っている」から始まる、ドストエフスキー的な人物の独白形式の小説です。

主人公は、圧倒的なニヒリズムから自殺を決意し、夢の中で自殺を遂げます。その後、夢の世界で宇宙を旅し、地球に瓜二つの惑星に降り立ち、そこに「地上の楽園」と「原罪のない人々」を発見します。

そこで得た信念は、「他者を己のごとく愛せよ」でした。これを広める闘いに、「おかしな人間」は出発します。敬虔なキリスト教徒であったドストエフスキーの信条の一つに「他者を己のごとく愛せよ」がありました。

長編を読む前の準備にも最適な「中編小説」からのおすすめ

『死の家の記録』

『死の家の記録』(1860年)は、ドストエフスキー自身のシベリア流刑の経験と見聞をもとに書かれた小説です。妻殺しの刑で10年の刑期を勤めた男の手記という形で、ドストエフスキーが見た監獄内の生活や風俗、さまざまなタイプの囚人たちや、その身の上話などが表現力豊かに描写されています。ドストエフスキーは、牢獄の囚人という現実の人間に即して、人間の真の姿を見極めようとしました。

犯罪記録にもとづき、異常な心理による人間のドラマを作り上げるドストエフスキー文学の構成は、人間発見の書である本書を母体として、このあとに創り上げられることになります。

人道主義的社会派の思想のもとに書かれた本作は、批評家や文学者に高く評価され、トルストイはこれをロシア文学の最高傑作だと評しました。

『地下室の手記』

『地下室の手記』(1864年)は、一般社会との関係を断ち、地下の小世界にとじこもる小官吏の独白体で書かれた小説です。近代社会に生きる人間の、混沌とした意識の闇と悲劇を、読者は直視することになります。

「僕は病んでいる…。意地の悪い人間だ。およそ人好きがしない男だ」という独白から始める主人公の人物像は、このあとに書かれる長編にたびたび登場する、自己愛が増殖して異常な行動をとるドストエフスキー的人物の原型だとえいえます。それは、作者によれば、「われわれ社会の代表」なのだといいます。

本書は、人間を信頼する人道主義から突如として希望の見えない悲劇的世界へと転向した、ドストエフスキーの文学上の転機となった書です。後期の長編小説を読み解く鍵とその世界観が示されています。

これだけはおさえておきたい「長編小説」のうちの1冊

ドストエフスキーの「五大長編小説」の中でも、日本で最も多く読まれているのが『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』です。この2冊について解説する本もたくさん出版されています。

『カラマーゾフの兄弟』は推理小説としても楽しめますが、現代社会の問題を予言しているとも言われる『罪と罰』を、長編小説のはじめの1冊としておすすめします。

『罪と罰』

『罪と罰』(1866年)は、人間存在における根源的な不安と自己矛盾性を描き、現代社会に生きる人間の問題を予言しているともいえる小説です。

「頭脳明晰」な主人公ラスコーリニコフは、貧困などの自己の不遇な境遇に憤り、金を有する有害な人に憎悪を募らせます。この憤怒と憎悪は、独自の「犯罪論」に従って殺人を実行するに至らせます。

ラスコーリニコフの「犯罪論」とは、人間を凡人と非凡人に区別し、非凡人は法を無視して犯罪を行う権利を有し、それが人類に有益な仕事である場合は義務でさえあるというものです。この犯罪論は、殺人を行う意図のもとに形成されたのではなく、憤怒と憎悪を肯定しようとすることから発せられたものです。

しかし、ラスコーリニコフの本性は自己不信と隣人愛の人であるため、罪の実行後は自己矛盾に陥り葛藤します。最後はラスコーリニコフはソーニャへの愛によって自主し、聖書を手にします。ドストエフスキーはキリスト教における「罪」と「愛」の問題を、人間の心の葛藤を描くことにより明らかにしようとしました。

『罪と罰』は、複雑な現代に生きる我々に、洞察と指針を与えます。またドストエフスキーの長編の中でもテーマがわかりやすいため、長編入門の書としておすすめします。

「ドストエフスキー」の名言とは?

「作家の日記」に記された文章の中から名言紹介

ドストエフスキーが書いた手紙や、『作家の日記』に記された文章の中から、ドストエフスキーの心情が表れている名言を紹介します。

キリストより美しいもの、深いもの、愛すべきもの、キリストより道理にかなった、勇敢な、完全なものは世の中にはない。

キリストの教えに従い、己のごとく他人を愛することは、不可能である。この地上では、皆が我意の法則に縛られているからだ。我意が障害となるのである。

人間とは、この世では、単に発展途上の、つまりは未完成の過渡的存在にすぎない。

真の哲学の教義とは、無知の根絶であり、思考であり、神であり、無限の生である。

人は、好ましいことと美しいことの芽を与えられないまま、子ども時代を出て世の中へ向かってはならない。

人間はどんなことにでも慣れることのできる存在だ。

まとめ

ドストエフスキーの小説の登場者は、矛盾に満ち、苦悩と絶望にさいなまれる病的な人物が多いですが、作家自身の魂が反映されているといえます。ドストエフスキーは自分を異質者だと感じ、自分と同じ異質で奇妙な人間に関心を寄せました。

ドストエフスキーを看取った妻アンナは、夫を「奇妙な人」だと書き記し、周囲の人物は彼を「普通では考えられないような性格の持ち主」だと言っています。ドストエフスキーも自身を病的な性質であると認めており、実際に過剰な猜疑心や妄想、離人症的な感覚を持つ人間だったようです。

ドストエフスキーの人間観は、「人間はみな病気である」「病気の人間は例外者ではない」というものでした。つまり、人間の正常と異常、普通の人と普通でない人は切り離されているのではなく、境界線もないと考えていたのです。

ドストエフスキーの世界が色あせず、また現代を先どりしているとも言われるヒントが、この考えにあるように思われます。