「カント」の人物像とは?名言や思想・著書『純粋理性批判』も解説

カント以前と以後では哲学の思考の枠組みががらっと変わったともいわれるほど、西洋哲学に大きな影響を与えたカントはどのような哲学を提示したのでしょうか?ここではカントについての概要と、その著書について解説します。

「カント」とはどんな人物か

カントは「純粋理性批判」を著した哲学者

「カント」とは、『純粋理性批判』などの難解な著書で有名な哲学者です。カントは79歳で老衰で亡くなるまで大学で27年間教壇に立つかたわら、数々の哲学書を著しました。大学に勤務しながら哲学を探求した、いわば現代的職業哲学者のスタイルであったカントの登場は、その意味でも画期的であったとされます。

カントは生涯をケーニヒスベルクで過ごした

イマヌエル・カント(1724年~1804年)は東プロイセンのケーニヒスベルクに生まれたドイツ人です。それまでの哲学者のほとんどが恵まれた環境に生まれたのに対し、カントはあまり裕福でない職人の家庭の出身でした。カントはヘーニヒスベルク大学で学んだのち、家庭教師や図書館司書などとして働き、1970年からはケーニヒスベルク大学の論理学と形而上学の教授となります。

バルト海沿いに位置する東プロイセンとケーニヒスベルクは第二次世界大戦後に消滅し、現在はロシアのカリーニングラード州となっています。当時のケーニヒスベルクは東プロイセンの首都であり、ハンザ同盟に加わって商都として大いに栄え、大聖堂を取り巻く一帯はハンザ商人たちの街として活気に溢れていたといいます。

カントは「ここにいれば世界のすべてがわかる」といい、ケーニヒスベルクを愛し、その生涯を通して故郷を離れることはありませんでした。

「カント」の『純粋理性批判』とは何を意味するのか

『純粋理性批判』はそれまでの形而上学に対する批判

『純粋理性批判』とは、経験を離れて純粋に形而上学へ向かう理性を検討するという意味で、それまでの形而上学のあり方を批判したものでした。

つまりそれまでの形而上学は学問として成立せず、神や来世についての形而上学は道徳的信仰として意味のあることだとして、形而上学を否定するかわりに道徳的な理性の信仰形態を示したのです。

形而上学を道徳的世界観として解釈し直した

形而上学が学問として成立しないことを示すために、まず学問的真理の基準を示し、それに従って形而上学の批判を行い、次に形而上学を道徳的世界観として解釈し直すことを行っています。

第二版の序文では「信仰に場所をあけるために、知識を捨てなければならなかった」とカントは書いています。

『純粋理性批判』はコペルニクス的転回

第二版の序文に書かれた「コペルニクス的転回」という言い回しは、カントの言葉として最もよく知られた言葉です。ところがカントは実際にこのような言い方はしておらず、コペルニクスを引き合いに出して思考法の革命であるという意味で自分の思想を語っています。

カントの言う「コペルニクス的転回」とは、それまでの哲学でいわれてきた、人間の認識は対象を受け容れるものだとした認識論に対し、人間は対象を認識することはできず、人間の認識の主観が存在を構成するのだと説いたことです。このことから、人間の認識の限界を探求する近代の認識論が成立しました。

「ア・プリオリな総合判断」が学問的認識の本性であると提示

哲学の用語に「ア・プリオリ」があります。「ア・プリオリ」とは「先天的」とも訳されますが、現在は訳さずに「ア・プリオリ」とカタカナで書かれ、「経験に先立って」という意味です。ア・プリオリな原理だけに基づいて展開する哲学を、純粋な哲学と呼ぶことができるとカントは定義しました。

『純粋理性批判』の中でカントは、「ア・プリオリな総合判断」こそが学問的認識の本性を示しているという「問い」を提示しました。「ア・プリオリな総合判断」とは、経験によって認識する必要がなくその正しさが保障されており、あわせて経験によってでは達成することのできない普遍的な必然性を保持している判断のことです。

