「蓮如」とはどんな人?「白骨の御文」や親鸞との関係も解説

「親鸞」の他力本願の教えを全国に広め、日本の仏教を代表する浄土真宗の基盤をつくったのが「蓮如」です。ここでは蓮如が布教に用いた「御文」などを含め、蓮如についての概要を解説します。

「蓮如」とは?

まずはじめに「蓮如(れんにょ)」(1415~1499年)について概要を説明します。

蓮如は「親鸞」の浄土真宗を全国に広めた

蓮如は親鸞から数えて8代目となる浄土真宗の「本願寺」法主8世です。比叡山や領主と対立しながら親鸞の教えを全国に広め、浄土真宗の組織を一大教団に育てました。

蓮如が継いだ当時の本願寺は貧しく、人も訪れないような状態でした。蓮如は、親鸞の教えを自分の一代をかけて全国に広めたいと願います。

蓮如は「本願寺」を再興した「本願寺中興の祖」

鎌倉時代に親鸞が開山した本願寺は、室町時代になって蓮如が復興し、全国に教団を広げるなどして大きく発展させたことから、蓮如は「本願寺中興の祖」と呼ばれています。本願寺は現在、浄土真宗本願寺派の本山となっており、日本の仏教を代表する宗派のひとつとなっています。

蓮如は「御文」で「親鸞」の教えを広めた

蓮如は教えをわかりやすく書き記した「御文(おふみ)」(または「御文章(ごぶんしょう)」)とよばれる手紙を書き、人々に届けました。「御文」は誰もがわかることばで親鸞の教えを説いたもので、「凡夫往生の手鏡(ぼんぶおうじょうのてかがみ)」ともいわれ、親鸞の教えを広めるのに大きな役割を果たしました。

御文では、信心により真の極楽浄土へ行くべきであることをくり返し説いており、次のような文章でした。

当流、親鸞聖人の一義は、あながちに出家発心のかたちを本せず、捨家棄欲(しゃけきよく)のすがたを標せず、ただ一年帰命の他力の信心を決定(けつじょう)せしむるときは、さらに老若男女をえらばざるものなり。

【現代語訳】
親鸞聖人の教えは、必ずしも出家して仏門に入ることや、家を捨て、悟りの妨げとなる欲を棄てるというすがたをとりません。ただ他力の信心を決めることのみでよく、老若男女わけへだてることもありません。

蓮如は「講」と「名号」で布教を広めた

「御文」とともに、「講(こう)」と呼ばれる村々での法座も蓮如は精力的に行いました。その時、「名号(みょうごう)」といわれる書を書いて門徒に与えました。親鸞の教えにより「木像よりは絵像、絵像よりは名号」として、蓮如は名号を本尊として家に掛けるように教えたのです。そのことにより、人々は仏像にとらわれることがなくなりました。

「名号」の文字は、「帰命尽十方無碍光如来」(親鸞が仰いだ高僧の著した『浄土論』にある言葉)の10字名号と、「南無阿弥陀仏」6字名号を授与しました。

親鸞門徒による「一向一揆」が起こったが蓮如は煽動していない

蓮如が活動した時代は応仁の乱が起こった厳しい時代でした。農民は集団を作って生活を支え合い、「一揆」も多発していました。各地で活動していた親鸞の弟子による複数の門徒集団は、阿弥陀仏にひたすら帰依する信仰を持っていることで「一向宗」とも呼ばれており、その一向宗の集団が起こした一揆を「一向一揆」といいます。

蓮如がこのような門徒の行動を煽動したとする史料は現存せず、むしろ門徒をいさめ、案じていたとされています。

蓮如の「白骨の御文」とは?

次に蓮如の「白骨の御文」について説明します。

「白骨の御文」は「御文」の中で最も有名な一節

蓮如が書いた御文の中で最も有名な一節が「白骨の御文」(白骨の御文章)といわれるもので、次のような文章です。

一生すぎやし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしづく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝(あした)には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
【現代語訳】
人の一生は過ぎゆくものです。今の時代、誰が百年の寿命を保つことができるでしょうか。自分が先か、他の人が先か、また今日とも明日ともわかりません。先立つ人は、根本のしづくや葉の露より多いといいます。朝には元気な顔をしていても、夕方には白骨となってゆく身なのです。

後鳥羽上皇の「無常講式」から引用がある

御文の一節の中の、「われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしづく、すえの露よりもしげし」の部分は後鳥羽上皇が著した「無常講式」からの引用です。

後鳥羽上皇は、「専修念仏」の弾圧とともに法然と親鸞の流罪を決定した人ですが、その後、自らも乱によって隠岐に流され、孤独のうちに生涯を閉じました。親鸞はそのことについて、「念仏を弾圧したためにあり得ないことがおこった。世の平安を祈って念仏を唱えよ。」といい、後鳥羽上皇を批判することはしませんでした。

蓮如が後鳥羽上皇の言葉を引用した意図とは、親鸞の教えに従い、対立を超えて念仏を唱えることの大切さを説いているものだともいえます。

「蓮如」の言葉を紹介

最後に蓮如の言葉を紹介します。

「存命もあらば、心中をなおすべし。」
どんなに大きな罪を犯した罪人であっても、その人の命を奪うことを蓮如は悲しんだといいます。蓮如は「存命もあらば、心中をなおすべし」と言い、命があれば心を改める可能性があることを説きました。

「たとい名号をとなうるとも、仏たすけたまえとはおもうべからず。」
名号をとなえても、仏にたすけを求めてはならない、という意味です。良い、悪いの判断を超えて、ただ念仏を唱えることが仏に助けられることであるということを説いています。

「聖人の御流には、弥陀をたのむが念仏なり。そのうえの称名は、なにともあれ、仏恩になるものなり。」
親鸞聖人の教えでは「阿弥陀仏をたのむ」のが念仏です。そのうえで「南無阿弥陀仏」ととなえることは、仏の恩徳となるのです。「弥陀をたのむ」とは、阿弥陀仏に身を任せてい生きる生き方です。

まとめ

蓮如は、親鸞が説いた阿弥陀仏への絶対他力の教えに生きました。日本の代表的な仏教の宗派である浄土真宗の基盤を作ったのは蓮如ですが、その勢力拡大には政治的なセンスとともに、蓮如の人柄によるところが大きかったともいわれています。「一休さん」で知られる一休とのほのぼのとした交流の逸話も多く伝わっており、周囲に人が集まる魅力的な人物だったようです。

■参考記事
「親鸞」の思想や教えとは?その生涯や名言も解説