「ロマン主義」とは?絵画や文学・音楽の特徴をわかりやすく解説

近代芸術の始まりとなる芸術運動が「ロマン主義」です。ロマン主義時代には、絵画・文学・音楽など分野の垣根を超えて芸術家たちが互いに影響を及ぼしました。

この記事では、ロマン主義とは何か、そしてその成り立ちをわかりやすく解説するとともに、前後の芸術運動である古典主義や自然主義についても解説します。あわせて代表的な作家と作品も紹介しています。

「ロマン主義」とは?

「ロマン主義」とは自由な感性を尊重した芸術運動

「ロマン主義」とは、18世紀後半から19世紀中頃の間のヨーロッパに興った芸術運動です。産業革命や独立戦争が起こったヨーロッパでは、伝統的な社会体制や宗教に反発する動きが現れました。社会が揺れ動く時代に興った芸術運動の一つがロマン主義です。

ロマン主義は、それまでの理性や合理性を重んじる古典主義に対して、自由な感性による感情表現や多様な美の表現を尊重しました。ロマン主義時代には、文学、絵画、音楽、演劇など幅広い分野の芸術家たちが互いに影響を及ぼしあいました。

ロマン主義は「想像的な世界観」が特徴

ロマン主義は英語では「romanticism(ロマンティシズム)」、フランス語では「romantisme(ロマンティスム)」と書きます。甘美な気持ちや情緒的な感情をロマンティックと形容するのはここからきています。

ロマン主義者たちは自然を崇め、「自然に還る」ことを求め、自然の名のもと、自由や力、愛などを崇拝し、非現実的な世界に憧れました。言い換えるなら、現実に対する否定的な態度をとり、夢のような想像の世界を求めました。

「ロマン主義」の代表的な作家

ロマン主義の代表的な画家には、フランスのウジェーヌ・ドラクロワ、ドイツのカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、イギリスのウィリアム・ターナーなどがいます。文学では、フランスの詩人・小説家のヴィクトル・ユーゴー、イギリスの詩人バイロン、ウィリアム・ワーズワースなどが代表的な作家です。

音楽ではフランスのベルリオーズ、オーストリアのシューベルト、ドイツのシューマン、ポーランドのショパンらがロマン派を代表する作曲家です。

「ロマン主義」は近代絵画のはじまりとなった

ボードレールはロマン主義を「最も新しい、最も近代的な表現である」と述べています。古典主義の認識では、すべての人間はその普遍的な理性を通じて共通の世界に結ばれているとの認識でしたが、人間はひとりひとり違う感性を持ち、違う「感じ方」を持っているというロマン主義は、様式の統一という伝統を打ちこわし、近代絵画の精神を誕生させました。

伝統的なアカデミー絵画のヒエラルキーでは、神話や聖書を主題とした歴史画が頂点にあり、その下に王侯貴族の肖像画、静物画、風景画が続き、庶民の日常を描いた風俗画は最下位に位置付けられていました。風俗画が地位を確立するのはブルジョワ社会が台頭する19世紀です。個人の生活が発見される前段階にロマン主義があったのです。

「ロマン主義」の由来とは?成り立ちをわかりやすく解説

「ロマン主義」の語はロマンス語で書かれた文学が由来

ロマン主義の語は、ロマンス語で書かれた文学に由来します。18世紀末にはアーサー王伝説や聖杯伝説など中世の騎士物語や恋愛物語が人気となり、これらの物語は、ラテン語ではなくロマンス語で書かれました。

ロマンス語とは、古代ローマ帝国で使われていたラテン語の口語を起源とするイタリア語やフランス語、スペイン語などのヨーロッパ諸言語の総称です。

ロマンス語で書かれた物語は「ロマンス」と呼ばれ、主人公たちの純粋な愛と理想を探究する精神や、怪奇・幻想に富む物語性が「ロマン主義」の芸術運動に融合しました。特に、イギリス、ドイツの神秘的な感性はロマン主義の世代の文学や絵画、音楽を生み出すインスピレーションの源泉となり、フランスにも広まりました。

「古典主義」への反動として”ロマン主義”が興った

ロマン主義は古典主義への反動として興りました。古典主義とは、古代ギリシャ・ローマの古典作品を規範とし、普遍的な理性に基礎を置く美学の様式です。合理性や理性、調和、形式美を尊重し、万人にとっての理想の芸術を厳格に目指しました。

美術ではルネサンスの根本思想となり、文学ではフランスのモリエールやドイツのゲーテ、シラーらによって展開されました。

見習うべき規範や法則に従う完全な美の構築を目指した古典主義に対し、ロマン派の芸術家たちは美のヒエラルキーや堅苦しい規則の制約を否定し、自由な創造活動を主張しました。

古典主義は理性を尊重したのに対し、ロマン主義は感受性を大切に考えたといえます。それぞれの人間の感じ方は異なり、共通の理想に縛られないとする考え方は、共通の様式を失う近代絵画の誕生の礎となりました。

