「菜根譚」とは?言葉の意味や本の内容を解説!作者も紹介

日本の各界のリーダー達が座右の書としてきた「菜根譚」を知っていますか?ちょっと不思議なタイトルの中国の古典ですが、隠れたベストセラーともいえるほど、明治の時代から読み継がれている本なのです。

人としての成功を目指すビジネスパーソンなら知っておきたい処世訓が満載の「菜根譚」について、概要を紹介します。

「菜根譚」とは?

まずはじめに「菜根譚(さいこんたん)」のタイトルの意味と内容、および作者について説明します。

「菜根譚」の作者は明の時代の「洪自誠(こうじせい)」

「菜根譚」とは、中国の明代の知識人である「洪自誠(こうじせい)」という人が書いた書物です。

16世紀後半から17世紀前半頃に生きた人と考えられていますが、詳しい伝記などは残っていません。しかし「菜根譚」に書かれている内容から、優秀な官僚として活躍したのち、政争に巻き込まれ苦渋の中で隠遁した人と推測されています。

「菜根譚」の意味は「常に菜根を咬めば百事がなせる」

「菜根譚」の意味は、「常に菜根を咬めば百事がなせる」です。「堅い野菜の根も苦にせずよく咬めば(苦しい境遇に耐え忍べば)、あらゆることはなしとげられる」とする古事に由来します。

もう一方で、「菜根」が粗末な食事を象徴とする言葉であることから、貧しさをいとわない清貧の暮らしを良いものとする意味も含まれています。このような意味を込めて、作者は書名を『菜根譚』としました。

「菜根譚」の内容は処世訓

「菜根譚」には、醜い政争に巻き込まれる苦難の中で人間を観察し、晩年は達観の境地に至った洪自誠ならではの、鋭い洞察から生まれた多くの処世訓が書かれています。

「菜根譚」は前集と後集に分かれており、前集は俗世の人々との関わり方を中心に語り、後集は俗世を超えた深遠な境地や、静かな暮らしの楽しみを語ります。そのことから、前集は現役向け、後集は引退後向け、などと称されることもあります。

「菜根譚」の特徴は「儒教・仏教・道教」の融合思想

当時の官僚の教養として、儒教思想の習得がありました。「菜根譚」には儒教経典からの引用が多くあります。儒教経典の四書は『大学』『中庸』『論語』『孟子』です。さらに道家の文献である『老子』『荘子』で説かれる思想や、仏教経典の思想も色濃くみられます。

儒家でありながら道教や仏教の思想も取り入れるという態度は、実際の当時の知識人の一般的な傾向であったとみられています。

「菜根譚」の名言とは?

「菜根譚」の「前集」からおすすめしたい名言

「菜根譚」の【前集】から名言を抜粋して、読み下し文と訳文で紹介します。

友に交わるには、すべからく三分の侠気を帯ぶべし。人となるには、一点の素心を存するを要す。
友人と交わる時には三分くらいの義侠心を持つのがよい。人として生きるには、少々の純粋な心が必要である。
※「義侠心」とは困っていたり苦しんでいたりする人を助ける自己犠牲的精神のこと。

人の悪を攻むるときは、はなはだ厳なることなく、その受くるに堪えんことを思うを要す。人を教うるに善を以てするときは、高きに過ぐることなく、当にそれをして従うべからしむべし。
人の過失を責めるときは、あまり厳し過ぎるようにはせず、その人がその叱責を受け容れられる程度にするのがよい。また人に善い行いを教えるときは、基準を高く置きすぎず、その人が実行できる範囲にとどめるべきである。

小人を待つに、厳しきを難(かた)しとせざるも、悪(にく)まざるを難しとす。君子を待つに、恭しきを難しとせざるも、礼有るを難しとす。
つまらない人物に対しては、その短所や欠点をいうのは難しくないが、それらを許容して憎まないようにするのは難しい。一方で立派な人に対しては、尊敬することはやさしいが、尊敬のあまり礼が不十分になることがあって難しい。

