「世阿弥」とは?名言・能との関係や『風姿花伝』『花鏡』も解説

「世阿弥」の芸術論は「能」を超えて文学的・哲学的にも高く評価され、また近年はビジネス戦略論としても注目されています。ここでは世阿弥とその著書である『風姿花伝』『花鏡』と、世阿弥の言葉である「花」について、概要を解説します。

「世阿弥」とは?

まずはじめに「世阿弥」とその思想や背景について説明します。

「世阿弥」は能の「芸術性」を確立した

「世阿弥(ぜあみ)」とは、室町時代の能役者・能作者です。「世阿弥」の名前は浄土宗からきている法名で、当時の芸能人は芸名として法名を使う習慣がありました。世阿弥は曹洞宗の信徒でした。

世阿弥の著した芸能論である『風姿花伝』は、能の芸術性を哲学的に語った画期的な書とされ、現在まで読み継がれ、研究されています。

「世阿弥」の思想に「草木国土悉皆成仏」がある

世阿弥の思想の根底には、日本の仏教の思想である「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」があります。「草木国土悉皆成仏」とは、草木や国土のような心のないものもすべて成仏することができるという意味の、インド仏教や中国仏教にはみられない日本固有の思想です。

「世阿弥」は「幽玄」の美を追求した

世阿弥はあらゆるものを幽玄に演じることを追及しました。「幽玄」とは、美しく柔和な趣きや、静寂で枯淡な風情のことをいいます。世阿弥の確立したそのスタイルは「夢幻能(むげんのう)」とも呼ばれる独創的なもので、現在の能の原型となりました。

「世阿弥」は数多くの能作品や能楽論を執筆した

世阿弥は能役者として活躍するかたわら、現在判明しているだけでも50前後の能作品を新しく作ったり、改作したりしました。それらの能作品や能楽論の完成度の高さは、中世の日本の文学作品としても高い評価を得ています。

「観阿弥」は世阿弥の父

世阿弥は父の「観阿弥(かんあみ)」とともに足利義満の庇護を受けながら能を大成しました。観阿弥は今日の能を代表する「観世流(かんぜりゅう)」初代です。それまでになかった、都の貴族文化を吸収した観世流の能は、観阿弥、世阿弥によってより洗練され、深みのあるものとなってゆきました。

世阿弥の著書『風姿花伝』とは?

次に世阿弥の書である『風姿花伝(ふうしかでん)』について説明します。

『風姿花伝』は世阿弥が著した能の理論書

『風姿花伝』とは世阿弥が著した能の理論書で、広く発表するためでなく、子孫に伝える教えを残すために書かれたものです。その内容は、能の修行法や演技論、能の美学、さらに能役者の人生のそれぞれのステージでの生き方などが記されています。さらに、不安定な世界に生きる戦略を説いた経営戦略論の側面もあることから、ビジネス書としても近年注目されています。

『風姿花伝』は長らく秘伝とされてきましたが、20世紀になって歴史学者の吉田東伍が世阿弥の伝書を刊行し、以後研究が進みました。

『風姿花伝』には「花」の言葉が多く使われる

世阿弥の言葉で特徴的なものが「花」です。「花のある役者」という言い方は世阿弥からといわれています。世阿弥は生涯を通じて「花」を追及し、『風姿花伝』にもその言葉は数多く登場します。

世阿弥の言葉としてよく知られる「秘すれば花」という表現も『風姿花伝』に書かれています。これは世阿弥の求めた能の芸術性の基本を表わす言葉であり、また勝負で勝つための戦略の考え方でもあります。「花」の言葉の意味についてはのちほど説明します。

『花鏡』は世阿弥の芸術論の集大成

『花鏡』は『風姿花伝』ののち約20年間に世阿弥が記した能芸術論の集大成です。能の発声方法や体の使い方などの演技論のほかに演出論や稽古論などが書かれています。

「初心忘るべからず」の教えが書かれる

「初心忘るべからず」の格言は、『花鏡』に書かれた世阿弥の言葉を語源としています。世阿弥が示した初心とは、人生の中で3回あると言っています。まずはじめは若い頃の初心であり、20代になって舞を美しく舞えるようになると周囲から褒められておごりの気持ちが出ます。この時に初心となり、勉強し直すことが大切だといいます。次に能楽師の肉体的なピークである30代半ばに次の初心がきます。そして最後に、老いてからの初心がくるのだといいます。

老いの美学についても言及

さらに「老後の風体に似合うことを習うのは老後の初心である」と書かれ、つまり老いたからといって能が終わるわけではないと示したことは、日本の芸能に大きな影響を与えました。能や歌舞伎などに見られる「老いの美学」を世界に初めて示した人物が世阿弥です。

『花鏡』の一節

しかれば、当流に、万能一徳(まんのういっとく)の一句あり。
初心忘るべからず。
この句、三箇条の口伝あり。
是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。

世阿弥の言葉・名言

最後に世阿弥の名言を紹介します。

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」

花は秘密にすることで花になる。秘密にしなければ花にはならない。これは秘密にすることの効用を説いた言葉であるとともに、すべての芸能芸術は、観客に知らせないでおくことで新鮮な感動を与えることができるという意味を持ちます。ビジネスにも応用できる言葉です。

「花と、面白きと、めづらしさと、これ三つは同じ心なり。」

この言葉は「珍しきが花」「新しきが花」ともいわれます。観客の予想しない演技を行うと新鮮な印象を与えることができるという意味で、秘すれば花と同様の戦略論です。

時に用ゆるを以て花と知るべし

その時々の観客によって役に立つものが花である、という意味で、その時の観客の好みや、環境などを考慮して上演することが大切だと言っています。

花とは、咲くによりて面白く、散るによりてめづらしき也

美しく咲いた花を人は愛でるが、花は散って翌年にまた咲くからこそ注目を集める。どんなに魅力的な芸であってもいつも同じでは注目されなくなると説いた言葉です。

稽古は強かれ、情識は無かれ

「情識」とは慢心の心のことで、稽古に一心に取り組み、思いあがった心を持ってはいけないという意味です。

命には終わりあり、能には果てあるべからず

命には終わりがあるが、芸の探求に終わりがあってはならないとする言葉です。

まとめ

世阿弥は足利義満の庇護を受け、それまで地位の低かった能を芸術的に高く完成された領域にまで高めました。しかしその後の足利義教によって迫害され、罪がないのに佐渡に島流しとなり、その生涯を佐渡で閉じました。

今日では、観世流の拠点である「観世能楽堂」は銀座の「GINZA SIX」に設けられ、日本の伝統文化の発信拠点となって海外からも注目されています。さらに世阿弥の芸術論も、世阿弥の時代から600年を経てもなお色あせることなく、日本文化に影響を与え続けています。