仏教用語の「弥勒」とはどのような意味なのでしょうか?「弥勒の世」や「弥勒信仰」という語もよく目にします。ここでは「弥勒」に関する語の由来や、意味について解説します。あわせて「弥勒菩薩」と「弥勒如来」の違いや、「マイトレーヤ」についても紹介しています。
「弥勒」とは?
まずはじめに「弥勒」の意味を紹介します。
「弥勒」は「慈しみ」という意味の梵語を音写した仏教用語
「弥勒」とは、「慈しみ」という意味の梵語「maitrī」を音写して漢字にあてはめた仏教用語です。梵語とは、サンスクリット語ともいい、インドなどで用いられた古代語です。仏教はインドを起源とするため、仏教用語には梵語(サンスクリット語)を語源とする言葉がたくさんあります。
読み方は「ミロク」
「弥勒」の読み方は「みろく」です。
「弥勒菩薩」は未来に現れて人々を救済する
「弥勒」という時の多くは「弥勒菩薩」(みろくぼさつ)のことを指します。弥勒菩薩は菩薩の中で最高位とされる菩薩です。「菩薩」とは、仏を目指す人という意味で、修行をして悟りを得ると仏となります。釈迦(ブッダ)も修行をしている時は菩薩でしたが、悟りを得て仏陀(ブッダ)となったのです。
菩薩は目的の違いからさまざまな菩薩がいますが、「弥勒菩薩」は釈迦が亡くなって56億7000万年後に登場し、悟りを開いて仏になり、多くの人を救済するといわれています。「慈悲の菩薩」という意味があります。
経典『菩薩処胎経』や「弥勒三部経」に、弥勒菩薩が未来に出現するという釈迦の予言が書かれています。
『仏説無量寿経』に弥勒菩薩が登場する
『仏説無量寿経』(ぶっせつむりょうじゅきょう)という仏教経典に「弥勒」が登場します。『仏説無量寿経』とは、「釈迦が説いた『無量寿経』」という意味で、釈迦の説法が書かれています。『仏説無量寿経』は『仏説観無量寿仏経』『阿弥陀教』の3書をあわせて「浄土三部経」と呼ばれ、浄土教の根本経典とされています。これらの経典はサンスクリット語で書かれています。
「無量寿」とは「阿弥陀仏」のことをいい、「阿弥陀仏」とは浄土教における最も優れた仏のことです。『仏説無量寿経』の中で、釈迦は弥勒菩薩に対して、「阿弥陀仏の名を聞いて、一度でもその名を唱えれば功徳を差し上げることができ、必ず極楽に往生できる」といい、その「阿弥陀仏の本願」を後世の人々に説き聞かせるようにと説いています。
「マイトレーヤ(弥勒)」は唯識説の始祖
歴史上の人物として「マイトレーヤ(梵語:maitreya)」(350年~430年頃)がいます。漢訳では「弥勒」とされますが、弥勒菩薩の弥勒とは別の実在した人物です。(実在しないとの説もあります)
マイトレーヤは「唯識説」の始祖とされ、その弟子であるアサンガ(無著)とその弟ヴァスバンドゥ(世親)が唯識思想を大成しました。「唯識(ゆいしき)」とは、3~4世紀頃にインドに興った大乗思想で、あらゆる存在は、心のはたらきで作り出された仮の存在にすぎないとする思想のことです。
「弥勒の世」と「弥勒信仰」とは?
次に「弥勒の世」と「弥勒信仰」について説明します。
「弥勒の世」とは弥勒菩薩が未来に現れて人々を救う世のこと
弥勒菩薩が釈迦入滅から56億7000万年後に登場し、人々を救うとされる未来の世のことを「弥勒の世」(みろくのよ)といいます。「弥勒の浄土」などとも言われます。
「弥勒信仰」とは弥勒菩薩に対する救世主信仰
「弥勒信仰」とは、弥勒菩薩に対する救世主信仰のことです。弥勒信仰では、釈迦入滅から56億7000万年後に弥勒菩薩が登場し、人々を救済すると信じられています。
弥勒信仰は古代インドに成立し、中国、朝鮮、東南アジアや日本において受容されました。日本に伝わったのは6世紀です。特に平安時代に末法思想が流行すると、人々の不安が高まり、弥勒信仰が盛んになりました。人々は厳しい現世からの救いを求め、浄土に往生したい、弥勒が出現する未来の世に生まれ変わりたいと願ったのです。
「弥勒信仰」を広めたのは「親鸞」
「阿弥陀仏の本願」は「全ての人を幸せにする願い」ですが、阿弥陀仏の本願に救われて幸せになった人は弥勒菩薩と同格になるという教えを説いたのは「親鸞」です。親鸞は、阿弥陀如来に全てを任せばよいという「他力本願」を掲げ、浄土真宗の開祖となった人です。
「他力本願」とは、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えれば、弥勒菩薩と同格になり、救われるという教えです。
◆「親鸞」の教えは以下の記事で紹介しています。
「親鸞」の思想や教えとは?その生涯や名言も解説
「弥勒菩薩」と「弥勒如来」の違いは?
「弥勒菩薩」の他に「弥勒如来」と「如来」がつくことがあります。両者の違いはどのようなものなのでしょうか。
「如来」は悟りを開いた仏
「如来」とは完全な人格者を意味し、下界に下ってって衆生を救済する仏のことをいいます。釈迦のことを釈迦如来ともいいます。如来像は基本的に悟りを開いたあとの姿を現すため、世俗の装飾品は身につけない姿で表わされます。
「菩薩」は悟りを求めて修行中の人
「弥勒菩薩」などの菩薩は、悟りを開くために修行中の人のことをいいます。悟りの前であるため、きらびやかな装飾品を身につける姿で表現されます。天上界で修行しており、私たちの世界に現れる時は、人間などに姿を変えて現れます。
修行中は「弥勒菩薩」、悟りを開くと「弥勒如来」
以上のことから、悟りを開く前の未来の仏である状態の時は「弥勒菩薩」であり、悟りを開いて衆生を救う段階になると「弥勒如来」と呼ばれます。
代表的な「弥勒菩薩像」
最後に弥勒菩薩像について説明します。
弥勒菩薩半跏思惟像
弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう/みろくぼさつはんかしいぞう) は、弥勒菩薩像の中でも代表的な仏像の形式です。日本には弥勒信仰の伝来とともに伝わり、奈良時代や飛鳥時代に多く作られました。
台座に腰かけて、おろした左足の膝上に右足の先をのせ(半跏)、右手の中指を頬にあてて思索する姿(思惟)をとります。
中でも有名な像は、京都の広隆寺に安置されている「宝冠弥勒」です。それとよく比較され、こちらも有名なのは奈良の法隆寺に隣接する中宮寺に安置される菩薩半跏像です。現在は「如意輪観音」とされていますが、造られた当初は弥勒菩薩像であったと推測されています。
弥勒菩薩立像・坐像
平安時代や鎌倉時代になると半跏思惟像は立像や坐像の形式に変わってゆきました。鎌倉時代の運慶・快慶による木像が多く残っています。快慶による最も古い弥勒菩薩立像はボストン美術館に所蔵されています。
まとめ
「弥勒」は「弥勒菩薩」のことを指し、釈迦入滅から56億7000万年後に姿を現し、人々を救うとされている仏教における未来の仏のことをいいます。現時点での弥勒は修行中の人なのですが、天上界で修行をしていて、仏になる一歩手前の有難い存在でもあります。
中宮寺や広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像はどのように人々を救おうか、深く考えている姿を現しているとされています。