「ジョルジュ・バタイユ(1897年~1962年)」は、独自の思想を追求したフランスの思想家です。フーコーやデリダなどポスト構造主義の思想に大きな影響を与えました。この記事では、バタイユの思想や著書、名言を紹介します。
「バタイユ」の思想とは?
「バタイユ」とは20世紀フランスを代表する独特の思想家
バタイユとは、フランスの思想家・哲学者であり作家です。名門国立古文書学校を卒業後、国立図書館に司書として勤務する傍ら、哲学、小説、宗教、経済学、文芸批評、芸術論など多岐の分野にわたって執筆を行いました。
バタイユはニーチェの研究でも知られ、またミシェル・フーコーやジャック・デリダなどポスト構造主義の思想家に大きな影響を与えました。フーコーは、バタイユは20世紀の最も重要な書き手の一人であると述べています。
バタイユは神秘主義をおびた独特の思想を打ち立て、第二次大戦前には美学・考古学の雑誌『ドキュマン』の編集に携わり、戦後は書評誌『クリティック』を創刊しました。他にも聖なるものを追求する秘密結社「無頭人」の活動なども行っていました。
『ドキュマン』は表向きは考古学や美術をテーマとした学術誌の体裁を取っていましたが、既存の物の見方を壊すことを目的として、刺激的な図版なども掲載していました。
「死」「エロティシズム」などを通して人間の至高のあり方を追求した
バタイユのテーマは「死」「エロティシズム」「侵犯」「聖なるもの」などに集約され、それらを通して人間の至高のあり方を追求しました。
日本においては三島由紀夫がバタイユの熱心な読者であり、三島は、あるインタビューにおいて、現代ヨーロッパの思想家でもっとも親近感を持っている人がバタイユであると述べています。三島はバタイユのテーマであるエロチシズム、死や侵犯(罪)に共鳴していました。
「バタイユ」の思想は近代西欧への批判
バタイユの生きた時代のフランスでは、18世紀後半から、人間理性を重要視する思想が高まっていました。人々は、理性の力が万能であると信じ、理性的人間の進歩が幸福な社会を築くことを確信していました。
理性が信仰されていた時代に、バタイユは理性的人間の崩壊と狂気を描き、人間の理性の弱さを追求し、一貫して近代西欧への批判を行いました。
「バタイユ」は「シュルレアリスム」や「フロイト」にも接近した
近代西欧社会への批判から出発した「シュルレアリスム」運動へバタイユは関心を寄せ、『ドキュマン』などに論文を掲載しました。「シュルレアリスム」とは「超現実主義」という意味の芸術運動で、無意識、狂気、死などをテーマとして、近代人の意識の転覆を狙っていました。シュルレアリスムはのフロイトの精神分析理論に注目しており、バタイユもフロイトを読み込んでいました。
バタイユのキーワード「消尽」とは非生産的消費のこと
バタイユは、西洋の伝統的なキリスト教的、観念的な精神を批判し、唯物的で功利的な思想からも外れて、新たな物質的価値を「消費(デパンス)」に見出しました。
バタイユは、非生産的な消費こそが人間の生における本来の「目的」であり、有用性の発想はこの目的に尽くすための手段にすぎないとして、手段を目的に取り違えている近代人の生き方を批判しました。
非生産的消費のことを「消尽」と呼び、消尽こそが至高な次元へ至る出来事であるとしました。
「バタイユ」の著書を紹介
バタイユの代表的な著作を紹介します。
『眼球譚』1928年
『眼球譚』はバタイユの最初の小説で、匿名で出版されました。若い男女の性的倒錯と混乱が描かれ、当初はその内容が悪魔的であるなどとして理解されませんでしたが、人間の深い心理を描いていることが理解されるようになり、評価を得ました。
この前に書いた異様な小文『太陽肛門』をきっかけに精神分析の治療を受けたところ、治療の一環として思うままに書くことを勧められ、本書の執筆によって精神の安定を得ることができたとバタイユがインタビューで述べています。
