フランスの歴史で有名な出来事とは?フランスを救った人物も紹介

フランスの歴史を振り返ると、フランスがいかにヨーロッパ周辺諸国に影響を与えてきたのかがわかります。フランス革命、ナポレオンによる勢力拡大などヨーロッパ史でも大きな役割を果たしてきました。
今回は、フランス史の流れやフランス史で特に重要な出来事の他に、フランス史で忘れてはならない偉人たちも紹介します。

※この記事の担当:Light1(海外在住20年。クロワッサンとボルドーワインをこよなく愛しています)

フランス史の流れとは?

フランスの原型は西フランクにあった

かつてフランク王国と言われた国がありましたが、843年のヴェルダン条約により分裂して「西フランク」が成立します。その西フランクに、870年のメルセン条約で分裂した中部フランクの西半分も加わった領土が、フランスの原型となりました。

カペー朝から「フランス」が始まる

西フランクが「フランス」と呼ばれるようになったのは、パリ伯ユーグ・カペーが王位につきカペー朝からです。カペー朝はカペー家だけでなくノルマンディ公やブルゴーニュ公などの有力諸侯も権力を持ち、さらにローマ教皇はカペー家よりも権力があるという混とんとした状態でした。

しかし十字軍によるキリスト教の東方遠征によりカペー家は権力を吹き返して、ローマ教皇と対立するまでになります。

絶対王政時代の始まり

宗教改革により新教徒(ユグノー)出身のアンリ4世が即位してブルボン朝が始まりますが、内政は安定しませんでした。そこでアンリ4世自身がカトリックに改宗してようやくユグノー戦争が終わり宗教改革も収束を見せます。

ルイ14世が即位すると、フランスは重商主義でインドやアメリカに植民地を増やし、周辺諸国との戦いにも打ち勝ち領土を拡大していきます。そして迎えた絶対王政の全盛期ではバロック様式が開花して、ヴェルサイユ宮殿の増築など華々しいフランス文化が始まりました。

フランス革命により共和制国家が生まれる

1789年にフランス革命が勃発すると、ルイ16世率いる王政が倒れて主権が国民にある共和制が始まります。しかし一筋縄ではいきません。

1792年に第一共和制が成立しますが、ロベスピエールらの平民(第三身分)代表は反対派をギロチンにかけるなどの恐怖政治を行ったため市民が反発。そして、ロベスピエールらは一掃されます。

新しい形での王政復古

主導者がいないフランスに、ナポレオンがイタリア遠征など軍事的な成功を収めて帰国します。ナポレオンは内政でも成功して、1804年に国民投票によりナポレオン1世として皇帝になります。つまり王政復古して、第一帝政が始まりました。

ルイ18世が即位すると選挙による立憲君主制や法の下の平等、言論の自由など市民権が強まった体制になります。

市民の支持を得たナポレオン3世

7月革命や2月革命を経て王政が弱まると、臨時政府はブルジョワ共和派や共和主義者、社会主義者にかつての王政復活を望む王党派などが入り乱れる不安定な政権になりました。強力な指導者が待ち望まれるなかでルイ=ナポレオンが登場します。

ルイ=ナポレオンは1848年に大統領選に当選して、1851年には皇帝に即位してナポレオン3世となります。フランスを導く指導者として市民から熱狂的な支持を得ます。

ナポレオン3世による第二帝政では、国内はインフラ整備を進め、国外での遠征も成功しますが、1860年代のメキシコ出兵での失敗と自由貿易体制によってイギリスが脅威となり、1870年の普仏戦争で第二帝政は終わりを迎えます。

その後、フランスを含む多くの主要国は世界大戦への渦へと巻きこまれていきます。

知っておきたいフランス史で重要なできごととは?