カントは、空間や時間、そして数学や自然科学などを「ア・プリオリな総合判断」だと示しましたが、何が「ア・プリオリな総合判断」であるかについて、現代の哲学研究の中でも論じ続けられるトピックとなっています。

「カント」の名言を紹介

哲学が存在するのは、まさにその限界を知ることにおいてである。

人間理性は退けることはできないが、答えることもできない問いによって混乱させられる。

内容を欠いた思考は盲目だ。概念を欠いた直観は空虚だ。両者の結合からのみ認識は生じうる。

宗教論は、神に対する義務の教えとして、純粋道徳哲学の限界にある。

人は理性にかんしては、せいぜいただ哲学することを学ぶことができるに過ぎない。

人間の義務にかんする悪徳は、虚言と貪欲といつわりの謙遜である。

「カント」の著書とは?

「カントの三大批判書」

大学教授となってから沈黙の10年を経たのちの1781年、カントが57歳の時、『純粋理性批判』第一版を、1787年には加筆された第二版を出版します。次いで1788年に『実践理性批判』、1790年に『判断力批判』を出版し、これらはカントの三大批判書とも呼ばれます。

また、『純粋理性批判』は第一批判、『実践理性批判』は第二批判、『判断力批判』は第三批判と呼ばれ、カントの批判哲学を構築しました。

『純粋理性批判』(第一批判)

『純粋理性批判』は理性の働きとその限界を明確に示し、認識原理の批判を行ったカントの主著です。本書についてはのちほど詳しく説明します。

『実践理性批判』(第二批判)

「第二批判」とよばれる『実践理性批判』では、道徳原理の批判がテーマで、倫理・道徳の哲学的基盤が提示されます。本書は近代道徳哲学の原典であり、また倫理学史上の名作とされています。

『判断力批判』(第三批判)

「第三批判」として知られる『判断力批判』では、判断力の批判を通じて批判哲学の体系を完成しました。判断力には理性と感性を調和させる能力があることを認め、道徳的理想としての神へと人間を向かわせることを説きます。

『人倫の形而上学の基礎づけ』

『人倫の形而上学の基礎付け』には、『実践理性批判』を理解するために必要な倫理哲学の基礎が書かれています。本書の目標は、「道徳性の最高の原理を探求し、確定すること」とされています。

本書は『道徳形而上学の基礎づけ』『道徳形而上学原論』というタイトルでも訳されています。『純粋理性批判』第一版出版から4年後に出版されました。

『人倫の形而上学』

『人倫の形而上学』はカント晩年の1797年に公刊されましたがその構想は古くから行われており、『純粋理性批判』『人倫の形而上学の基礎づけ』『実践理性批判』などの著作で触れられながら本書に結実しました。

人倫の形而上学は、第一部が法や権利を論ずる「法論」、第二部が道徳や義務を論ずる「徳論」の二部門で構成されます。本書では人間が生きる上での実践的な道徳について、具体的な例とともに明快に語られています。

『プロレゴーメナ』

『プロレゴーメナ』は『純粋理性批判』の要約として1783年に出版されました。正式なタイトルは「学問として現れうるであろうすべての将来の形而上学へのプロレゴーメナ(序説)」であり、本書は1781年に出版した『純粋理性批判』が難解すぎて理解されないことをカントが懸念して2年後に出版したものです。

まとめ

カントの著書『純粋理性批判』は難解ですが、同時に最も有名な書でもあるため、カント入門を『純粋理性批判』から始めてしまい、挫折することも多いようです。カント哲学入門としては、『道徳形而上学の基礎づけ』と『プロレゴーメナ』がおすすめです。

またカントは、そのマニアック的に難解な著書の特徴から、孤独で人付き合いが悪い人物という印象を持たれがちですが、実際には友人に恵まれ、快活で社交的な人物でした。職業的哲学者として経済的にも成功しており、その長い生涯を哲学と共に謳歌したのではないでしょうか。

晩年におそらく認知症を患ったカントの最後の言葉は、砂糖水で薄めたワインを飲ませてもらい「Es ist gut」(これはよい)だったということはよく知られています。