「アンリルソー」とはどんな画家?代表作品『眠るジプシー女』も

「アンリ・ルソー」は日曜画家から出発し、正式な美術教育を受けることなく独自の感性で絵を描き続けたフランスの天才画家です。批評家には酷評されましたが、ピカソや同時代の前衛芸術家たちに高く評価されました。この記事では、アンリ・ルソーとはどのような画家なのかを紹介し、あわせて代表作品を解説します。

「アンリ・ルソー」とはどんな画家?

ルソーのポートレート(1907年)
(出典:Wikimedia Commons User:Racconish)

「アンリ・ルソー」とは「素朴派」を代表するフランスの天才画家

アンリ・ルソー(Henri Rousseau、1844年~1910年)とは、19世紀後半から20世紀初頭のフランスの画家です。美術史上においては「素朴派」を代表する画家です。

正規の美術教育を受けず、遠近法を無視した空想的でプリミティブな絵を描いたルソーを端緒として、近代絵画における一領域として素朴派が定義され、ルソーがその代表的画家とされます。しかし、体系的な流派や様式に属さない、唯一無二の天才画家としてルソーを評価する傾向もあります。

多くの伝記やルソー論が書かれましたが、その作品や人生には謎が多く、未だ全容は未解明です。

日曜画家からスタートし、独自の視点で呪術的な絵を描いた

ルソーはパリ市入市税関に勤務しながら、仕事のかたわらに独学で絵を描く日曜画家からスタートしました。49歳のとき、22年間勤めた入市税関を退職し、画家として生涯絵を描き続けますが、最後まで遠近法は無視し続けました。

ルソーの絵は夢想的、呪術的な独特な作風で、そのため稚拙な絵だと批評家からは酷評されました。しかし同時代の詩人ギヨーム・アポリネールやピカソらに注目され、のちにはシュルレアリストや表現主義の画家に高く評価されました。

審査不要の「アンデパンダン展」に生涯出品し続けた

ルソーが絵を描き始めた頃のフランス絵画界は、長年続いていた保守的なアカデミーに支配される官展(サロン)への不満が鬱積し、革新的な印象派が台頭した時代でした。

ルソーは、印象派の絵画革命運動にはまったく興味は持っていませんでしたが、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャックらの新印象派がサロンに対抗して開催したアンデパンダン展に1886年に出品し、絵画界へデビューしました。

アンデパンダン展は、サロンの独断と偏見に満ちた時代遅れの審査から若手の画家を救い、絵画市場に参加する道を開くため、無審査で誰もが出品できるもので、素人の画家でも参加することができました。

ルソーは生涯のうち2回休んだだけで毎年アンデパンダン展に出品を続けました。この展覧会がなければルソーが作品を発表できる機会はなかったといえます。

発表した作品に対しては、激しい批判や嘲笑が浴びせられ続けましたが、晩年には高い評価を得て、画商や芸術家から多くの注文が入る人気画家となりました。

「アンリ・ルソー」の代表作品を紹介

初期の代表作『風景の中の自画像』1890年

(出典:Wikimedia Commons User:Flominator)

1890年に開催された第6回アンデパンダン展に出品された『風景の中の自画像』は、ルソーの初期の代表作です。背景にはエッフェル塔や万国旗、気球が描かれています。これらは前年にパリで開催された第4回万国博覧会の痕跡であり、ルソーは博覧会のエキゾチシズムや新奇性に強烈な印象を受けていました。

パリ万博に象徴されるパリの栄光と繁栄を背に、パレットを持ち正装した姿で立つルソーは画家としての自信に満ちているようです。重要な主題である自身が大きく描かれ、その足元に立つ人々は遠近法を無視して小人のように小さく描かれています。

最も有名で人気のある『眠るジプシー女』1897年

(出典:Wikimedia Commons User:Scewing)

ルソーの作品の中で最も有名で人気の高い作品が『眠るジプシー女』です。ルソー特有の静けさと呪術的な雰囲気が漂う作品です。1897年のアンデパンダン展に出品し、故郷のラヴァル市に買い上げを依頼しますが、当時はルソーの才能が理解されなかったため、断られています。

ルソーは依頼の手紙に、くたびれて眠っているオリエント風の服装をしたジプシーの女性とライオンが、詩的な月の下で出会うという作品のテーマを解説しています。

フォービズム命名のきっかけとなった『飢えたライオン』1905年

(出典:Wikimedia Commons User:Scewing)

前衛的な作家たちに活躍の舞台を提供するためにサロン・ドートンヌ展が1903年から開始され、1905年の回に『飢えたライオン』が出品されました。マティスやセザンヌの作品とともに本作品も評判を呼びました。

「腹を空かせたライオンがカモシカに襲い掛かってむさぼり食う。ヒョウは分け前を待っている」との銘文が出展時には添えられました。ところが、絵の舞台は熱帯のジャングルですが、実際にはジャングルにはライオンは棲息しておらず、カモシカの形も奇妙です。

ルソーは好んで熱帯や猛獣を描きましたが、それらは近くのパリ植物園でのデッサンや写真や絵本を見本にして描いたものでした。ルソーは植物園よりも遠くに行ったことはありませんでした。

また、この作品は「フォーヴィスム(野獣派)」という絵画様式が命名される発端になった事でも知られています。フォービズムは写実主義に反して感覚を重視し、明るい強烈な色彩で平面的に描く絵画様式です。

まとめ

アンリ・ルソーは独自の感性を持ち、遠近法や正確なデッサンを無視した幻想的な絵画を描きました。教育の欠如は、かえって唯一無二の芸術を生み出すための長所を引き出し、個性を際立たせることに結びつきました。

批評家からは批判と嘲笑を受けましたが、ピカソやマティスなど画家や芸術仲間にはその才能を称賛され、のちの芸術にも大きな影響を与えました。ルソーの構想力や感じた世界を絵画に映し出す表現力は本物だったのです。

しかしルソーはフリーメーソンの会員であったとの証言や、詐欺事件に巻き込まれ実刑判決を受けるなどその私生活には謎が多く残され、明確な人物像はいまだに解明されていません。