「クラーナハ」の生涯とは?作品に描かれたサロメやユディトも解説

ドイツ・ルネサンスを代表する画家「クラーナハ」は、妖艶な女性像を描く宮廷画家として大人気を博しました。その一方で、クラーナハは「ルターの肖像画」を描くなど宗教改革を支援した起業家でもありました。この記事では「ルカス・クラーナハ(Lucas Cranach der Ältere、1472年~1553年)」とその生涯について紹介するとともに、「サロメ」など代表作品も解説します。

「クラーナハ」とは?

クラーナハ 77歳の自画像
(出典:Wikimedia Commons User:Trzęsacz)

「ルカス・クラーナハ」とはドイツ・クローナハ出身の宮廷画家

クラーナハとは、ドイツ南部・オーバーフランケン地方のクローナハ(Kronach)出身の宮廷画家です。本名はルカス・マーラーですが、故郷の地名にちなんで画家としては「クラーナハ」と名乗りました。

息子のハンス・クラーナハと同名の息子ルカス・クラーナハも画家であるため、美術史上では「ルカス・クラーナハ(父)」と表記されます。

クラーナハは画家の父から絵の手ほどきを受けたとされます。1500年から当時の文化の中心地ウィーンで画家として活動し始め、1505年からはヴィッテンベルクでザクセン選帝侯の宮廷画家となりました。三代にわたる選帝侯に庇護され、81歳の長い生涯を通じて宮廷画家の肩書を持ちました。

クラーナハは「ドイツ・ルネサンス」を代表する画家

クラーナハが活躍した16世紀のドイツは絵画の黄金時代でした。ルネサンスをイタリアから持ち帰って独自の絵画を生み出したデューラーに始まり、肖像画家のホルバインや『イーゼンハイム祭壇画』のグリューネワルト、そしてクラーナハなどがドイツ・ルネサンスの代表的な画家です。

ゴシック様式が色濃かったドイツ絵画に革新をもたらしたこの時代は、「北方ルネサンス」、あるいはドイツ語圏においては「ドイツ・ルネサンス」と呼ばれます。クラーナハは独特な感性から生まれた美女画や、それまでのドイツ絵画にはなかった抒情豊かな絵画様式が特徴です。

クラーナハは「ルターの宗教改革」にも貢献した

クラーナハが暮らし、活動の拠点としたヴィッテンベルクは、1517年にマルティン・ルターが開始した宗教改革の中心となった場所です。修道士ルターは腐敗した教会を批判し、改革を実行しました。クラーナハとルターは親しい友人となり、画家は絵画によって宗教改革に貢献しました。

クラーナハは目的に応じてさまざまなルターの肖像画を工房で繰り返し制作し、社会的なイメージを広めました。宗教改革の先導者であったルターは、思想の普及と平行して自分の顔を世間に広めるイメージ戦略を行ったのです。当時の絵画や版画は、現在のテレビやインターネットのようなメディアでした。

また、1522年に完成したルター翻訳の『新約聖書』ドイツ語版には、クラーナハの工房で制作されたヨハネの黙示録の木版画が挿絵として入りました。デューラーが1497年~1498年に刊行した版画集『ヨハネ黙示録』から一部を引用したものです。

挿絵のほかにも、聖書の出版にあわせてシナイ半島の地誌を詳細に描いた「聖地地図」なども、クラーナハの工房で制作されました。

「クラーナハ」の作風と代表作品とは?

「サロメ」や「ユディト」など特異な女性像をくりかえし描いた

『ヘロデの饗宴(サロメ)』(1531年)ワズワースアテネウム(コネチカット州)
(出典:Wikimedia Commons User:Trzęsacz)

『ホロフェルネスの首を持つユディト』 (1525年頃~30年) ウィーン美術史美術館
(出典:Wikimedia Commons)

クラーナハは、キリスト教や古代ローマ・ギリシャの物語から特異な女性像を選んで主題にとり、繰り返し描きました。皿に載せたヨハネの首を持つサロメや、自ら切り落としたホロフェルネスの首の傍らで微笑むユディト、剣を胸に突きつけるルクレティアなどです。

どのような作品でも、クラーナハの女性像は独特の妖しい魅力を漂わせています。感情が抑えられた無表情な顔と豪華な衣装や装飾品が印象的です。

北方絵画において初めて「裸体のヴィーナス」を描いた

『ヴィーナス』 (1532年) シュテーデル美術館(フランクフルト)
(出典:Wikimedia Commons)

クラーナは北方絵画ではじめてとなる裸体のヴィーナスを描きました。装飾品を身にまとって美しく髪を結い、身をくねらせるように立つヴィーナスの姿もそれまでにないものでした。クラーナハは女神や貴婦人などどのような対象であっても、独自の完成された女性美の姿で繰り返し描き、大変な人気を得ました。

『マルティン・ルターの肖像』によってイメージ戦略に貢献した

『マルティン・ルターの肖像』ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
(出典:Wikimedia Commons)

ルターが宗教改革を始めた3年後の、1520年に制作された最初の肖像画は、修道服を着て剃髪した厳格な修道士の姿でした。もっとも有名なルターの肖像画は1529年に制作された本作品です。修道服にかわって黒い衣装と帽子をまとうルターは実直な中流市民のような雰囲気で、親しみを感じさせる肖像です。

まとめ

クラーナハは、ヴィッテンベルクで宮廷画家として地位を築き上げるとともに、ルターの宗教改革運動をアート・ディレクターの立場として支援しました。幅広い創作活動を行えたのは、大きな工房を構えるとともに組織的な事業活動を行っていたためです。クラーナハは印刷業や書店業なども手掛けていました。さらにクラーナハはヴィッテンベルクの市長にも3度選ばれています。

クラーナハは妖しい魅力の女性や女神の絵画が印象的ですが、事業家や行政の長としての顔など複数の側面を持つマルチな起業家でもありました。