「国学」とはどのような学問か?内容と影響を与えた人物も紹介

「国学」は江戸時代から明治時代にかけて日本独自の精神文化を研究した学問です。多くの国学者が現れ、さまざまな研究成果を残しました。明治時代の欧化政策などによってその系譜は途絶えましたが、その研究の視点から日本独自の文化についての新しい知見を得ることができます。

ここでは国学の概要と国学者や研究内容について説明します。



「国学」とは?

まずはじめに国学の概要について説明します。

国学は江戸時代から明治時代に展開した

国学は江戸時代から明治時代にかけて展開しました。その目的は、日本の古典を研究し、儒教や仏教の影響が及んでいない日本独自の精神や文化を見出すことでした。江戸時代に盛んだった、儒教の「四書五経」や仏典の研究を中心とする当時の学問の傾向を批判して生まれたという背景があります。

江戸時代には国学者は全国に2千人いたとされますが、明治時代の欧化政策のなかで抑圧され、その後の戦時下で思想教育に利用されるなどして消滅しました。

国学を大成したのは本居宣長

国学は、初めから国学という定義で始まった学問ではなく、日本の古典を根拠に日本独自の文化を研究するという目的で、さまざまな職業の人がさまざまな研究を行っていました。一般の商人や神職、僧侶や武士など、分野や身分も違う人々がそれぞれに研究していたものを国学として大成したのが本居宣長です。

国学の内容は日本独自の国史や和歌などの研究

宣長は国学の入門書である『うひ山ぶみ』(ういやまぶみ・初山踏)を著しており、その中で国学の学問の内容を「神学」「有識の学」「記録」「歌学」の4つに分類しています。

「神学」とは古くからの日本の信仰の学び、「有識の学」とは律令や儀式の学び、「記録」とは日本の歴史の学び、「歌学」とは歌を中心とした古典文学の学びです。

「国学者」と実績を紹介

次に主要な国学者とその実績の概要を紹介します。国学者の多くは国学の研究とは別に本業を持ち、その本業の傍ら学問を探求していました。

契沖

契沖(けいちゅう:1640~1701年)は、江戸時代中期の真言宗の僧であり、古典学者でもありました。契沖は『万葉集』をはじめとして、『古今集』『伊勢物語』『百人一首』などの研究を行いました。契沖が国学を始めたとされています。

また『和字正濫鈔(しょうらんしょう)』を著し歴史的仮名遣いを提唱し、実証的古典研究の方法を確立して国学の基礎をきずきました。

荷田春満

荷田春満(かだのあずままろ:1669~1736年)は、江戸時代中期の歌人であり国学者です。春満は契沖の『万葉代匠記』などを学び、古典や国史の研究を深め、『万葉集』『古事記』『日本書紀』などの研究の基礎を築くとともに、「復古神道」を提唱するなどの業績を残しました。

復古神道とは、儒教や仏教の影響を受ける以前の日本民族固有の精神を尊重する思想で、神のままにという意味の「惟神(かんながら)の道」を重視するもので、「古道論」や「古道学」とも呼ばれます。

春満が江戸に出て、初めて国学の教場を開いた場所は神田神社の境内であり、ここが現在、国学発祥の地とされています。荷田春満の弟子に、賀茂真淵がいます。

賀茂真淵

賀茂真淵(かものまぶち:1697~1769年)は、江戸時代中期の歌人であり、国学者です。荷田春満の弟子となって古道を学び、それを国学として体系化し、学問として完成させました。真淵は儒教的な思想を排除し、日本人本来の精神が表れているとした『万葉集』の研究に生涯を捧げました。真淵は古語に古代人の心が表れているとして、万葉集に古代の精神を求めたのです。

真淵は『万葉集』の研究から、日本人の素朴な心情を「男性的で大らかな歌風」という意味の「ますらをぶり」と表現しました。それは『古今和歌集』に代表される平安時代から続いた女性的でやさしい歌風の「たをやめぶり」への反発であり、男性的な精神風土の尊重を主張したものです。

また、真淵は祝詞の研究を行い、祝詞を解説した『祝詞考(のりとこう)』を著しました。

本居宣長

本居宣長(もとおりのりなが:1730~1801年)は、江戸時代後期の医師であり、国学者です。本居宣長は真淵に入門し、文通によって真淵から教えを受けます。その内容は『万葉集問目』にまとめられています。宣長は契沖の文献考証と賀茂真淵の古道学の研究を深め、国学を大成しました。

また35年の年月を費やして『古事記』を翻訳・研究し、全44巻からなる注釈書『古事記伝』を著しました。この研究成果によって『古事記』の価値が評価され、現在でも古事記を理解する上で欠かせない書となっています。

また宣長は、平安時代の文学に代表されるやさしい歌風の「たをやめぶり」を尊重する「もののあはれ」論を示しました。

平田篤胤

平田篤胤(ひらたあつたね:1776~1843年)は、江戸時代後期の医師で国学者・神道家です。復古神道(古道学)の大成者であり、平田神道と呼ばれるその尊王復古を主張する思想は、幕末から明治維新の思想に多大な影響を与えました。しかしその革新的な思想は幕府から危険視され、江戸から追放されます。

篤胤は古典を再編成した『古史成文』およびその注釈書である『古史伝』を著しました。

「国学」で研究された古典を紹介

最後に国学で研究された古典の一部を紹介します。

『古事記』

『古事記』(こじき)は、日本最古の歴史書です。元明天皇の命を受け、太安万侶(おおのやすまろ)が編さんし、712年に成立しました。『古事記』には天地創造から推古天皇(554~ 628年)までの古代史が記されています。その中には神話や歌謡なども多く含まれ、古代日本の優れた文学書としても重要な位置づけにあります。

また神道の神典として日本の精神文化にも影響を与えており、『古事記』の神話で描かれる神々は、多くの神社で祭神として祀られています。

その表記は漢文様式で表記した日本語の文体である変体漢文を主体として書かれており、『古事記』が国内向けに書かれたものであるとの見方の論拠となっています。『古事記』はその8年後に国外向けに編さんされたとされる『日本書紀』の資料ともなります。

『万葉集』

『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、759年以後に成立したとみられる、日本に現存する最古の和歌集です。天皇や貴族、宮廷歌人をはじめ無名の人々に至る、さまざまな身分の人が詠んだ歌を4500首以上も集めたものです。

万葉集が編さんされた頃、仮名文字はまだなく、「万葉仮名」という表記法を用いました。仮名の代わりに漢字を使い、その意味とは関係なく音訓だけをあてて表記したもので、日本人による最初の文字であり、のちに平仮名(ひらがな)と片仮名(かたかな)が創造されるもととなりました。

『源氏物語』

『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に紫式部が著した長編物語です。源氏物語がいつ完成したのかははっきりしていませんが、1008年には作られていたという記録が残っています。主人公の光源氏を通して恋愛や権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた作品で、現在は世界20か国で翻訳されるなど、日本の古典文学として高く評価されています。

まとめ

「国学」は日本人独自の精神や思想、そして独自の文化を探るために日本の古典を研究した学問です。戦後は日本思想や日本哲学の探求がなおざりにされてきたこともあり、国学者の著した文献や成果に一般的に触れる機会は多くないといえます。自国の文化を語れることはビジネスパーソンの教養でもあります。日本の古典に触れる機会を持ちたいものです。