「ユトリロ」の生涯と作品とは?モンマルトルやラパン・アジルも

古き良きパリのモンマルトルを描いた画家「モーリス・ユトリロ」。若き日のピカソや藤田嗣治も過ごした芸術家の街モンマルトルは伝説となり、現在はパリ有数の観光地となっています。

この記事では、ユトリロの生涯をその時代背景とともに解説します。あわせてユトリロの作品の特徴も紹介します。

「モーリス・ユトリロ」とは?

母シュザンヌ・ヴァラドンが描いたユトリロの肖像
(出典:Wikimedia Commons User:遡雨祈胡)

ユトリロとは「ベル・エポックのパリ」に生まれた画家

モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo、1883年~1955年)とは、芸術家たちが集まっていた19世紀末の、パリのモンマルトルに生まれた画家です。

第三共和政下の19世紀末から1914年の第一次世界大戦の勃発までのパリは、ベル・エポック(良き時代の意)と呼ばれる、明るく華やかで自由な時代でした。

ベル・エポックのモンマルトルには、ボヘミアン風(自由奔放的、放浪的)な生活を送る前衛的な芸術家たちが集まり、自由な活気に溢れていました。ルノワール、ロートレック、モディリアーニ、ピカソ、ゴッホなど、のちに巨匠となる画家たちが集まり、さまざまな伝説が生まれました。モンマルトルは、芸術家の聖地でした。

ユトリロは、モンマルトルの芸術家たちの愛人でもあった奔放な母のもとに生まれます。愛情を得られないと感じたユトリロは、精神衛生上の慰めとして絵を描くようになります。モンマルトルの風景を抒情的に描き、国民的画家として生涯を閉じました。

ユトリロは唯一フランス人の「エコール・ド・パリ」の画家

第一次世界大戦後と第二次世界大戦の間に、ヨーロッパの各地からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まり、コミューンを形成した芸術家を「エコール・ド・パリ(パリ派)」と総称します。彼らの多くは外国から来たユダヤ人で、ボヘミアン的な生活を送りながら独自の具象を追求していました。

ユトリロもエコール・ド・パリの画家の一人に数えられますが、その中で唯一、モンマルトルに生まれ育った画家でした。しかしユトリロもまた、外国人画家と同様にボヘミアンな生活を送り、モンマルトルを彷徨いながら絵を描き、酒場で絵を売ることもありました。

エコール・ド・パリの画家には、若き日の藤田嗣治や、キスリング、シャガール、モジリアニなどがいました。

ユトリロの生涯とは?

ユトリロの描いたモンマルトルの風景

恋多き母との確執から10代でアルコール中毒に陥った

ユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドンは、10代の頃、パリで活躍する画家たちのモデルをしていました。ルノワールの肖像画や、ロートレックの有名な作品『二日酔い』のモデルなどをつとめました。

シュザンヌは、モデルの仕事で知り合ったドガのもとで絵画を学び、のちに画家となります。芸術家たちと奔放に交際し、18歳のときにユトリロを産みますが、父が誰かはわかっていません。ユトリロを産んだあとは、ロートレックや作曲家のエリック・サティなどと愛人関係になりました。

「恋多き女」であった母からユトリロは愛情を受けることができず、寂しい少年時代を過ごします。ユトリロは10代でアルコール中毒に陥り、入退院を繰り返しました。

破綻した生活だったが晩年は富と名声を得た

第一次世界大戦後のユトリロは、アルコールからは抜け出せませんでしたが、モンマルトルの抒情の画家として次第に人気作家となり、名声と富を得てゆきます。

1935年、52歳で初めての結婚をし、晩年は高級住宅地に家を建てて住みながら絵を描きました。71歳のときに静養先で急逝しますが、葬儀には数万人が集まったとされ、パリの人気作家として名声のうちに亡くなりました。亡くなった年には、パリ名誉市民賞も受賞しました。

ユトリロの作品の特徴とは?

ユトリロの描いたモンマルトルの風景

繰り返し描いた「モンマルトル」と「ラパン・アジル」

モンマルトルは、パリで一番高い丘の上にある地域の名で、丘の頂上にはビザンチン風の白い円屋根が印象的なサクレ・クール寺院があります。かつてエコール・ド・パリの聖地となり、数々の伝説が残るモンマルトルは、現在はパリ有数の観光名所となっています。

ユトリロは、モンマルトルを中心として、静謐さをたたえる抒情的な風景画を繰り返し描きました。モンマルトルの中心にあるテルトル広場や、そこに至るノルヴァン通りなどは愛着が深く、何度も繰り返し描いています。

特にモンマルトルの芸術家たちのたまり場であったシャンソン酒場「ラパン・アジル」とはゆかりが深く、深酒をしながら店の絵を多く描きました。ラパン・アジルにはピカソやブラックも通っていました。

「白の時代」が作品のピーク

ユトリロの画風には変遷がありますが、第一次世界大戦が始まる1914年頃までの「白の時代」の作品が最も評価が高く、ユトリロの代表作品のほとんどはこの時代のものです。モンマルトル界隈の、階段のある坂道や教会などの街並みを数多く描きました。

白の時代の作品は、白を基調とした色彩でまとめられた、詩情あふれる風景画です。現在の観光地となったモンマルトルには失われた、古き良きパリの時代への郷愁を思い起こさせます。

まとめと美術館の紹介

ユトリロは、前衛芸術家が集まった19世紀末のパリ・モンマルトルに、画家のモデルをしていた奔放な母のもとに生まれました。10代の頃からアルコール中毒となり、破綻した生活を送りながら、詩情あふれるモンマルトルの街並みを繰り返し描きました。

ユトリロの作品を鑑賞できる日本の美術館には、神奈川県箱根町のポーラ美術館があります。白の時代の代表作『ラパン・アジル』も所蔵しています。