「サンバルテルミの虐殺」でユグノーが虐殺される

16世紀に吹き荒れた宗教改革の波はフランスにも押し寄せ、国王をはじめとするカトリック派とユグノーと呼ばれるカルヴァン派(プロテスタント)が対立してユグノー戦争が起こりました。その戦争中、1572年8月にカトリック派がユグノーを虐殺します。パリで約4000人が殺されると、このフランス全土へと波及して数万人が殺されたと言われています。

「フランス革命」は10年にわたる市民革命

「フランス革命」は、ブルボン朝の絶対王朝に反発した市民革命です。ひっ迫する財政難で、宗教革命や啓蒙思想などの影響を受けた第三身分である民衆が、封建な特権を持つ第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)に反旗を翻します。そして、特権体制の崩壊と市民権獲得のために立ち上がった革命でした。

1789年7月14日にパリのバスティーユ牢獄の襲撃をきっかけにフランス革命が始まり、暴動や誓願などあらゆる民衆運動が展開されて、王政は崩壊します。

1791年に国民主権などを認める1791年憲法が制定されますが、立憲君主制を支持するフイヤン派と共和制を支持するジロンド派が対立するなど政治的に安定することはありませんでした。

ジロンド派はフランス革命に干渉してきた外国に対して戦いを仕掛けて、ヨーロッパ全土が巻き込まれる戦争へと発展しますが、フランスは敗北。1792年に国民公会が招集されてプロイセン軍に勝利して、1793年に王政廃止が決定しました。

ジロンド派から山岳派へと政権が移り、さらにジャコバン派のロベスピエールの独裁政権へと移ります。しかし恐怖政治だったために民衆の支持は得られなくなると、ナポレオンが現れて新たな王政が始まります。

ここまでの流れがフランス革命と呼ばれて、その期間は1789年から99年までの約10年間にも及びます。

またフランス革命が起こった7月14日ですが、この日は現在のフランスの建国記念日です。

フランスの歴史上で有名な人物とは?

「ジャンヌダルク」はフランスを救った救世主

ジャンヌダルクはフランスを救った少女として知られています。フランスとイギリスの間で続いた百年戦争(1337~1453年)で、敗戦の危機にあったフランス軍を鼓舞して、シャルル7世を救い出しイギリス軍の包囲下にあったオルレアンを解放しました。これをきっかけにフランス軍は建て直し、シャルル7世の戴冠式も実現されました。

ジャンヌダルクがフランス軍の救世主となったのは、ジャンヌダルクは神からフランスを救う使命を託されたと信じたからだというエピソードが残っています。

「ルイ14世」は絶対王政の全盛期の王

ルイ14世は「太陽王」とも呼ばれる絶対王政時代の全盛期の王様です。72年間の統治の間にフランスは中央集権化を果たして、領土と植民地を拡大して経済的にも豊かになりました。

ヴェルサイユ宮殿は増築されて、芸術の保護にも力を入れて、劇作家のラシーヌやモリエール、画家のル・ブランなどが宮廷に招かれたと言われます。

参照:フランス観光のおすすめは?パリとパリ以外の都市・穴場スポット

「ナポレオン・ボナパルト」により王政復古を果たす

ナポレオン・ボナパルトとは、1804年12月2日にフランスの皇帝に即位してナポレオン1世となり第一帝政が始まりました。

王政復古を果たしたナポレオンは、フランス革命後のフランス内政を安定させ、国外へも勢力を伸ばして1807年ごろまでにヨーロッパのほぼ全土を征服しました。

ロシア遠征を失敗すると、1814年に退位させられエルバ島へ追放されるのですが、エルバ島から脱出してパリにもどり復位します。このエルバ島からパリまで戻った道は現在ではナポレオン街道と呼ばれて残されています。

まとめ

フランスは長い歴史の中で勢力を拡大して、絶対王政時代にはきらびやかなフランス文化を花開かせて、フランス革命では市民による政府を実現して、ナポレオンによってさらなる繁栄を見せた壮大な歴史のある国です。もしもフランス旅行に行かれる機会があったり、フランスの書物を開かれたりするときには、こうした歴史的背景を気にしてみてはいかがでしょうか。