「ボードレール」は19世紀のフランスを代表する詩人です。生前に刊行された唯一の詩集『悪の華』によってフランス近代詩の創始者となりました。この記事では、ボードレールとはどのような人物なのかとその生涯を紹介します。作品と名言も紹介しています。
「ボードレール」とは?
ボードレールのポートレート
(出典:Wikimedia Commons User:Notwist)
「ボードレール」とは”近代詩の父”とされるフランスの詩人
「シャルル=ピエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821年~1867年)」とは、フランスの詩人、評論家です。生前に刊行された唯一の詩集『悪の華』では、近代人の苦悩と憂鬱や悪を深くうたい、フランス詩に革命をもたらしました。
ボードレールの詩は、それ以降のフランス詩がボードレールから派生したとされるほど、フランス詩壇に大きな影響を与え、「近代詩の父」と称されます。単独では刊行されていませんが、散文詩『パリの憂鬱』も高く評価されています。
またボードレールは詩人であるとともに優れた文芸・美術評論家、エッセイストでもありました。さらに、エドガー・ポーの翻訳者としても功績を残しました。
「ボードレール」とは”フランス象徴派”の先駆者
「ボードレール」とは、19世紀後半のフランスに台頭した芸術の潮流である「象徴主義(symbolisme:サンボリスム)」に属する文学の一派「フランス象徴派(symbolistes:サンボリスト)」の先駆者とされます。
象徴派は、自然主義やリアリズムなどの客観主義に対して主観的表現を重んじ、想念の世界を象徴的に表現しようとしました。
ボードレールが青年の頃の文芸の世界は、『レ・ミゼラブル』のヴィクトル・ユーゴー(1802年~1885年)を代表とするロマン主義が全盛でした。ボードレールはユーゴ―のロマン主義に対立し、新しい様式を打ち立てました。
■参考記事
「象徴主義」の特徴をわかりやすく解説!文学・絵画の作品も紹介
ボードレールの後継者「ランボー・マラルメ・ヴェルレーヌ」
ボードレールに影響を受け、ランボー、マラルメ、ヴェルレーヌらのフランス近代詩の鬼才たちが19世紀に輩出されました。
日本では上田敏がボードレールや象徴派の詩を訳して紹介し、北原白秋や萩原朔太郎など日本の近代詩を代表する詩人たちに影響を与えました。
ボードレールの生涯とは?
放蕩生活を送りながら詩や評論を発表
1821年、ボードレールはパリに生まれますが、幼時に父と死別します。若い母がすぐに軍人と再婚したことがボードレールを深く傷つけ、性格形成に複雑な影響を与えます。
学生時代は成績優秀でしたが、詩作にのめり込み、文芸サークルや文芸雑誌にかかわるようになります。ボードレールは義理の父親に抵抗するために、怠慢や放蕩を武器にします。
20歳で父の遺産を受け継ぐと、パリのカルチェ・ラタンで自由かつ堕落した生活を送りながら、詩やドラクロワやマネなどの美術批評などを発表しました。ボードレールの主要な作品は20代の頃に書かれたものです。
30代はポーの翻訳に没頭
ボードレールは詩と評論に加えて、アメリカの小説家で詩人の”エドガー・アラン・ポー”のフランス語翻訳でも大きな功績を残しています。
ポーが亡くなるその前年(1848年)から1865年まで、ボードレールはポーの翻訳にのめり込み、1852年には『エドガー・アラン・ポー その生涯と作品』と題する論考を「パリ評論」に発表し、賛辞を捧げました。
初めてポーの本を開いたとき、ボードレールは「自分自身が考えた文章をそこに見い出した」と述べています。また、ポーのアルコール中毒や困窮、悪魔のような幻覚などに、自身との類似性を発見しました。
ボードレールが翻訳したポーの作品は、本国アメリカよりもフランスにおいて高く評価され、フランス象徴派の文学を代表する作品となりました。
晩年は失語症に襲われ46歳で死去
ボードレールは放蕩の末に困窮する生活を送りました。1866年に倒れて半身不随となり、失語症に陥ります。その翌年、パリで亡くなりました。
ボードレールが亡くなって数年後の1870年頃からは『悪の華』の詩人に対する崇敬が高まり、1880年代には象徴派の潮流となって文学以外にも影響が及びました。『悪の華』に霊感を得たモローやロダンなどが活躍しました。
ボードレールの代表作品と名言とは?
生前に刊行された唯一の詩集『悪の華』
『悪の華』は1857年に初版が刊行されたボードレールの詩集です。退廃の美と反逆への情熱をうたい、十数年の歳月を費やして創作されました。生前に刊行された唯一の詩集ですが、ボードレールの死後も雑誌等に掲載された詩編を加えた再販版が出版されています。
『悪の華』は、象徴派詩人のバイブルとなり、フランスのみならずヨーロッパや世界にも影響を与えました。フランス詩史上もっとも重要な詩集だと評価されています。
死後に全集に収められた散文集『パリの憂鬱』
ボードレールは、大都会パリの憂鬱を散文詩にして書き綴りました。数回にわたって雑誌や新聞に掲載され、晩年は困窮のなかで出版を画策しますが、ついにかなわず、死後2年を経た1869年に刊行された全集の中に収められました。
『パリの憂鬱』の散文は、詩集『悪の華』に収められた詩編と内容が対応していることがわかっています。
ボードレールの「名言」
30代~40代の頃に書かれたアフォリスム的な『火箭(ひや)』の中から、ボードレールの名言を紹介します。
たとえ神が存在しないとしても、宗教はやはり尊厳かつ神聖であるだろう。
神は、君臨するために、存在することさえ必要とせぬ唯一の存在である。
精神によって創られたものは、物質以上に生きている。
これを相手にしては軽蔑も復讐にならないような、甲殻類の皮膚を持つ者たちがいる。
金を稼ぐ唯一の方法は、無欲になって仕事をすることだ。
まとめ
ボードレールの『悪の華』は、1857年に初版が刊行され、その後何度か版を重ねながら、近代詩の出発点としての地位を確立してゆきました。生前には批判され、検閲されて詩編の一部が削除されるなどしながら、死後数十年を経てフランスを代表する詩集となったのです。
ヴェルレーヌも、マラルメも、ランボーも、『悪の華』を読んでいなかったら、後年の彼らではありえなかっただろう、とポール・ヴァレリーが1924年の講演で述べた言葉はよく引き合いに出されます。
ボードレールの作品は、心の抒情性を批判の焦点へと解放したことで詩に近代化をもたらし、今日の世界の抒情詩は、ボードレールの影響を受けない詩はないと評されています。
※ボードレールは幼少期を英国で過ごした母と英語で話すことで英語を修得していましたが、翻訳の際には原作の文体をフランス語に移植するのに努力を続けました。わからない単語は専門家やイギリス人を尋ねて確証を得ていました。