禅の教科書『十牛図』の絵や、『十牛図』を引用した文章を自己啓発書などで目にすることがあります。『十牛図』とは何を意味しているのでしょうか?また何を目的に描かれたものなのでしょうか?
この記事では、『十牛図』の意味や成立について解説するとともに、十枚の絵についての解釈のしかたをそれぞれ紹介します。
『十牛図』とは?
『十牛図』とは十枚の絵
『十牛図』とは、逃げ出した牛を探し求める牧人の様子を、段階的に描いた十枚の絵です。十枚の絵には詩が添えられています。読み方は「じゅうぎゅうず」です。
「牛」は「ほんとうの自分」の象徴で、牛を探し求める牧人は「真の自己を究明する自分」をたとえたものです。「十牛図」とは、俗世間の生活の中で自分を見失い、ほんとうの自分を探しに旅に出る若者の物語です。
「自分とは何か」を探し求める旅の物語絵は、禅の悟りにいたる道筋を表しています。
『十牛図』は禅を学ぶための入門書として北宋時代に成立
『十牛図』とは、中国・北宋時代の禅師、廓庵(かくあん)が創作した入門書です。禅の精神を学ぶための入門書として古くから重要視され、廓庵にならっていくつかの図が描かれました。
日本においては室町時代の画僧「周文(しゅうぶん)」が描いたと伝えられる十牛図が相国寺(しょうこくじ)に伝わっています。
『十牛図』の絵の意味や解釈を紹介(相国寺の図を使用)
相国寺に収蔵されている周文の図を用いて、十牛図のそれぞれの絵の意味や解釈を紹介します。十牛図の解釈は、それだけで1冊の本ができるくらい深いものですが、ここでは一般的な解釈のまとめを紹介します。
第一図:牛を尋ね探す「尋牛(じんぎゅう)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
ある日、牛の一頭が逃げ出したため、牧人は牛を探すために山や川に一人で捜索に出かけます。ほんとうの自分を求めて旅立つことがテーマです。禅においては、俗世間を離れ、修行の道に入ることを表しています。
第二図:牛の足跡を見つける「見跡(けんぜき/けんせき)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
牛は見つからないとあきらめかけたとき、牧人は牛の足跡を見つけます。牛の足跡とは、釈迦の教えである「自らを灯明とせよ(自分を拠りどころとせよ)」を表していると解釈されます。牛の足跡は、ほんとうの自分はどこにいるのかが表れかけていることを示しています。
第三図:牛を見つける「見牛(けんぎゅう)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
牛の後ろ姿を牧人が発見します。ついにあるべき自分を発見しました。禅の修行でいえば、公案が解けた瞬間、つまり悟りに至る過程における直観的な智慧が得られた瞬間を表しています。
第四図:牛を捕まえる「得牛(とくぎゅう)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
牧人は綱をつけて牛を捕らえました。逃げ出そうと暴れる牛と格闘が始まります。この場面は、心の汚れや迷いを取り除くための修行の過程を示しています。
第五図:牛を飼いならす「牧牛(ぼくぎゅう)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
牧人は暴れる牛を綱と鞭でてなずけました。牛はおとなしくなり、牧人になついているように見えます。しかし綱をつけたままであるのは何故でしょうか。本当の自分とうまくつきあうには、まだコントロールが完璧にはできないようです。
第六図:牛に乗って家に帰る「騎牛帰家(きぎゅうきけ)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
牧人はおとなしくなった牛に乗り、楽しげに横笛を吹きながら家路につきます。真の自己と自分自身が一体となることができたのです。真の自己は堂々と落ち着き払っています。
第七図:あるがままに生きる「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
牧人はとうとう家に帰り着きました。牛を小屋に入れて庭でくつろいでいます。牛が消えたことで、最後に残った煩悩やエゴがなくなるという境地を表しています。
第八図:空白となる「人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
誰もいなくなり、あるのは空白だけです。禅で言う「円相」の世界が描かれています。真の自分さえも消え去り、ゼロになったのです。
第九図:本源に還る「返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
空の世界に自然が戻りました。牧人に根本的な変革が起こり、本源にたどり着いたことを表しています。牧人(人間)の本源とは、自然のように清浄で美しいということです。
第十図:人の世に生きる「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」
(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)
町の中に入った牧人は、笑みを浮かべて何かを童子に与えています。童子は迷える人を表しており、牧人は迷える人(他者)を救う人になったのです。
まとめ
自分の人生はこのままでよいのだろうか、自分のしたいことがよくわからない、自分に自信がなくて周りの人と比べてばかりいる、など、社会の中で生きているとさまざまな苦しみが生まれます。
禅では、偽りの自分をほんとうの自分だと思い込んでいることから、苦しみが生じると考えます。道元禅師は『正法眼蔵』において、「仏道をならふといふは、自己をならふ也」と述べています。
苦しみ、つまり煩悩を滅して悟りの境地に達するには、真の自分に向き合うことが大切だと『十牛図』は教えています。悟りの境地というと構えてしまいますが、まずは自分の心に分け入る旅に出るきっかけをつかむことが、大切かもしれません。