「アンディ・ウォーホル」は20世紀アメリカ美術を代表するポップアートのスター的な芸術家です。スープ缶やマリリン・モンローのポスターなどは現在も人気があり、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
この記事ではアンディ・ウォーホルとはどのような芸術家なのかと、代表作品を解説します。あわせて名言も紹介しています。
「アンディ・ウォーホル」とは?
CM出演時のアンディ・ウォーホル(アンディ・ウォーホル現代美術館)
(出典:Wikimedia Commons User:Doko)
「アンディ・ウォーホル」とは20世紀を代表するポップアートの大スター
アンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928年~1987年)とは、20世紀アメリカを代表する芸術家です。画家・版画家としての活躍の他に、音楽や映画なども手掛け、マルチ・アーティストとして活躍しました。
ウォーホルが活躍した1960年代はアメリカ文化が最も輝いていた時期で、ウォーホルはアメリカを代表するポップアートの代名詞となりました。ピカソが20世紀前半の芸術界を代表するスターであったとすれば、ウォーホルは20世紀後半を代表するスターだと言われています。
ポップアートとは、大量消費社会を示す量産品や広告などを美術のなかにテーマとしてもちこみ、伝統的な芸術の概念を破壊した現代美術の運動です。20世紀前半のアメリカに生まれ、世界に影響を与えました。漫画を扱ったロイ・リキテンスタイン(1923年~1997年)もポップ・アートの代表的な画家です。
ウォーホルはポップアートをビジネスとして成功させた
ウォーホルは最初は商業イラストレーターとして有名になり、経済的にも成功しますが、純粋芸術家(ファイン・アーティスト)になりたいと考えるようになります。20世紀中頃のアメリカでは現代美術が大きなビジネス市場として成長しており、ウォーホルは参入を決意します。
「僕の望みはビジネスアーティストになることだ」とウォーホルが語った言葉がよく引用されますが、商業美術の成功と同じように、純粋美術でもビジネスとして成功したいと考え、結果として大きな成功を収めました。
アーティストとしてのデビューは、1962年に発表したキャンベル・スープ缶を描いた32枚の作品でした。
1960年代の「ファクトリー」での制作がウォーホルのピーク
1963年にウォーホルは巨大なアトリエをオープンさせ、シルクスクリーンの作業や映画や音楽の活動の拠点としました。アシスタントの他に多くのアーティストや薬物中毒者なども出入りし、アトリエは「ファクトリー」と呼ばれる聖地となりました。
アトリエをファクトリー(工場)と称し、また広く開放したことは、ウォーホルが芸術を密室での孤独な作業によって生み出されるものではなく、工場で大量生産される日用品のようなものだと考えていたことを表わしています。
しかし1968年に、以前からファクトリーに出入りしていた女性から拳銃でウォーホルが襲撃されるという事件が起こります。それを機にファクトリーの入場は制限され、ウォーホルは2か月の入院生活を余儀なくされ、復帰するものの以前のような活動が再会されることはありませんでした。
70年以降はテレビ番組をプロデュースするなど活躍の場を広げますが、美術作品にはピーク時の輝きはなく、1987年に58歳で心臓発作によって亡くなりました。
「ウォーホル」の代表作品を紹介
大量消費社会アートの象徴「キャンベルスープ缶」
ウォーホルは1962年にキャンベルスープの缶ラベルの絵で構成された個展を開催します。当時キャンベル社から発売されていたさまざまな風味の32種類のスープ缶のデザインを忠実に写し取ったもので、同じモチーフの反復に微妙な差異が取り入れられていました。
キャンベルスープのモチーフは資本社会の現実である大量消費社会のイメージであり、その当時全盛期を迎えていたジャクソン・ポロックなどの深い精神性を感じさせる抽象表現主義への反発でもありました。
ウォーホルが描いたクールで無個性なスープ缶の絵は、ウォーホルの代表作品となるとともに、大量消費社会におけるアートの象徴となりました。
さらに1964年の個展では、ハインツのトマトケチャップやケロッグのコーンフレークなど、日用商品の荷造り用の段ボールを転写した立体作品を展示しました。いつでも好きな時に食べられる加工食品は、明るく便利で豊かな社会を象徴するものとして、ポップ・アートの代表的なテーマとなりました。
スターの孤独と死をイメージした「マリリン・モンローの肖像」
ウォーホルが手掛けた作品のジャンルに、映画スターや著名人をモデルとした肖像画作品があります。中でもマリリン・モンローの肖像画がよく知られおり、キャンベルスープ缶と並ぶウォーホルの代名詞になっています。
作品には工業用の蛍光塗料が用いられ、人工的で派手な色調で多くの配色パターンが作られ、シルクスクリーンの技法によって何枚も複写されました。シルクスクリーンは版画の一種で、写真のように同じイメージを何枚も転写することができます。カンヴァスにシルクスクリーンを用いたウォーホルの技法は画期的で、大量社会の美術にふさわしい絵画として大衆に受け入れられました。
1962年に36歳でモンローが自殺したとき、ウォーホルはラジオでニュースを聞いてすぐに絵を描こうと思い立ったといいます。孤独が垣間見える表情をした顔だけを切り取り、けばけばしい色彩で彩られたマリリン・モンローの作品には、ウォーホルが感じ取った孤独と死のイメージが重ねられています。
ウォーホルが綴った名言
ウォーホルは自伝やエッセイなどで多くの言葉を残しました。エッセイ『ぼくの哲学』に記されたウォーホルの名言を紹介します。
僕は普通のかっこよさが一番好きだ。「かっこ悪い」のは嫌だが、ただ「普通」でいい
ものが美しく見えるのはただほかと違っているからというだけのときがある。窓辺の花壇の白いペチュニアの中に赤いのがひとつあれば見事にきれいだし、その反対もあり得る
女優は自分が出た芝居と映画を数え、モデルは写真の数を数え、作家は書いた文字数を数え、絵描きは描いた絵を数えるべきだ。それが自分の価値。そうすれば自分が有名であることやオーラを売るなんていう考えにひっかからなくていい
金を作るのは技術だし、働くのも技術だし、うまくいっている商売は一番最高のアートだと思う
僕はいつも残り物で残り物のことをするのが好き。みんながいらないと思って捨ててもおもしろいものになる可能性があるんだ
アメリカという国の偉いところは金持ちでも貧乏人と同じものを消費するっていうことだ
時が変えてくれると人は言うけれど、実は自分で変えなければならない。何年も同じ問題で惨めになっている人もいるけど、だからどうなの、と言えばいい。
まとめ
アンディ・ウォーホルは、人間が大量の物に囲まれて生きる時代となった根本的な時代の変化を、スープ缶や洗剤の箱をテーマとすることで表現し、現代アートの前衛であったアメリカのポップアートを誕生させました。
また、ウォーホルはビジネス・アーティストとしての成功を望み、人々のライフスタイルが大きな転換期を迎えた20世紀後半の時代を先取する形でアートを巧みにプロデュースし、経済的にも大成功を収めました。