同時にその精神分析によって、『眼球譚』のモチーフとなった「目玉」への恐怖が、バタイユが幼少期に接した、父親の心身の崩壊にともなう醜悪で巨大な白眼であったことがわかりました。
さらに物語は、目、卵、太陽といったシンボルとそれらの連想から構築されており、バタイユが影響を受けたシュルレアリスムの思想からの影響が見られます。
『無神学大全』1943~1945年
トマス・アクィナスの『神学大全』に似せたタイトルの『無神学大全』は、第二次世界大戦中に執筆された哲学理論書です。『内的体験』『有罪者』『ニーチェについて』からなる三部作で構成されています。
本書は、死、エロティシズム、笑いといったバタイユのテーマから、至高性について探求したもので、共通して語られるのは神秘的な体験についてです。バタイユは伝達しがたい体験を語ろうと試みました。
『無神学大全』は、バタイユの思想とともに、西欧の思想史における頂点であるとされています。
『呪われた部分』1949年
『呪われた部分』は、のちに「全般経済学試論ー蕩尽」に改題されたバタイユの経済学言論です。バタイユは経済学の根本的な刷新を目指し、新たな経済学を提示しました。本書のテーマは、経済学の視点の根本的な転換、蕩尽(生産とその利潤を損失に差し向ける動きのこと)、意識の覚醒です。
「蕩尽」とは、富を無益に滅ぼす殺人や戦争も含まれます。バタイユは、戦争が富を蕩尽するものであり、世界戦争という蕩尽しか選択できない西欧文明を批判しました。バタイユは「蕩尽」の呪いを解こうと試みました。
『呪われた部分』の第二巻として、『エロティシズムの歴史』がバタイユの死後に刊行されました。バタイユの論じるエロティシズムとは、近代西欧における呪われた蕩尽でした。
『青空』1957年
『青空』は1935年に書かれた魅惑的、破壊的な小説で、その後のスペイン戦争や第二次世界大戦を経て、1957年に刊行されました。戦争前夜の緊迫した状況のもとで書かれた本書は、精神的な破滅に瀕した主人公の緊迫した精神の瞬間が綴られます。
死の淵から生き延びながら、主人公は「黒いイロニー」を見ますが、それは何だったのかは明らかにされません。
『文学と悪』1957年
『文学と悪』は、バタイユの文芸評論集です。ボードレールやカフカを論じました。「まえがき」において、「文学とは悪を表現したものであり、この悪は、我々にとって至高の価値を持つものなのである。この捉え方は道徳の不在をうながしているのではなく、「超道徳(ハイパーモラル)」を求めているのである。」と述べています。
「バタイユ」の名言とは?
バタイユの著書から名言を紹介
一人の人間にとって大切なのは、一個の物であるだけでなく、至高に存在することである。
私は神を信仰しない。自分を信仰できないからだ。神を信仰するということは、自己を信仰するということなのである。
私たちの内面には、だれにも分からない何かを求めてやまない内的な力がある、それも狂的に求める内的な力が。
宗教というものは、万物を問いに投じることである。もろもろの宗教は、多様な回答が形成した大建造物だ。それらの大建造物を口実として、限りない問いへの投入が続けられている。
生きることは、狂ったように、だが永遠に、サイコロを投げることだ。
バタイユ入門のおすすめ本とは?
「文学と悪」
バタイユの全貌を俯瞰することは困難ですが、文学論を通じて、バタイユの思想のテーマを理解できることから、『文学と悪』がバタイユ入門におすすめです。
まとめ
バタイユが語る「聖なるもの」とは、宗教や哲学、さらに人間の活動においてかかわるざまざまな分野に重要な意味を持つもので、聖なるものが人間を救うと論じました。しかし、その独特の思想を理解することは困難です。
バタイユの小説や論文を読み解くためには、バタイユのいう「善」と「悪」の概念が何であるかの理解が必要です。