「ジョット」とはどんな画家?代表作品や「ジョットの鐘楼」も

中世最大の画家である「ジョット」といえば、フィレンツェのシンボルであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を構成する「ジョットの鐘楼」が有名です。しかし最も重要であるジョットの代表作品の壁画がパドヴァにあることはあまり知られていないかもしれません。

この記事では、ジョットとはどんな画家なのかを解説します。あわせて代表作品と、ジョットと鐘楼とのかかわりについても紹介してゆきます。

「ジョット」とはどんな画家?

「ジョット」はルネサンスの先鞭をつけたイタリアの巨匠

ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone、1267年頃~1337年)は、中世後期に活躍したイタリア人画家で建築家です。絵画様式は後期ゴシック、または初期ルネサンスに分類されます。

ルネサンス以前のヨーロッパ中世における伝統的な絵画様式は、平面的・非写実的な形式に従った描写が主流でしたが、ジョットは空間や人物をはじめて写実的に描写し、人間の感情を初めて表現するなど、絵画に革新をもたらしました。

ジョットの革新性は、14世紀~16世紀に興隆するイタリア・ルネサンスの先駆けとなりました。ジョットの高い技術と卓越した才能は、同時代やのちの時代の画家や歴史家らから礼賛され、中世最大の画家と称されます。

師匠のチマブーエとともに近代イタリア絵画の礎を築いた

ジョット以前のイタリア・ゴシック期の重要な画家にチマブーエ(1240年頃~1302年頃)がいます。チマブーエは、それまで中世の主流であった図式的なビザンティン様式を一歩進めました。近代芸術につながる最初期の画家として重要な位置にいます。

美術史では伝統的にジョットはチマブーエの弟子であったと考えられています。チマブーエからジョットに繋がる系譜は、ルネサンスから近代絵画へと歩みを進めることになるイタリア美術の重要な転換点でした。

ジョットはチマブーエをしのぐ、中世期における最大の画家となりました。ダンテは、『神曲・煉獄篇』において、チマブーエは絵画界で王座を占めたと思っていたが、今ではジョットが名声を得た、と記しています。

「ジョット」の代表作品を紹介

ジョット最大の代表作「スクロヴェーニ礼拝堂装飾絵画」

『最後の審判』(エンリコ・デッリ・スクロヴェーニの肖像部分)
(出典:Adobe Stock)

北イタリアの主要な都市パドヴァにあるスクロヴェ―ニ礼拝堂内部は、ジョットの壁画で覆われ、美術愛好家が今も多く訪れています。礼拝堂は1300年頃に建設が開始され、1305年には壁画とともに建物も完成していたとされます。

ジョットの描いたスクロヴェーニ礼拝堂装飾絵画は、イタリア絵画の原点とも評価される、ジョットの代表作です。聖書による教義が分かりやすく描かれ、順を追って鑑賞できるように配置されています。

礼拝堂に入ってすぐのところには、イエス・キリストをマリアが受胎したことを天使が知らせる『受胎告知』が、退出する際に目にするところには、世界の終わりにイエスが行う『最後の審判』が描かれています。

『最後の審判』には、礼拝堂を建設したスクロヴェーニ家の当主であるエンリコ・デッリ・スクロヴェーニが、聖母マリアにスクロヴェーニ家の救済のとりなしを嘆願する姿として描かれています。

聖フランチェスコ大聖堂のフレスコ画「聖フランチェスコの生涯」

『小鳥への説教』
(出典:Wikimedia Commons User:Dencey)

アッシジの聖フランチェスコ大聖堂の内部には、28枚のフレスコ画によって「聖フランチェスコの生涯」が描かれています。歴史的にジョットの作であるとされていますが、スクロヴェーニ礼拝堂装飾絵画との作風の違いから、作者に異論を唱える研究者もいます。

一般的にはジョットの作品とされている「聖フランチェスコの生涯」の中で、最も有名なフレスコ画が『小鳥への説教』(1305年頃)です。フランチェスコの説教は、小鳥たちも喜んで耳を傾けたとされる逸話をもとに描かれたものです。

聖フランチェスコ大聖堂内部の壁画には、チマブーエやマルティーニなど、中世を代表する画家の作品も含まれています。

祭壇画の代表作『荘厳の聖母』

『荘厳の聖母』
(出典:Wikimedia Commons)

パドヴァでスクロヴェーニ礼拝堂の仕事を終えてすぐ、ジョットはフィレンツェに戻り、祭壇画『荘厳の聖母』(1310年頃)を描きました。1270年頃にチマブーエが同じような構図で『聖母と天使たち』を描いていますが、ジョットはチマブーエの形式的な様式を脱し、人間的な表現を取り入れました。遠近法を感じさせる構図や、見る者に問いかける描写力には、ルネサンスの予兆が感じられます。

ジョットは本作を仕上げたのち、イタリア各地で注文をこなしました。

フィレンツェのシンボル「ジョットの鐘楼(しょうろう)」

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ・洗礼堂・ジョットの鐘楼)
(出典:Adobe Stock)

フィレンツェのシンボルであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、13世紀末から140年以上をかけて建設されました。最初に設計を行った彫刻家のアルノルフォ・ディ・カンビオが死去すると、1334年にジョットが主任建築家に指名されました。

ジョットは大聖堂の脇に立つ鐘楼の建築に携わりましたが、建築途中で死去したため、自身の設計では完成されませんでした。鐘楼は現在「ジョットの鐘楼」と呼ばれていますが、実際に彼が設計したのは第一層のみです。

補足:
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、巨大なクーポラをいただくドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成されています。ドゥオーモはルネサンス期最初の建築家ブルネレスキが設計しました。

まとめ

ジョットは中世最大の画家と呼ばれ、ヨーロッパ絵画の礎を築いた重要な画家です。それまでの平面的で抽象的な絵画様式に頼ることなく、人間性を感じさせる重みのある絵画を生み出しました。その功績を買われ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の主任建築家に任命されましたが、建築途中で死去しました。

徳島県にある大塚国際美術館には、スクロヴェーニ礼拝堂の空間と、キリスト生誕から最後の審判までの聖書の物語を描いたジョットの壁画が、陶板によって原寸大の大きさで再現されています。礼拝堂の見どころの一つである青い天井も再現されており、中世後期の傑作であるスクロヴェーニ礼拝堂の空間を疑似体験することができます。