「アルチンボルド」とはどんな画家?代表作品「四季」や生涯を解説

「アルチンボルド」は野菜や果物を寄せ集めた奇妙な肖像画で知られる宮廷画家です。アルチンボルドはどのようにして、一度見たら忘れられないような独自の絵画に至ったのでしょうか?

この記事では、アルチンボルドの生涯に触れながらその画業の道筋を解説します。あわせて代表作品「四季」の連作『春』『夏』『秋』『冬』と皇帝の肖像画についても解説します。

「アルチンボルド」とはどんな画家?

アルチンボルド自画像
(出典:Wikimedia Commons)

アルチンボルドは神聖ローマ帝国皇帝に仕えた「奇想の宮廷画家」

ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo、1526年~1593年)とは、ハプスブルク家出身の神聖ローマ帝国皇帝に仕えた、イタリア・ミラノ出身の画家です。風変わりな皇帝の期待に大いに応え、独自の様式を確立するとともに地位と名誉を得ました。

作風は「果物や動植物などを寄せ集めて擬人化」した奇妙な肖像画

アンチンボルドは宮廷画家として、果物や動植物などを寄せ集めて擬人化した奇妙な肖像画を多く制作。その常識を超えた独自の作風から「奇想の画家」として知られ、シュルレアリスム以降の芸術家たちに大きな影響を与え続けています。

彼の人柄などを伝える資料はほとんど残されていませんが、非常に多才な人物であったようです。万能の人レオナルド・ダ・ヴィンチからの影響も受けていたとされます。

「アンチンボルド」はなぜ独自のスタイルに至ったのか?

宮廷画家としての活動から独自のスタイルへ

アルチンボルドは宮廷に仕える前には、ルネサンス期のあとのマニエリスムの画家として宗教画などを描いていました。しかしイタリアを離れ、宗教的でない芸術を求める宮廷に仕えたことをきっかけに、イタリアの伝統的な様式から離れ、宗教とは無縁の独自のスタイルを確立しました。

当時のヨーロッパでは、王侯貴族が珍品をコレクションして「宝物殿」を客に公開し、その博識や財力を誇っていました。時は大航海時代で、未知の文物への熱狂から蒐集ブームが起こっていたのです。宮廷には、各地から取り寄せた珍しい品物や芸術品が溢れていました。それらは画家の芸術の素材となりました。

皇帝たちのコレクションを詰め込んで絵を描いた

アルチンボルドは皇帝たちが蒐集していた動植物のコレクションを自由に見学することができました。画家は自身の自然や科学への興味と、皇帝の珍しいものへの収集の情熱を、卓越した技術で絵画に反映させることができました。

アルチンボルドは皇帝とハプスブルク家への礼賛として、それらのコレクションを詰め込んだ肖像画を描き、皇帝たちはアルチンボルドの絵をたいへん気に入り、私邸に飾ったり他国の王や親族に贈ったりしました。

「アルチンボルド」の代表作品を解説

繰り返し描いた「四季」の連作

アルチンボルドの代表作品で、最も人気がある作品が「四季」の連作です。「四季」シリーズは繰り返し描かれた『春』『夏』『秋』『冬』の連作で、四季折々の花や野菜、果物などを組み合わせて擬人化した肖像画です。「寄せ絵」や「合成肖像画」とも呼ばれます。

「四季」の『春』は若い男性あるいは女性、『夏』は若い女性、『秋』は成人した男性、『冬』は年老いた男性の姿を表しているとされます。

『春』


『春』(1573年)ルーヴル美術館・パリ
(出典:Wikimedia Commons)

皇帝のコレクションである草花を細密に描写しており、描かれた種類は80種類だと分析されています。さらに植物を特定できるほど写実的に描かれています。

『夏』


『夏』(1573年)ルーヴル美術館・パリ
(出典:Wikimedia Commons User:Mattes)

夏に収穫される野菜や果物で構成されています。当時のヨーロッパでは珍しかったナスやトウモロコシなども描かれており、最新の植物図鑑のようです。

『秋』


『秋』(1573年)ルーヴル美術館・パリ
(出典:Wikimedia Commons)

秋の果物・野菜やキノコが描かれています。葡萄と樽はローマ神話のワインの神、バッカスを連想させます。

『冬』


『冬』(1573年)ルーヴル美術館・パリ
(出典:Wikimedia Commons)

枯れかかったような木の幹から構成された人物は、マクシミリアン2世の肖像だとも研究されています。頭上の枝はローマ皇帝の月桂冠を表しているようです。

晩年の傑作『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像』


『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像』(1591年)スコークロステル城・スウェーデン
(出典:Wikimedia Commons User:Crisco 1492)

アルチンボルド晩年の傑作とされるルドルフ2世の肖像画です。四季折々の草花や果物、野菜、穀物はルドルフ2世の治世の豊穣と調和を表しているとされます。皇帝はこの作品を称賛し、翌年には画家に爵位を授けました。

「ウェルトゥムヌス」とは、ローマ神話に登場する、果樹と果物を司る植物の神の名です。変幻自在に姿を変える変身能力を持つという逸話があり、アルチンボルドは皇帝の変身願望をウェルトゥムヌスに託したのではと言われています。

ルドルフ2世は、現実離れした構想を持っており、占星術や錬金術によって国を融和しようとしていました。政治には功績を残さず、錬金術や珍品の収集に熱中する変人として知られる皇帝でした。

「アルチンボルド」の生涯とは?

ルドルフ2世の肖像
(出典:Wikimedia Commons User:Austriacus)

3代にわたる神聖ローマ帝国皇帝に仕えた

アルチンボルドは画家の父のもとに生まれ、父から芸術の手ほどきを受けました。初期にはミラノ大聖堂のステンドグラスの絵や宗教画を手掛けました。

1562年に神聖ローマ帝国皇帝となったフェルナンド1世にその腕を評価され、ウィーンに移ります。その翌年にフェルナンド1世のために最初の「四季」の連作を制作し、その後も繰り返し描くことになります。

フェルディナンド1世に仕えたのちには息子のマクシミリアン2世と、その息子のルドルフ2世にも仕えました。マクシミリアン2世はアルチンボルドに宮廷肖像画家の称号を授けました。宮廷画家としての仕事は25年にわたりました。

なお、神聖ローマ帝国とは、10世紀に成立して19世紀はじめまで続いた、神聖ローマ皇帝と呼ばれる君主をいただく国家です。ハプスブルク家が皇帝の座をほぼ独占しました。

晩年はミラノに戻り絵画制作を続けた

1587年、アルチンボルドはルドルフ2世に引退を願い出て故郷のミラノに戻り、晩年を過ごしました。ミラノにおいても絵画制作は続け、『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像』(1591年)など、いくつかの傑作を残しました。

ルドルフ2世は1612年に亡くなりますが、晩年はうつ状態であったとも言われ、城に監禁状態となってひっそりと亡くなりました。

まとめ

アルチンボルドの作品は19世紀まで忘れられていましたが、象徴派のルドンやシュルレアリスムのダリやマルセル・デュシャンによって再評価されたことがきっかけで、人気が高まりました。

アルチンボルドの絵画は、ただ単に奇妙な絵ということではなく、その写実性や卓越した想像力が称賛されています。それとともに、当時の知識階級にとっては自明であったと思われる、さまざまな暗喩を込めたモチーフが、現在はもう解明することのできないことから、謎を秘めたミステリアスな画家としても話題を集めています。