「村上天皇」はどんな人?末裔やエピソードと「藤原安子」も解説

「村上天皇」は第62代天皇で、その治世は「天暦の治」と呼ばれ賛美されています。確かに宮廷では平安文化が花開いたのですが、親政とは名ばかりで実権は別の人物が握っていたようです。

今回は、村上天皇の人柄や、同じく親政を行った醍醐天皇との関係、村上天皇の家系や末裔の村上源氏のことなどを解説します。

「村上天皇」とはどんな人?

「村上天皇」は第62代天皇

「村上天皇」は、946年5月23日から967年7月5日まで在位した第62代天皇です。村上天皇の名前は名は「成明(なりあきら)」で、926年7月14日(延長4年6月2日)に生まれました。生まれた年には「親王」の称号を得て、19歳になった944年には皇太子を表す「東宮」の称号を得ています。

「村上天皇」は和歌や音楽を愛する文化人

「村上天皇」は、和歌や音楽を愛する文化人として知られている人物です。『後撰和歌集』の編纂を命じ、現存する『村上天皇御集』には後宮の女御と交わした和歌が収録されています。歌合を開催したり、琴や琵琶などの楽器も自ら奏でたりしていました。

村上天皇は文化への造詣が深く、趣味性が華やかだった宮廷文化をさらに開花させたと言えるでしょう。また、政治にも関心があったため、朝議を営むための儀式書『清涼記』も著しています。

「村上天皇」は国政にはあまり携わらなかった

文化に傾倒した村上天皇でしたが、国政にはあまり携わらなかったようです。村上天皇は父の醍醐天皇が行っていた、天皇自らが政治を行う親政をしていました。世間はその治世を「天暦(てんりゃく)の治」と呼び、公家政治の黄金時代として賛美されました。

しかし実際には、村上天皇が実権を握っていたのではなく、左大臣と右大臣であった藤原実頼・師輔兄弟が政治を主導していたと言われています。『清涼記』を著すほどですから村上天皇は政治に関心はあったようですが、国政そのものには関わっていなかったようです。

「村上天皇」は在位中に逝去

村上天皇は967年7月5日(康保4年5月25日)に亡くなりました。死因の詳細は不明ですが病死で、陵墓は京都市右京区にある村上陵です。

「村上天皇」は何をした人?逸話やエピソード

故事「鶯宿梅」を生んだ村上天皇のエピソード

故事の「鶯宿梅(おうしゅくばい)」は、村上天皇に関わるあるエピソードから生まれました。新しい梅の木に植え替えたところ、その木に結び付けられていた歌に深く感じ入った村上天皇は、その木を元の持ち主に返したことから「鶯宿梅」という故事ができました。

その歌とは次の通りです。

「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」

「天徳内裏歌合」は最大の歌合だった

天徳内裏歌合(てんとくだいりのうたあわせ)は、村上天皇が催した最大の歌合です。霞や柳などの12題20番の課題に合わせて歌が詠まれました。当時の一流歌人が集められて、音楽が演奏されるなど、村上天皇の趣味を活かした催し物だったと言われています。

村上天皇の時代に「乾元大宝」が鋳造された

「乾元大宝(けんげんたいほう)」とは、奈良・平安時代に日本で鋳造された銭貨のひとつです。この時代は、和同開珎をはじめ「皇朝十二銭」と呼ばれる12種類の銭貨が作られていました。その最後となる銭貨「乾元大宝」が958年に発行されました。

「村上天皇」の家系図とは?

「村上天皇」は第60代醍醐天皇と藤原穏子の子供

「村上天皇」は、第60代醍醐天皇と藤原穏子(ふじわらのおんし)の子供です。父の醍醐天皇は天皇自らが政治を行う親政を行い、その治世は「延喜の治」と呼ばれました。村上天皇の母「藤原穏子」は関白の藤原基経の娘で、宮廷内の人事や政務にも権勢を振るう女性だったとされています。

2人の子供には、保明(やすあきら)親王、寛明(ゆたあきら)(後の朱雀天皇)、成明(後の村上天皇)がいます。

「村上天皇」の兄は第61代天皇「朱雀天皇」

村上天皇の兄は、第61代天皇である朱雀天皇(すざくてんのう)です。朱雀天皇は8才で即しますが、在位中には天災が多く、平将門の乱もあり治世が乱れました。母の穏子の助言があって朱雀天皇はわずか2年で退位すると、村上天皇が第62代天皇として即位しました。

「村上天皇」の妻(皇后)は「藤原安子」

村上天皇の妻(皇后)は藤原安子(ふじわらのあんし)です。藤原安子が14才だった940年(天慶3年)に、後の村上天皇と結婚。村上天皇が即位してからは女御(にょうご)となりましたが、村上天皇は藤原芳子も女御として愛したことで、安子は嫉妬に狂ったというエピソードが『大鏡』に残っています。

「村上天皇」の子供と末裔

村上天皇の子供には「冷泉天皇」「円融天皇」がいる

村上天皇と藤原安子の間には3男4女の子供がいました。そのうちに天皇となったのが冷泉天皇と円融天皇です。ほかにも為平親王や選子内親王となり、順調に出世しました。

村上天皇の末裔は「村上源氏」

村上天皇の末裔は「村上源氏(むらかみげんじ)」と呼ばれています。「村上源氏」は村上天皇の皇子である具平(ともひら)親王の子である「師房(もろふさ)」を祖としている源氏氏族です。

源氏には村上源氏ほかに20の流派があり、久我家や中院家などがあります。

まとめ

「村上天皇」とは第62代天皇で、同母の兄は先代の朱雀天皇でした。歌や音楽を愛した天皇で、盛大な歌合「天徳内裏歌合」も開催されました。父「醍醐天皇」の親政を習って引き継ぎましたが、政治面で積極的ではなかったようです。

ABOUT US
Light1
「難解なワードでもわかりやすく」をモットーに、常識ワードからビジネス用語、時には文化・アート系など、幅広く記事を書かせていただいています。ドイツ在住で2児の母。好きな食べ物はビターチョコレートとナッツ類。