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「小田原評定」の意味と語源とは?使い方や「清須会議」と類語も

満場一致でサクッと結論が出ると気持ちがいいものですが、そうはいかずダラダラと時間が過ぎるような会議は「小田原評定」と呼ばれます。

ここでは「小田原評定」の意味と語源となった史実について解説するとともに、その使い方を例文で紹介します。「清須会議」との違い、言い換え表現などもあわせて見ていきましょう。

「小田原評定」の意味と語源とは

「小田原評定」とはいつまでも結論が出ない会議

「小田原評定」とは「なかなか決着しない、いつまでも結論の出ない会議」の例えです。読み方は「おだわらひょうじょう」で、ダラダラと時間ばかりが過ぎ、一向に結論の出ない会議・議論を指して「小田原評定」と言います。

北条氏滅亡の史実を語源にもつ故事成語

「小田原評定」という語は、北条氏滅亡の一端となったともされる歴史上の評議に由来します。

1590年(天正18年)天下統一を間近に見据えた豊臣秀吉は、小田原城の北条氏政、氏直を攻めます。城内では城に留まるべきか出陣するべきか、あるいは抗戦すべきか和平を試みるべきなのか、評議が繰り広げられました。しかし、意見がまとまらず時間ばかりが過ぎた結果、北条氏は降伏の道を選んだという史実があります。最終的に、北条氏政は切腹、氏直は流罪となったのちに亡くなり、北条氏は滅亡します。

小田原城内で行われた会議のように、なかなか結論が出ない様や埒が明かないことを「小田原評定」と呼ぶようになりました。

「小田原談合」「小田原相談」とも呼ばれる

「小田原評定」は、ほかにも「小田原談合」「小田原相談」といった表現でも用いられます。いずれも先述の史実上の出来事に由来する表現で、過去の書物などによって使用される表現が異なっています。意味に違いはないため、いずれの表現も誤りではありません。

「小田原評定」の使い方と例文

「なかなか結論の出ない会議」を指して使う

「小田原評定」は、長々と時間をかけたのに結論が出なかった会議を指します。仮に時間をかけたとしても、議論が決着した会議は「小田原評定」とは呼ばれません。

また先述の史実からも分かるように、結論が出なかったばかりか、時間をかけたことが裏目に出たり、結果的に不利になる様を指して使われる例もあります。

「小田原評定」を使った例文

  • わざわざ出向いて打ち合わせしたのに、大まかな仕様すら決まらないとはとんだ小田原評定だ
  • 小田原評定なんてしている悠長な時間はない。このままでは最終プレゼンにも支障をきたすよ

「小田原評定」の類語や言い換えとは

「平行線」は結論が出ない様を表す類語

「小田原評定」のもつ「結論が出ない」というニュアンスは、「平行線」という類語でも表すことができます。

「平行線」は、平行に並ぶ線が互いに交わることがありません。このことから、「互いの主張や意見が折り合いがつかず、どこまでいっても妥協点が見つからない状態」を指します。「話し合いは平行線に終わった」といった使い方が可能です。

「押し問答」「水掛け論」は意見が食い違う様

「意見が食い違い、議論が決着しない様」を表す場合、「押し問答」「水掛け論」という類語も使えます。「押し問答(おしもんどう)」とは、「互いに自分の意見を主張し後に引かない様、言い争うこと」という意味です。

「水掛け論(みずかけろん)」も「自分の都合や意見を譲らずにいつまでも争うこと、いつまでも解決しない議論」を指します。

「清須会議」とは信長の後継者を決める会議

「清須会議(清洲会議、きよすかいぎ)」とは「小田原評定」と同様に、歴史上で大きな意味を持つ”会議”のひとつです。「清須会議」は、本能寺の変によって自害した織田信長の後継者を決めるための会議を指し、その後の新たな対立、新たな戦いの火種となったことでも知られています。

なお「小田原評定」とは異なり、「清須会議」ではきちんと結論が出ているため、類語とは呼べないでしょう。また「清須会議」は歴史的に有名ではあるものの、ことわざや慣用表現として用いられることはありません。

「小田原評定」の英語訳とは

英語では「iinconclusive conference」

「小田原評定」のように「結論の出ない会議」は英語では「inconclusive conference」と表現することができます。「inconclusive」は「決定的ではない、確定的ではない」、「conference」は「会議」という意味です。「結論の出ない議論」という意味では「inconclusive argument」という英訳例もあります。

また「小田原評定=無駄な議論」ととらえると「fruitless debate」という表現も可能です。「fruitless」とは「無益な、効果がない、無駄な」という意味です。

「小田原評定」の英語表現

  • That was really inconclusive conference.
    なんとも小田原評定だった
  • Please stop this fruitless debate.
    こんな無駄な議論はやめてください

まとめ

「小田原評定」とは北条氏滅亡の一端を担ったとされる小田原城の評議に由来する表現で、「いつまでも結論の出ない会議」のたとえです。ダラダラと続き決着のつかない会議や議論を指します。ただし、長時間にわたる議論でも何らかの結論が出る場合には使うことができません。

同じく歴史上重要とされる会議には「清須会議」がありますが、この「清須会議」は一般に歴史上の出来事を指すにとどまり、現代で何かの例えとして用いられることはあまりありません。区別して覚えておきましょう。