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「ロマン主義」の反動として”写実主義”が興った

ロマン主義への反動として、19世紀中頃にフランスを中心として「写実主義(リアリズム)」の潮流が起こりました。近代的な市民社会が形成されると、身近な題材や、わかりやすく写実的な表現などが好まれるようになったのです。

古典主義や新古典主義、ロマン主義は歴史や神話、寓意などを主題としましたが、写実主義は庶民の生活や労働など、美醜を問わない人間の真の姿を描きました。

写実主義の延長上に「自然主義」が誕生

さらに写実主義の延長上に、理想や空想を排し自然の事物を忠実に写し取ろうとする自然主義が生まれました。真実を直視し、人間や社会を客観的に把握しようとする潮流が起こったのです。

日本においては、20世紀初頭に自然主義文学が発展し、島崎藤村などが活躍しました。

ロマン主義の絵画・文学・音楽と作家を紹介

フランス・ロマン主義絵画を代表する「ドラクロワ」『民衆を導く自由の女神』

(出典:Wikimedia Commons User:Crisco 1492)

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798年~1863年) は、フランス・ロマン主義を代表する画家です。古典主義のドミニク・アングルと対立しながら反体制の立場で、個性を尊重した情緒的・躍動的な作品を制作しました。

1830年に起こったフランス7月革命を主題とする『民衆を導く自由の女神』(1830年)は、革命というテーマや絵画スタイルからロマン主義絵画の代表作品とされます。

自由・平等・博愛を象徴するフランス国旗を掲げる女性の乳房は母性、すなわち祖国を表わしています。力強い色と躍動的な構成に激しい感情が表わされています。

ドイツ・ロマン主義絵画を代表する「フリードリヒ」『雲海の上の旅人』

(出典:Wikimedia Commons User:Cybershot800i)

ドイツ・ロマン主義を代表する画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774年~1840年)は、孤独と無常の精神性と、写実性を融合させた独自の作風を完成させました。

生涯において風景画を描き続け、芸術の源泉は純粋で素朴な魂の言葉であると述べています。フリードリヒの芸術に対する「新しい感受性」は、日本風景画の巨匠、東山魁夷に影響を与えたことでも知られています。

『雲海の上の旅人』(1818年)は、ロマン主義絵画とフリードリヒ絵画の特徴を備えたロマン主義絵画を代表する傑作です。実際のドイツのいくつかの山をスケッチしたものを再構成した岩山と、岩の上に立ち、荒涼とした景色を眺めながら内省するような後ろ姿の若い男が描かれています。峻厳な自然とそれに立ち向かう崇高な人間存在が表現されています。若い旅人はフリードリヒ本人です。

ロマン派文学の旗手「ヴィクトル・ユーゴー」『レ・ミゼラブル』

フランスの詩人で小説家のヴィクトル・ユーゴー(1802年~1885年)は、ロマン派文学の旗手として知られます。政治体制が激変した19世紀のフランスにおいて、旧体制を破壊し、芸術の革命を目指しました。

『レ・ミゼラブル』は、フランスにおいて今日でも聖書に次いで2番目に読まれている、ロマン主義文学の傑作です。「レ・ミゼラブル(Les Misérables)」とは「貧しい人々」「哀れな人々」という意味です。

この大河小説は、貧困の中に生まれたジャン・ヴァルジャンの数奇な64年の生涯を描いたものです。パンを盗もうとして取り押さえられたジャン・ヴァルジャンは、19年間の服役ののち、さまざまな偶然に彩られながら殉教ともいえる人生を送ります。

ユゴーは、グロテスクなものと崇高なものが結びつくところにロマン主義の美が生まれると考え、犯罪者であり聖人でもあったジャン・ヴァルジャンは、ロマン主義文学を体現する存在として描かれました。

フランス・ロマン派の作曲家「ベルリオーズ」『幻想交響曲』

エクトル・ベルリオーズ(1803年~1869年)は、フランス・ロマン派の代表的な作曲家です。画家のドラクロワや作家のユーゴ―、バルザックらと親交を結び、ロマン主義芸術から着想を得て幻想的な曲を多く作りました。

初期の代表作『幻想交響曲』(1830年)は、原題が『ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲』であるとおり、恋愛に絶望した自身の体験を幻想的に表現したものです。

まとめ

1700年代の後半から1800年代の中頃にかけて、ヨーロッパの芸術家たちが分野を超えて発展させ、近代芸術の基礎を作った芸術運動がロマン主義です。

ロマン主義以前は、古典主義と呼ばれる古代ギリシャ・ローマの美術様式を受け継ぐ厳格な芸術の時代でした。これに対してロマン主義の芸術家たちは自由な感性を大切にし、感情や情熱を表現しました。

日本においては、近代社会への動きが出てくる1800年代末からロマン主義の動きが起こります。文学では北村透谷や与謝野晶子などが活躍し、島崎藤村はロマン主義から出発して自然主義文学の旗手となりました。