少女や美しい女性の理想美を追求した「ウィリアム・ブグロー」は、19世紀フランスを代表する画家です。この記事では、ブグローの生涯と代表作品を解説します。天使の絵として人気の高い、別名「ファーストキス」は、天使ではなく「クピド」であることなども解説しています。
「ウィリアム・アドルフ・ブグロー」の生涯とは?
ラ・ロシェルの夕景
「ブグロー」とは19世紀フランス絵画を代表する画家
ウィリアム・アドルフ・ブグロー(William Adolphe Bouguereau、1825年~1905年)とは、19世紀フランス・アカデミズムを代表する画家です。神話や寓話をインスピレーションとして、天使や少女を題材とした優美な絵画を多く残しました。
ブグローは高い人気を誇り、加えて当時のフランス美術画壇での大きな影響力を持っていましたが、19世紀末からの印象派やキュビスムなどの台頭により、一時期は忘れられた画家となりました。しかし20世紀の終わり頃から、アメリカを中心にフランス・アカデミズム絵画の再評価が行われ、再び脚光を浴びました。
「ラ・ロシェル」への敬愛と「イタリア巡礼」が創作の基盤
ブグローは、フランスのビスケー湾の入り江にある港街ラ・ロシェルでブルジョワの家庭に生まれました。美しい風景と温暖な気候の故郷を愛し、感性をはぐくまれて育ちました。
幼い頃から並外れた美術の才能を表し、パリの美術学校で基礎を学ぶと、青年期にはイタリア美術の巡礼の旅に出ました。ローマに渡ってミケランジェロやラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどルネサンスの巨匠の残した作品から技術を学び、フラ・アンジェリコが活動したウンブリアのアッシジや、ナポリ、ポンペイにも滞在しました。
ブグローはアッシジに滞在中に、フランチェスコ大聖堂のフレスコ壁画など、全てのフレスコ画を模写し、宗教画の技術を学びました。パリに戻ると、教会の絵画を勉強し、信仰や尊厳を表現してゆくことを決めました。
実際にブグローが教会の装飾画を手掛けたのは生涯のうちに4回だけでしたが、キリスト教から着想した主題や、人の魂の移ろいを寓話的に表現した絵画を多く描きました。ブグローは生涯を通じて、幼少期から青年期に吸収した美の理想の再構築を追求し続けました。
「ブグロー」の代表作品を紹介
『アムールとプシュケー、子供たち』(ファーストキス) (1890)
『アムールとプシュケー、子供たち』個人蔵
(出典:Wikimedia Commons User:Juanpdp)
「ブグローの天使の絵」としてもっとも親しまれているのが『アムールとプシュケー、子供たち(L’Amour et Psyché, enfants)』です。複製画や絵はがきで目にしたことがある人も多いでしょう。左側の白い翼を持つ子供がアムールで、右側の蝶の翅(はね)を持つ女の子がプシュケーです。
一般的に「アムールとプシュケー」が作品化されるときは、成人した男女の姿で描かれますが、ブグローは子供の姿で描きました。なお、この作品は別名「ファーストキス」と呼ばれることもあります。
「アムール」と「プシュケー」とは
「アムール(Amor)」とは、ローマ神話の愛の女神ヴィーナスの息子「クピド(Cupido)」のことで、日本では英語の「キューピッド(Cupid)」の呼び名で知られています。
「プシュケー(Psyché)」とは、古代ギリシャ語で心や魂を意味し、その象徴は蝶です。ここでのプシュケーはギリシャ神話に登場するお姫様の名前で、「アムールとプシュケー」の恋の物語が主題となっています。プシュケーはやがて女神となり、女神となったプシュケーには蝶の翅が生えます。
クピド(キューピット)と天使(エンジェル)は別の存在
また、「天使の絵」として紹介されることもありますが、アムール、すなわちクピド(キューピッド)は、天使(エンジェル)とは別の存在です。
ギリシャ・ローマ神話に登場するのがクピドで、キリスト教に登場するのが天使です。キリスト教の天使は、神の御使いとして人間にメッセージをもたらす存在です。キリスト教芸術にもギリシャ・ローマ神話のクピドが描かれることがあるため、その違いはわかりにくいかもしれません。
『ヴィーナスの誕生』(1879年)
『ヴィーナスの誕生』オルセー美術館(パリ)
(出典:Wikimedia Commons User:Themadchopper)
『ヴィーナスの誕生』(La Naissance de Vénus)は、ブグローの代表作品のひとつです。ギリシャ神話の女神アフロディーテの誕生を主題とした伝統的な作品です。
女神がホタテ貝の貝殻に乗って海を進む場面は、ルネサンスの画家サンドロ・ボッティチェッリが15世紀に同タイトルで描いています。ボッティチェッリの作品では、西風の神ゼフュロスと、大地の女神クロリスが風を吹き出してヴィーナスの移動を助けますが、ブグローはイルカに貝殻を引っ張らせています。たくさんのクピドも描かれています。
『ビブリス』(1884年)
『ビブリス』個人蔵
(出典:Wikimedia Commons)
『ビブリス』(Biblis)は、アトリエでモデルの若い女性が起き上がる瞬間にとった美しいポーズに、画家が目をとめたことがきっかけで、ギリシャ神話のビブリスを主題にとって描かれました。ビブリスとは、ギリシャ神話に登場する、双子の兄への叶わぬ恋に絶望して泉の精霊になってしまう女性の名前です。
ブグローは芸術家の神髄とは、自分を取り巻くものに絶えず敏感に目を向け、神の創造物である美を「見つける」ことだと考えていました。
まとめ
寓話や神話の主人公に仕立てた子供や、美しい女性の姿をした天使などを、美しい自然とともに描く独自の理想美をブグローは追求しました。
19世紀フランスのアカデミズムを代表するブグローは、台頭してきた印象派のセザンヌらのサロンへの出品を落選させ続けた重鎮でもありました。太陽の光と影を忠実に表現する印象派の画家が描く、女性の体に落とされた暗い影の色や、世俗の女性のありのままの表現を受け入れることができなかったのかもしれません。