「ティツィアーノ」は盛期ルネサンスにベネチアで活躍した画家です。非凡な色彩感覚と描写力で、バロックの巨匠ルーベンスにも大きな影響を与えました。この記事では、ティツィアーノとはどのような画家なのか、そしてその代表作品『聖愛と俗愛』や『ウルビーノのヴィーナス』なども解説します。
「ティツィアーノ」とはどんな画家?
ティツィアーノの自画像(1567年頃)
(出典:Wikimedia Commons User:Aavindraa)
「ティツィアーノ」とは盛期ルネサンスを代表するイタリアの巨匠
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio、1490年頃~1576年)とは、盛期ルネサンスを代表するイタリアの巨匠です。88歳(推定)という長寿に恵まれ、長い画家生活の中で作風を変化させながら多くの作品を残しました。
古代神話や肖像、風景などさまざまなテーマで高い技術力のもと独創的な作品を描き、ルネサンス期の画家のみならず、のちのバロック期の巨匠である、ルーベンスやベラスケスや、近世の画家たちにも大きな影響を与えました。
豊かな色彩と官能的な女性美でベネチア派の頂点を極めた
ティツィアーノは、ドロミテ・アルプス山脈の麓にある町の小貴族の家に生まれ、9歳頃に絵画を学ぶためベネチアに移住しました。工房で修行したのち独立し、師匠のジョバンニ・ベッリーニの後継者としてベネチア共和国の公認画家となります。
ティツィアーノは長い生涯を通じてベネチア絵画界で主導的な立場を確立し、ベネチア派の頂点を極めました。ベネチア派は鮮やかで豊かな色彩と、詩的で官能的な美の追求が特徴で、特にティツィアーノは古代神話をテーマを借りて、生身の女性の官能美を追求しました。
「ティツィアーノ」の代表作とは?
初期の代表作『聖愛と俗愛』
『聖愛と俗愛』(1515年)は、ティツィアーノの初期の代表作の一つです。古代の女神ヴィーナスとされる裸体の女性と、16世紀のヴェネツィアの伝統的な花嫁衣装をまとった女性が、二人並んで描かれています。
ヴィーナスの裸体像は「聖なる愛」の象徴であり、結婚衣装をまとった女性は「俗なる愛」の象徴です。16世紀のイタリア文学においては、着衣の美女と裸の美女はどちらが美しいかという議論が行われましたが、ティツィアーノはそのどちらもが美しいことを寓意画で表現しました。
この作品は、ヴェネツィアの有力貴族であるアウレリオ家とバガロット家の結婚を記念して注文されたもので、画中に両家の紋章が描かれています。
横たわる裸婦像『ウルビーノのヴィーナス』
『ウルビーノのヴィーナス』ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
(出典:Wikimedia Commons)
『ウルビーノのヴィーナス』(1538年頃)は、ティツィアーノが描いたヴィーナスのうちで最も有名で、かつ最も議論を呼んだ女神像です。
古典的なテーマであるローマ神話のヴィーナスを描いたものですが、生身の女性の官能性を追求した作品であるとして批判の対象ともなりました。
「横たわる裸婦像」の構図とテーマは、スペインにおける裸婦像を初めて描いた、ゴヤの『裸のマハ』(1795年~1800年)や、印象派の先駆者であるマネが描いてスキャンダルとなった裸婦像『オランピア』(1863年)などに受け継がれました。
クリムトに影響を与えた『ダナエ』
『ダナエと黄金の雨』国立カポディモンテ美術館(ナポリ)
(出典:Wikimedia Commons)
ギリシャ神話に登場する美しい王女ダナエにまつわる神話は、ギリシャ時代から芸術のテーマとして壁画などに描かれてきました。黄金の雨に変身して天窓から侵入したゼウス(ローマ神話ではユピテル)によって、英雄ペルセウスを身ごもったという逸話が伝統的に描かれてきました。
ティツィアーノは1544年から数点の『ダナエ』を描きました。最初に描かれた本作品は、裸で横たわるダナエの上に黄金の雨が降り注ぐという伝統的な構図で描かれています。
しかし彼は黄金の雨を金貨の雨として描きました。ダナエは高級娼婦をモデルとしており、金貨はその報酬をほのめかしているとの説もあります。
ティツィアーノの『ダナエ』は、レンブラントやクリムトなど後年の画家に大きな影響を与え、それぞれが独自のダナエを残しています。特にクリムトの官能的な『ダナエ』は、彼の代表作となっています。
まとめ
ティツィアーノは、パトロンから注文された絵を要求通りに描く、職人的画家が主流だった時代に、独自の視点で創意工夫を凝らした絵画を制作しました。ベネチア共和国の公認画家として長い間活躍し、後年の芸術家にも大きな影響を与えました。
中世のベネチアは、東方貿易によって豊かな都市国家を形成し、フィレンツェ、ローマと並んで盛期ルネサンスの舞台として華やかな文化が発達しました。豊かさに伴ってコルティジャーナと呼ばれた高級娼婦たちがベネチアには多く存在しており、王侯貴族の身近な存在でした。
ティツィアーノをはじめとしたベネチアの画家たちは、コルティジャーナをモデルに、ローマ神話の女神を難解な寓話画に仕立て上げ、独自のルネサンス芸術を生み出したのです。