偏心にして奸に欺かるることなかれ。自任にして気に使わるることなかれ。己の長を以て人の短を形すことなかれ。己の拙に因りて人の能を忌むことなかれ。
かたよった見方をして悪い人にだまされないようにしなさい。自信を持ちすぎて心につき動かされないようにしなさい。自分の長所を示して他人の短所をあばくようなことはしてはいけない。自分が拙いからと他人をねたむようなことはしてはいけない。

「菜根譚」の「後集」からおすすめしたい名言

次に【後集】から抜粋して紹介します。

すべて眼前に来るの事は、足るを知る者には仙境にして、足るを知らざる者には凡境なり。すべて世上に出ずるの因は、善く用うる者には生機にして、善く用いざる者には殺機なり。
目の前に起こる現実の問題は、満足することを知る人にとっては理想郷のようなものであり、満足することを知らない人にとっては、欲望に満ちた世界である。また世間一般のことがらは、その本来の姿に従う人にはものを生かす働きとなるが、本来の姿をそこなう人にとっては、ものを殺すはたらきとなる。

神(しん)、たけなわならば、布被のか中にも、天地のちゅう和の気を得。味、足らば、れいこうの飯後にも、人生のたんぱくの真を識る。
精神が充実していれば、貧乏な暮らしの中でも天地が調和した気を得ることができる。味覚に満足していれば、粗末な食事をしていても、あっさりとした人生の真実を味わうことができる。

分にあらざるの福、故無きのえものは、造物の釣餌にあらずば、則ち人世の機せいなり。此の所に眼をつくること高からずは、彼の術中に堕ちざることすくなし。
身分にふさわしくない幸福や、正当な理由がなく得た物は、人の世にしかけられた落とし穴である。そのようなことに注意していなければ、天や人が仕掛けた落とし穴にかからない者はまれである。

機やむとき、すなわち月至り風来たる有り、必ずしも苦海の仁世にあらず。心遠き処、自ずから車塵馬せき無し。なんぞこしつの丘山をもちいん。
何かを求める心がなくなるとき、月が輝き風が吹く。この世は苦しみの世界だとは限らない。心が欲望から離れると、自然に車馬の騒がしさも感じない。丘山のような自然の中へあえて隠れることもない。

日本への伝来と広がり

最後に、日本ではどのように読まれてきたのかを紹介します。

江戸時代に伝わり、明治から現在まで解説書が数多く出版される

日本では江戸時代に「菜根譚」の初本が発行されました。明治以降からは現代にいたるまで、「菜根譚」の注釈書が数多く刊行され、重版を重ねています。

禅宗では仏典に準ずる扱いとなる

「菜根譚」は儒・道・仏教の融合思想であることを先に説明しましたが、仏教でもとくに禅宗の影響が強いことから、禅僧が手掛けた注釈書が多くあるようです。さらに禅僧の間で高く評価され、「菜根譚」が禅の仏典に準ずる扱いとなった時期もありました。

各界のリーダーの座右の書となる

昭和の時代に入ると、高度経済成長をけん引した各界のリーダーたちに愛読されることになります。「人として成功するヒント」である処世訓が「菜根譚」に書かれているゆえんだといえます。

近年では、漫画や超訳、ビジネス書などさまざまな切り口で「菜根譚」を紹介する本が発売されています。

「菜根譚」の全訳を一読したい方は次の本がおすすめです。

まとめ

「菜根譚」は、醜い政争の中で辛酸をなめる経験をし、やがて達観の境地に至った元官僚の洪自誠が、その経験から導き出した、現実に沿った処世訓です。堅い野菜の根も咬み続ければ多くのことがなしとげられるという「菜根譚」の命名には、逆境を乗り越えてこそ人の真の姿が表れるという洪自誠の思いがあったように思います。