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「マリーローランサン」とはどんな画家?ピカソやルソーの逸話も

パステル調の優しい絵が人気の女性画家「マリー・ローランサン」は、新しい芸術が次々に生まれた20世紀前半のパリで活躍しました。ピカソのアトリエ洗濯船に集った前衛芸術家や、エコール・ド・パリの個性的な芸術家たちの一員として多くの逸話も残しました。この記事では、マリー・ローランサンとはどんな画家なのかを逸話とともに紹介します。

「マリー・ローランサン」とはどんな画家?

マリー・ローランサンのポートレート(1949年)
(出典:Wikimedia Commons User:Patricia.fidi)

「マリーローランサン」とは洗練された色彩で独自の表現を切り開いた画家

マリー・ローランサン(Marie Laurencin、1883年~1956年)とは、20世紀前半の芸術の都パリで活動した稀有な女性画家です。ピカソや同時代の前衛画家たちに影響を受けながらも、淡く洗練された色彩で美しい女性の肖像画を多く描き、独自の作風を確立しました。

マリーにとって重要なモチーフで、生涯にわたって繰り返し描いたのが「はかなげな女性」です。マリーは、花を持ったり真珠の装飾や首飾りを身に着けたりした未成熟ではかなげな女性を繰り返し描きました。華やかでありながら憂いのある独特の世界観がマリーの絵画の特徴です。

エコール・ド・パリに属する多彩な芸術家のうちの一人

マリーはパリに私生児として生まれますが、母親が令嬢のように育て、女性特有の柔らかな感性を磨きます。画家を志して勉強中の第一次世界大戦前には、ピカソやブラック、アポリネール、ルソーらに出会い、前衛芸術家の仲間入りを果たします。

第1次世界大戦後~第2次世界大戦前には、モンパルナスを中心に集まった多彩な芸術家たちが形成した「エコール・ド・パリ(パリ派)」の顔ぶれの中にマリーも属していました。

「エコール・ド・パリ」の画家たちは特定の活動や様式に拘束されず、抒情的で表現主義的な傾向を持ちます。モディリアーニやシャガール、藤田嗣治など個性的な画家がいました。

パリの上流社会で成功しシャネルの肖像画家を描いた

第二次世界大戦後は、パリの上流知識人社会に芸術的熱狂の時代が訪れました。マリーは社交界に迎えられ、有名人の間ではマリーに肖像画を注文するのが流行しました。シャネルの創業者ココ・シャネルもそのうちの一人でした。

フランスの服飾デザイナーとして成功を収めたココ・シャネルはマリーと同い年で、シャネルが成功を収めたその頃、マリーも同じく成功していました。マリーはローランサンを、堂々とした成功者というより、物憂げで哀し気な様子で描きました。

シャネルは仕上がった肖像画に満足せず、受け取りを拒否しました。マリーはシャネルをパリの芸術がわからない田舎者だと揶揄したとされます。マリーはパリに生まれたことに強い誇りを持っていました。

作品は現在、パリのオランジュリー美術館に収蔵されています。

多くの芸術家と交流したマリー・ローランサン

ピカソのアトリエ「洗濯船」に出入りし、ともに青春を過ごした

1910年頃の洗濯船
(出典:Wikimedia Commons User:Coldcreation)

若き日のパブロ・ピカソ(1881年~1973年)は、モンマルトルにアトリエ「洗濯船」を構え、そこには個性的な芸術家たちが集まってサークルを作っていました。ピカソと同年代のマリーも1907年頃からアトリエに出入りをはじめ、モディリアーニなど多くの芸術家たちと交友し、華やかな青春時代を過ごしました。

「洗濯船」はピカソが『アビニヨンの娘たち』を描き、キュビズムが誕生した場所として知られています。洗濯船に出入りし、ピカソとブラックに影響を受けたキュビスムを志向する画家たちが結集し、1911年に開催されたアンデパンダン展に出品したことがキュビスムが知られる契機となりました

マリーもキュビズムに影響を受けたと思われる絵を一時期に描いており、キュビストの画家として活動したこともありますが、のちに脱退し、独自の繊細な作風を究めてゆきました。

詩人ギヨーム・アポリネールとの恋愛

マリーは天真爛漫な性格で、男たちの人気の的となりましたが、なかでも詩人のギヨーム・アポリネール(1880年~1918年)がマリーに熱烈な恋をし、二人は恋人同士となりました。アポリネールは絵画学校の学生だったマリーを愛し、励まし、ミューズとして称賛しました。

二人は6年つきあったのち、マリーがアポリネールのもとを去ることになります。「ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ、われらの恋が流れる」で始まるアポリネールの代表作『ミラボー橋』は、マリーとの別れのあとに作った詩です。

マリーの肖像画を描いたアンリ・ルソー

アンリ・ルソー『詩人に霊感を与えるミューズ』(1909年)
(出典:Wikimedia Commons User:M0tty)

パリ市の入市税関に勤務しながら独創的な作品を描く日曜画家としてデビューした素朴派のアンリ・ルソーは、ピカソのアトリエでの交流を通じてマリーに出会います。ピカソら若い前衛芸術家は、批評家に酷評されていたルソーを支持し、マリーもルソーを敬愛していました。

マリーとアポリネールが親しくなった1908年の翌年に二人の肖像画『詩人に霊感を与えるミューズ』をルソーが描きました。作品はアンデパンダン展に出品され、ルソーの代表作となりましたが、モデルとなった二人の感想は「ちっとも似ていない」でした。

まとめ

マリー・ローランサンは、パリが国際的な芸術の中心であった20世紀前半に、エコール・ド・パリ(パリ派)の一員として独自の作風を確立しました。また、若き日のマリー・ローランサンはピカソやブラック、ルソーやアポリネールなど、フランスを代表する芸術家たちと交友し、多くの逸話が残っています。

マリー・ローランサンの柔らかな色彩と繊細な画風は日本でも人気が高く、1983年には世界で唯一のローランサン専門の美術館が蓼科高原に開設されました。2011年には惜しくも閉館し、2017年にはニューオータニガーデンコート内に美術館を再開しますが、2019年に再び閉館となりました。今後のコレクションの再開が待たれるところです。