最近は塗り絵でも人気の高い「ボタニカルアート(Botanical Art)」ですが、その定義や歴史はあまり知られていないかもしれません。この記事では、ボタニカルアートとは何かとともに、その歴史を解説し、あわせて描き方と有名な画家なども紹介します。「ボタニカル・アート」が気になる方はぜひ参考にしてください。
「ボタニカルアート」とは?
「ボタニカルアート」とは植物が正確に美しく描かれた”植物の肖像画”
「ボタニカルアート」とは、”植物学的な芸術”という意味です。植物学的な芸術とは、植物学の立場から植物の品種の特徴が正しく正確に描かれた絵画だということを示しています。例えばゴッホのひまわりのように、心象を投影したイメージでもある花の絵などは、その定義から外れます。
植物学の立場から描かれていることに加えて、美しく魅力的に描かれたアートであることも「ボタニカルアート」が成立する条件として重要です。
「ボタニカルアート」とは、植物が正確に、かつ美しく描かれた「植物の肖像画」であるといえます。
「ボタニカルアート」の歴史とは?
「ウィーン写本」より、ブラックベリー
(出典:Wikimedia Commons User:Dsmdgold)
古代ギリシャの『薬物誌』が植物の図化の始まり
ボタニカルアートは科学と芸術の融合から生まれたアートだといえます。その起源は有用な薬草を見分けるために、植物を調べて図化したことにあり、植物学の領域で発展したものです。
近代科学が発達するはるか昔の古代ヨーロッパの時代から、草花や樹木を精密に描いて分類し、植物を病気の治療などに利用することが行われていました。
古代ギリシャの医者で植物学者のペダニウス・ディオスクリデスは、薬草をまとめた本草書『薬物誌』(マテリア・メディカ)を紀元1世紀に編集しました。優れた内容であったため、18世紀までの長きにわたって西洋の薬学・医学の基本文献となりました。もともとはテキストのみでしたが、本草学者のクラテウアスが描いた植物の精密画約400種が、のちに取り入れられました。
植物画の入った『薬物誌』は中世の時代に膨大な写本が作られ、一部が現存しています。中でもコンスタンチノープルで発見され、ウィーンの帝室図書館に収蔵された「ウィーン写本」(6世紀)が有名です。
宮廷の貴族文化の中で鑑賞用絵画として発展
『薬物誌』は医学・薬学の観点から制作されましたが、写本から写本へと写されてゆく過程において、医学的な実用書から美術的な観賞用のアートへと変わってゆきました。
宮廷を中心とした貴族文化が栄えた17世紀~18世紀のヨーロッパでは、貴族や裕福な市民の間で植物への関心が高く、植物庭園やボタニカルアートの鑑賞が人気でした。この時代には多くの植物画家が活躍し、アートとしてのボタニカルアートを愛好する人が増えてゆきました。
現代のボタニカルアートをリードするイギリス
園芸を愛好する文化が浸透しているヨーロッパ諸国の中でも、特にイギリスはその層が厚く、植物を愛好する文化が発達してきました。1787年に創刊された、一般市民に向けたボタニカルアート専門の雑誌『ボタニカル・マガジン』は現在まで続いています。
マガジンを刊行しているのが1759年に宮殿庭園として始まった王立植物園「キューガーデン」です。イギリスの植民地政策と深い関わりがあり、イギリスが領有する諸地域の植物を研究していました。研究の過程で膨大な植物画が描かれ、多くの植物画家が誕生しました。
「ボタニカルアート」の描き方とは?
一つの画面に1種類の植物を細密に描く
ボタニカルアートは植物学の分野で誕生、発展した歴史があることから、対象となる植物の特徴や微細部の構造を正確に描かなければなりません。そのため、基本的には一つの画面に1種類の植物を細密に描きます。1種類の植物について、特徴的な部分は拡大図を添えたり、構造がわかるように複数の角度から描いたりします。
白い水彩紙に水彩絵の具で描く
鑑賞画として楽しむために描くボタニカルアートは、伝統的に白い水彩紙に透明感のある水彩絵の具で描きます。鉛筆やシャープペンシルで実物を見ながら実物大の大きさで描き、着色します。背景や花瓶など、植物以外の物は描きません。
より詳しく知りたい方は、「ボタニカル・アート」を描くための参考図書を最後に紹介しますので参考にしてください。
「ボタニカルアート」の画家とは?
バシリウス・ベスラー
『アイヒシュテット庭園植物誌』の図版
(出典:Wikimedia Commons User:Ras67)
バシリウス・ベスラー(1561年~1629年)は、ドイツの植物学者・植物画家です。『アイヒシュテット庭園植物誌(Hortus Eystettensis)』(1613年)の出版で知られ、17世紀の植物画の最高傑作を残しました。
ベスラーの植物誌は、アイヒシュテットの司教の庭園で自身が管理した1000点以上の花を長い年月をかけて銅版画で制作したものです。
ゲオルク・エーレット
ゲオルク・エーレットの図版
(出典:Wikimedia Commons User:Epibase)
ゲオルク・エーレット(1708年~1770年)は、ドイツの植物学者・植物画家です。エーレットは対象の植物を中央に大きく描き、種の特徴や属性を的確に記す「ボタニカルアート」の様式を確立しました。『クリフォート邸植物(Hortus. Cliffortianus)』(1738年)の図版は植物画の傑作とされます。
ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ
ルドゥーテの薔薇の絵
(出典:Wikimedia Commons User:Austriacus)
ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ(1759年~1840年)は、ベルギーの画家・植物学者です。 銅版多色刷り印刷の成功によって仕上がりが均一な植物画を大量に制作することができるようになり、一般市民の愛好家を増やすことに貢献しました。
多くの植物図版を残しましたが、中でもナポレオン妃ジョセフィーヌのコレクションを描いた『バラ図譜』は世界で最も美しいバラ図版として知られています。
ルドゥーテのイラスト画像はこちらでも見ることができます。
まとめと本の紹介
「ボタニカルアート」の歴史は、有用な植物を医療に用いるために植物を図化し、分類した植物学の分野から生まれました。中世以降は医学的な実用書としての目的から離れて観賞用のアートとして発展しましたが、科学と芸術の融合としての伝統は受け継がれ、現在も植物の「種」がわかるように正確に描かれたものをボタニカルアートと呼びます。
日本で特に人気のある画家はルドゥーテで、『バラ図譜』をはじめルドゥーテを扱った書籍などが多く出版されています。
◆ルドゥーテの『バラ図譜』(廉価に購入できる普及版)
◆西洋のボタニカルアートを季節ごとに分類して掲載した美しいアート集
◆ボタニカルアートを描きたい人におすすめの入門書