「史記」や「史記列伝」の内容とは?作者の司馬遷も説明

司馬遷の『史記』は有名な歴史書ですが、その内容については詳しく知らないという人も多いのではないでしょうか。『史記』は古代中国の正史を伝える書であるほか、その中の「史記列伝」には中国の思想に大きな影響を与えた思想家の伝記も描かれています。

ここでは『史記』の内容の概説と、その著者である「司馬遷」について説明します。

『史記』の内容とは?

まずはじめに『史記』の内容について説明します。

『史記』は司馬遷が著した古代中国の歴史書

『史記』とは、司馬遷が著した古代中国の歴史書で、全130巻からなる大作です。司馬遷(しばせん)とは、前漢時代の歴史家です。憤死した父が持っていた『史記』の構想を継いで司馬遷が執筆し、紀元前91年頃に成立したとされています。

『史記』の扱う時代は伝説の時代から前漢の武帝まで

『史記』の扱う時代は伝説上の五帝時代から前漢の武帝までです。古代の伝説の時代から、司馬遷が実際に生きた前漢時代までを著述していることになります。列伝の最終巻には司馬遷自身についても書かれています。列伝についてはのちほど説明します。

また、司馬遷が『史記』を書いた時代は儒教の勢力が強い時代でしたが、司馬遷は儒教に重きを置くことなく他の思想も取り入れ、中立な立場で事実を記しました。

『史記』は5分類で構成される

『史記』には小説のような、全体をとおした「あらすじ」はなく、伝説の王朝から前漢までの通史を次の5つに分類した構成で書かれています。とくに「本紀」と「列伝」が中心となります。

  • 「本紀」君主や王朝の業績を編年形式で記したもの
  • 「書」儀礼や経済などの制度について記したもの
  • 「表」事件などを年表にしたもの
  • 「世家」諸侯の活躍の記録
  • 「列伝」際立った人物の記録

「史記列伝」は際立った人物の伝記

『史記』の最後に「列伝」が70篇が収められています。「列伝」は「史記列伝」とも呼ばれ、宰相や武将、さらに老子や孫子、韓非子などの哲学・思想系の人物も取り上げた伝記です。司馬遷の人物評なども書かれており、中国古典の著者の人物像を知ることができます。

「司馬遷」とは?

次に『史記』を著した「司馬遷」について説明します。司馬遷は紀元前145年から135年頃に生まれたとされる歴史家で、没年は不明です。

「司馬遷」は旅行家でもあった

司馬遷は若い頃に中国全土を周遊する旅に出ます。またその後も武帝に随行して何度も旅をしました。旅先では戦国諸侯などの古い記録を収集したり、未開の地にまで出向いて資料を調べたり、さらにさまざま人々の話を聞くなどしました。しかし紀行文などを記すことはせず、もっぱら歴史的事実の記述にまい進しました。

「司馬遷」は不当な刑に憤慨し『史記』の執筆に没頭した

司馬遷は紀元前99年に、捕虜の弁護をしたことで武帝の怒りを買い2年間投獄されます。司馬遷は憤慨の中、真の歴史書を残したいと願って執筆に没頭し、不朽の大作を仕上げました。『史記』執筆終了後の司馬遷の生涯の史実は明らかになっていません。

『史記』の故事成語を現代語訳とともに紹介

『史記』を出典とする故事成語はたくさんあります。抜粋して現代語訳とともに紹介します。

先んずれば人を制す

「先んずれば人を制す」とは、「先んずれば人を制す、後るれば則ち人の制する所と為る」の文に基づくことわざです。先手をとれば相手を制することができることから、何事も後手に回ると勝ち目がないという戒めの言葉です。

四面楚歌

「四面楚歌(しめんそか)」とは、周囲を敵に囲まれ、味方が一人もなく孤立しているという意味です。楚の人々の歌声を聞いて楚が漢に降伏したものと思い込んだという故事に基づきます。

断じて行えば鬼神も之を避く

「断じて行えば鬼神も之を避く」とは、「断じて敢行すれば、鬼神も之を避く」との文に基づく故事成語です。固い決意をもって物事を行えば、何ものもそれを妨げることはできないという意味です。

禍福は糾える縄の如し

「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」とは、不幸と幸福は、より合わせた縄のように順番にやってくるという意味です。

鹿を指さして馬となす

「鹿を指さして馬となす」とは、矛盾したことを権力によって無理に押し通すことのたとえです。

「馬鹿」の語源ではないかとの説もありますが、「鹿」の「か」は訓読みであり、漢文で馬鹿を「ばか」と読むことはできないことから決定的な説とはなっていません。

枕を高くして寝る

「枕を高くして寝る」とは、心配事が無く、安心して眠ることができるという意味のことわざです。戦国の時代には、不意の襲来に備えて枕をせずに寝ていたことから出た言葉です。

鶏口となるも牛後となるなかれ

「鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)」とは、鶏の口となっても、牛の尻にはならないという意から、大きな集団の末端にいるよりは、小さな集団のトップになるべきであるという意味です。

万死一生を顧みず

「万死一生を顧みず(ばんしいっしょうをかえりみず)」とは、必死の覚悟を決めるという意味の故事成語です。

まとめ

『史記』には、古代中国の正史がいきいきと描かれています。中国古典や思想書を読み解くとき、それらが書かれた時代やそこに生きた人々を知れば、よりいっそう著者が伝えたかった本当の意味を知ることができるといえます。日本人にも大きな影響を与えた古代中国のリアルな実像を『史記』から知ることができるのです。