「アールブリュット」の意味とは?提唱者や作家・美術館も解説

「アール・ブリュット」とは、正規の芸術教育を受けていない人が生み出すアートのことで、アウトサイダー・アートとも呼ばれます。近年、日本の芸術家を紹介するアール・ブリュット展が海外で高い評価を得ています。

この記事では、アール・ブリュットの意味や定義をその提唱者とともに解説します。あわせて作家や美術館などについても紹介します。



「アール・ブリュット」の意味とは?

Adolf Wölfli 『General view of the island Neveranger』(1911年)
(出典:Wikimedia Commons User:Opencooper)

「専門的な美術教育を受けていない人のアート」という意味

「アール・ブリュット」とは、専門的な美術教育を受けていない人が、湧き上がる衝動に従って自分のために制作するアートを意味する美術用語です。

アール・ブリュットの芸術家の多くは、精神的・知的障害を持つ人ですが、刑務所の受刑者などもいます。絵画や造形作品、民族芸術など、多岐にわたる分野の作品があります。日本のアール・ブリュットも世界で高い評価を得ています。

「アール・ブリュット」とはフランス語で「加工されていない芸術」という意味

「アール・ブリュット」は「加工されていない芸術」という意味のフランス語「art brut」が語源です。フランス語の「brut」が「生のまま、自然のまま」という意味であることから、「生(き)の芸術」とも訳されます。

「アール・ブリュット」は第二次世界大戦後の前衛思想から生まれた

第二次世界大戦後の1950年代のヨーロッパでは、大戦によって傷ついた精神状況が反映された前衛芸術の流れが起こりました。その一つに「アンフォルメル(不定形)」があります。美という観念や戦前の文化に背を向けて、素材や絵肌(マチエール)から芸術を表現しようとする傾向です。

アンフォルメルの先駆者が、デュビュッフェです。彼が戦後の前衛芸術思想の中から新しい芸術の概念を提唱しました。

「アール・ブリュット」の提唱者は?

デュビュッフェのポートレート
(出典:Wikimedia Commons User:Federico Leva)

提唱者はフランスの画家「ジャン・デュビュッフェ」

「アール・ブリュット」の概念を提唱し、その名称を考案したのはフランスの画家「ジャン・デュビュッフェ」(1901年~1985年)です。デュビュッフェは、ワイン商を営みながら絵を描き、1944年に43歳で初めての個展を開いた遅咲きの画家でもあります。

1948年に「アール・ブリュット協会」を設立し、精神的・知的障害を持つ人の絵を収集し、そのコレクションを広める活動を行いました。

デュビュッフェ自身の作品も、伝統的な西洋絵画を否定し、子どもの落書きのような作風であるため、アール・ブリュットの枠組みで語られることがあります。

デュビュッフェが「アール・ブリュット」から児童画や日曜画家を外した

デュビュッフェは、「手を加えていない芸術」であるアール・ブリュットの概念から、あいまいな領域にある児童画や日曜画家の芸術を外しました。児童画は初歩的な言語を描いているだけであり、日曜画家は文化的芸術の文脈にあるとしたためです。

また、デュビュッフェは「狂気はそれをもつ人間を解放し、翼を与える」と述べ、「身体の病気のひとの芸術のジャンルがないように、狂人の芸術というものはない」と述べました。芸術の創造には人間の奥底にひそむ「狂気」が豊かな源泉となりますが、それは「狂人」がもつ症状ではないとしたのです。

デュビュッフェ自身もアール・ブリュットの作品を制作

デュビュッフェ自身の作品もアールブリュットの精神である、文化の影響を受けず個人の創造的欲求から生み出される作品が真の芸術であるとした考え方による作品を制作しました。

彼の代表作『ご婦人のからだ(ぼさぼさ髪)』(1950年)では、あえて稚拙な表現でグロテスクな人物を描き、土の壁のような質感と色彩で、洗練されたフランス近代絵画を拒否しました。

彼の作品や彼の収集したアールブリュットの作品は、第二次世界大戦後のヨーロッパ芸術のひとつの方向を示すものです。

「アール・ブリュット」の代表的な作家とは?

アール・ブリュットの最初の芸術家ヴェルフリ

Adolf Wölfli 『Irren-Anstalt Band-Hain』(1910年)
(出典:Wikimedia Commons)

アドルフ・ヴェルフリ(1864年~1930年)は、アール・ブリュットに関係した最初の芸術家の一人です。スイスのベルンに生まれ、精神病院に入所したときに絵を描き始めました。生涯において複雑で強烈な絵画を膨大に制作しました。コレクションはベルン美術館に収蔵されています。

もう一つの名称「アウトサイダー・アート」

デュビュッフェが命名し、概念を創った「アール・ブリュット」は、彼が名称の使用を限定したため、研究者の団体が作られたり関連書籍が出版されるたびに、新たな名称が生まれました。

1972年に英国のロジャー・カーディナルが、英語の「アウトサイダー・アート」という名称を用いると、その名称が広まりました。「アウトサイダー・アート」の概念においては、デュビュッフェの考え方は薄められ、より広い枠組みで語られるようになりました。

「アウトサイダー(外側の人)」とは、「インサイダー(内側の人)」の反対語であるため、社会的孤立者や門外漢といった差別的な意味を連想させますが、「アール・ブリュット」の語には疎外するイメージは含まれておらず、両者の概念には異なる部分があります。

「アール・ブリュット」の美術館は?

「アール・ブリュット・コレクション」入口(スイス・ローザンヌ)
(出典:Wikimedia Commons User:Sailko)

デュビュッフェのコレクションを集めた「アール・ブリュット・コレクション」

デュビュッフェは、5000点を超えていたコレクションを自分の死後に管理できる機関を探し、スイスのローザンヌ市への寄贈が決まりました。1976年にローザンヌの貴族の邸宅「ボーリュー館」を改修したアール・ブリュット・コレクションがオープンしました。

この美術館の開館により、文化の枠外にあった作家の芸術作品が、芸術として認知され、差別されることなく公的な場で展示されることになったのです。その名称に美術館の語が用いられていないのは、それまでの美術の伝統的価値観を嫌ったデュビュッフェが命名したものです。

日本のアール・ブリュットを紹介する「ボーダレス・アートミュージアムNOーMA」

滋賀県の社会福祉法人が運営するボーダレス・アートミュージアムNOーMAは、障害の有無などあらゆる境目を超えたアートの振興を目的として運営されている美術館です。2006年からアール・ブリュット・コレクションと連携し、日本のアール・ブリュット作品を海外に紹介し、高い評価を得てきました。

まとめ

アール・ブリュットとは、「加工されていない芸術」という意味のフランス語が語源の芸術用語です。提唱した美術家ジャン・デュビュッフェはワイン商を営んでいたことから、手を加えていない「生のまま」の辛口シャンパン「シャンパーニュ・ブリュット」を応用したのかもしれません。

アール・ブリュットとは、美術の専門的な教育を受けていない人が、湧き上がる衝動に従って自分のために制作したアートのことを指します。日本では、知的障害者の制作する美術を指すことが多く、日本のアール・ブリュットは世界でも高く評価されています。

近年では、2018年に『日本のアール・ブリュット もう一つの眼差し』と題した展覧会がスイスの「アール・ブリュット・コレクション」で開催され、同時期にパリでは「アール・ブリュット ジャポネ」展が開催され、成功を収めました。

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趣味は読書とヨーロッパ旅行です。ドイツには5年余り滞在経験があります。某大学の人間科学部とデザイン学部を卒業。人生が豊かになる知識の探索を人生の糧にしています。