「グレゴリオ聖歌」とは何か?歌詞の特徴や「キリエ」の意味も解説

癒しの音楽として「グレゴリオ聖歌(英語:Gregorian chant)」が注目されています。クラシックの源流ともいわれるグレゴリオ聖歌とは、どのようなものなのでしょうか?この記事では、グレゴリオ聖歌の歴史や楽譜・歌詞について解説します。あわせてグレゴリオ聖歌と讃美歌との違いについても紹介しています。

「グレゴリオ聖歌」とは?

グレゴリウス1世の肖像
(出典:Wikimedia Commons User:Tholme)

「グレゴリオ聖歌」とは最古のヨーロッパ音楽

「グレゴリオ聖歌」とは、ローマ・カトリック教会で用いられるキリスト教の典礼聖歌です。最古のヨーロッパ音楽と言われており、ラテン語の斉唱による無伴奏の単旋律聖歌です。

現在はクラシック音楽としても好まれている

グレゴリオ聖歌は、創作の基盤となって西洋音楽に影響を与えました。現在は典礼音楽の枠を超えたクラシック音楽として、世界的に親しまれています。

「グレゴリオ聖歌」を作った人はだれ?

「教皇グレゴリウス一世」が編纂したと伝承されてきた

グレゴリオ聖歌は、教皇グレゴリウス一世(在位590年~604年)が編纂したと伝えられてきましたが、歴史的な根拠は存在していません。グレゴリウス一世の時代、もしくはその前後に、古代ギリシャやユダヤの詩篇唱や賛歌が集大成され、グレゴリウスにちなんだ名で呼ばれるようになり、現在に続いています。

グレゴリウス一世は、典礼の整備や教会改革を行った、中世初期を代表する教皇です。伝承では教皇自身が多くの聖歌を作曲したとされています。

グレゴリオ聖歌は最初は口伝、のちに「ネウマ譜」で表記された

グレゴリオ聖歌のネウマ譜
(出典:Wikimedia Commons)

グレゴリオ聖歌は、当初は口伝で伝えられながら数百年もの間、修道院で歌い継がれてきました。9世紀頃からはネウマと呼ばれる記号を用いた記譜法が登場しました。ネウマとは、ギリシャ語で「合図」という意味です。ネウマ譜の解読法は19世紀に発達しましたが、現在も研究が続いています。

ネウマ譜は、修道士による写本によって伝えられました。写本はローマではなくアルプス以北でほとんどが制作されたため、当地の音楽がグレゴリウス聖歌にも影響を与えたと考えられています。

美しい装飾とともに写されたグレゴリオ聖歌のネウマ譜の写本は、芸術品としての価値が認められています。

「グレゴリオ聖歌」の歌詞の特徴とは?

グレゴリオ聖歌の写本

グレゴリオ聖歌の歌詞はラテン語で書かれています。その内容は、イエス・キリストや聖母マリアに捧げる祈りの言葉です。

憐れみの賛歌「キリエ」

日本語で「憐れみの賛歌」と訳されるラテン語”キリエ(Kyrie)”は、キリスト教の礼拝における重要な祈りのひとつです。キリエとは、「主よ」という意味です。

伝統的には、「主よ 憐れみたまえ キリストよ、 憐れみたまえ、 主よ 憐れみたまえ」との言葉が3回唱えられます。グレゴリオ聖歌においても斉唱されます。

聖母マリアへの祈り「アヴェ・マリア」

「アヴェ・マリア(ラテン語: Ave Maria)」とは、直訳すると”こんにちは、マリア”または”おめでとう、マリア”という意味ですが、和訳では「めでたし、マリア」などと訳されます。「喜びに満ちる乙女マリアよ」などといった歌詞とともにアヴェ・マリアが登場します。

グレゴリオ聖歌での聖母マリアをたたえる斉唱をはじめとして、「アヴェ・マリア」をタイトルとした教会音楽や、アヴェ・マリアを歌詞とした楽曲が多く作られ、親しまれています。

神をほめたたえる「ハレルヤ(アレルヤ)」

「ハレルヤ(アレルヤ)(ラテン語: Alleluia)」とは、ヘブライ語が由来の言葉で、「神をほめたたえよ」という意味です。「ヤ」は救世主ヤハウェを短縮した言葉です。ユダヤ教の讃美の言葉として使われていたもので、「アーメン(ヘブライ語: amen)」とともにキリスト教に残るヘブライ(ユダヤ教)の祈りの言葉のひとつです。

グレゴリオ聖歌の歌詞では「アレルヤ われらの過ぎ越し キリストは犠牲となられた アレルヤ」という歌詞があります。

「グレゴリオ聖歌」と「讃美歌」の違いとは?

グレゴリオ聖歌は教会のミサや礼拝などの典礼で歌われる「聖歌」ですが、「讃美歌」との違いはどこにあるのでしょうか?

「グレゴリオ聖歌」は中世の修道院で歌われたラテン語の聖歌

中世の修道士たちが、修道院の祈りの生活の中で歌い継いできたのがラテン語によるグレゴリオ聖歌です。教会の典礼では聖歌隊などが歌い、教会に集まる人々は歌詞の内容は理解できませんでしたが、その荘厳な雰囲気に包まれ、厳かな気持ちになることができました。

「讃美歌」は「マルティン・ルター」が一般の人のために導入

そのような伝統の中、マルティン・ルターは、一般の人々が歌えるドイツ語の「讃美歌」を導入しました。ドイツ語の説教とあわせて、普段使うドイツ語で改革の思想を歌うことによって宗教改革を広げようと考えたのです。1523年に、ルターは自ら讃美歌を作詞・作曲しました。

民衆が歌う讃美歌は「コラール」と呼ばれるようになります。もともとは14世紀頃にグレゴリオ聖歌を一般の歌と区別する呼び名でしたが、ルターの宗教改革以降は民衆の歌う讃美歌のことをコラールと呼ぶようになりました。

ルターの音楽改革は、バッハなどの優れた宗教音楽作品を生み出す土壌となりました。さらに、アメリカに渡ったプロテスタントのコラールは、黒人の信者たちによって「ゴスペル」に変化してゆきました。

まとめ

グレゴリオ聖歌は、ヨーロッパ古代の末期から中世にかけて、古代ギリシャやユダヤなどのさまざまな音楽要素を融合しながら形成されたローマ教会の聖歌です。グレゴリオ聖歌を母体としてヨーロッパ音楽が発展したことから、クラシック音楽の源流とも言われます。

グレゴリオ聖歌の旋律に不思議な癒しの力を感じる人は多く、キリスト教の典礼音楽というジャンルを離れて、ヒーリングミュージックとして愛好する人が増えています。また、中世に作られたグレゴリオ聖歌の写本も、装飾写本の愛好家に親しまれています。