ゲーテとともにドイツを代表する思想家に「フリードリヒ・フォン・シラー(1759年~1805年)」がいます。多くの文学者や芸術家にその戯曲や詩は影響を与えました。シラーが晩年を過ごしたドイツのヴァイマールにはゲーテとともに銅像が立っています。この記事ではシラーについてとその作品や名言を紹介します。
「シラー」とは?
シラーはゲーテと共にドイツ文学の黄金期を作り上げた人物
シラーとは、ドイツの詩人、劇作家、思想家です。ゲーテとともにドイツ古典主義とドイツ文学の黄金期を作り上げました。
ドイツ古典主義とは、古代ギリシャや古典美術を規範として、普遍的な理性や調和、形式美を追究する芸術思潮のことをいいます。ゲーテの『ファウスト』やシラーの『ヴァレンシュタイン』などがドイツ古典主義の代表的な作品です。
シラーの特徴は「自由を求める不屈の精神」と「独自の美学哲学」
シラーは主に詩と戯曲を多く創作しました。その詩は戯曲性豊かな情熱的な作風で、戯曲では主人公が不屈の精神で自由を追求する倫理的理想主義を劇的に描きました。そしてその根底には独自の美学哲学がありました。
シラーがドイツ国民に与えた影響は大きく、ゲーテと並んでドイツの国民的作家とされています。
ヴァイマールにはシラーとゲーテの銅像が立っている
ドイツ古典主義の中心となったドイツのヴァイマールは「古典主義の都ヴァイマール」として世界遺産に登録されています。ゲーテとシラーの演劇作品が上演されてきたヴァイマール国民劇場の前には二人の銅像が並んで立っています。ゲーテとシラーの家も現存しています。
「シラー」が与えた影響
シラーの詩『歓喜の歌』はベートーベンの『第九』の歌詞に
ベートーベンの『第九』の第四楽章で歌われる歌詞は、シラーの詩『歓喜の歌(An die Freude)』が用いられています。ベートーベンは生涯にわたってシラーの詩を愛読したとされ、『歓喜の歌』に感激して交響曲に織り込みました。
「O Freunde, nicht diese Töne!」から始まり「Freude, schöner Götterfunken,」の合唱が始まるまでの、バリトン歌手が冒頭で歌う箇所は、ベートーベンが付け足した歌詞でもとの詩にはありません。
シラーとゲーテの往復書簡は1000通を超えた
シラーはゲーテと1794年の対話を境にして急速に親しくなり、シラーが46歳の若さで亡くなるまでの11年間、深い親交を結びました。二人が文学や芸術を語り合った往復書簡は1000通を超え、貴重な資料ともなっています。日本語訳で出版もされています。
シラーは太宰治の『走れメロス』にも影響を与えた
太宰治の『走れメロス』はシラーの詩から着想を得て書かれました。太宰が参照したのは小栗孝が訳した『新編シラー詩抄』に収められた「人質」という詩だとされています。シラーの詩のモチーフは古代ギリシャの友情物語で、中世の地中海や中東世界でその逸話が発展し、ヨーロッパに流入したものです。
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』へも影響を与える
ロシアの文豪ドストエフスキーは、10歳の頃に劇場で見たシラーの『群盗』から精神面に大きな影響を受けたと語り、シラーを尊敬していました。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』にはたびたびシラーの名が登場し、父親のセリフに『群盗』への言及があります。
「シラー」の代表作
最後にシラーの代表的な著書と名言を紹介します。
シラーの代表的な劇作品
『群盗』Die Räuber(1781)
シラーの戯曲作品の第1作が『群盗』です。当初は匿名で自費出版されましたが、その翌年には舞台化され、大きな反響を得ました。18世紀のドイツの文学運動であるシュトゥルム・ウント・ドラングの代表作であり、日本でも幾度も舞台上映されており、近年は宝塚歌劇でも採用されています。
シュトゥルム・ウント・ドラングとは、「疾風怒濤」とも訳され、若き日のゲーテやシラーなどを中心に興った文学革新運動のことで、理性を重視した啓蒙主義に反対し、自由な感情と人間性の解放とを強調しました。『群盗』は自由と法の対立をテーマとして貴族社会を舞台に描かれています。ゲーテの作品では『若きヴェルテルの悩み』がシュトゥルム・ウント・ドラング運動の代表作とされます。
『ヴァレンシュタイン』Wallenstein(1799)
『ヴァレンシュタイン』の戯曲は、30年戦争の英雄であるヴァレンシュタインの生涯を描いた歴史悲劇です。シラーは歴史研究によって文学にはじめて歴史を導入しました。また、本作はシュトゥルム・ウント・ドラング期を脱したシラーの最高傑作とされます。
『ヴィルヘルム・テル』Wilhelm Tell(1804)
「ウィリアム・テル」の英語名で知られるヴィルヘルム・テルは、14世紀初頭にスイスに住んだとされる伝説の英雄です。実在したかどうかは不明とされますが、息子の頭上のリンゴを射貫くエピソードが有名です。シラーは『ヴィルヘルム・テル』の戯曲によって自由・平等の理念を提示しました。
シラーの代表的な美学論文
『人間の美的教育について』Über die ästhetische Erziehung des Menschen(1795)
シラーはカント哲学を研究し、その影響下のもと、美による教育を説く美学論文を著しました。シラーは人生における芸術の働きについて深く考え、それを人間の美的教育という言葉で表しました。
シラーの名言
「箴言(しんげん)」から名言を紹介
強い者は一人でいるときが一番強い。
重い心は言葉で軽くはならない。
考えすぎる者に仕事はできない。
私にとって友人は大切である。しかし、敵でも私は利用することができる。友人は私に、私が何ができるかを示してくれるし、敵は私に、私が何をなすべきかを教えてくれる。
まとめ
シラーはゲーテと並ぶドイツの国民的作家ですが、日本ではあまり知られておらず、最も知られている作品といえばベートーベンの『第九』の歌唱で耳にするドイツ語の詩かもしれません。小説ではなく情熱的に感情がほとばしる戯曲というスタイルが日本になじまなかったのではと考えられています。
欧米においてシラーの詩や戯曲は、その力強い表現と哲学的な思惟が多くの芸術家に影響を与え、ドイツのみならず、ヨーロッパ各国へも影響は広がり、ロシアのドストエフスキーはシラーの作品を全て翻訳しようとしたということです。
日本でも『群盗』はたびたび上演されているため、作品を読む機会はなくとも、鑑賞できる機会があるかもしれません。