「ウィリアム・ブレイク」はイギリスを代表する異色の詩人・画家です。自らの詩と彩色版画で幻想的な詩集を作りました。この記事では、ブレイクとはどのような芸術家なのかとその生涯を、代表的な詩・詩集とともに解説します。
「ウィリアム・ブレイク」とは?
トマス・フィリップスによるウィリアム・ブレイクの肖像画(1807年)
(出典:Wikimedia Commons User:Adam Cuerden)
「ブレイク」とはイギリス・ロマン派の詩人・画家
ウィリアム・ブレイク(William Blake、1757年~1827年)とは、イギリスのロマン派の詩人・画家です。多様な美や感性、自由な創造を尊重したヨーロッパのロマン主義は、イギリスにおいてはブレイクの詩がその萌芽となりました。
神秘思想家として特異な詩や絵を多く描きましたが、生前には価値が認められず、銅版画職人、挿絵画家として生計を立てました。近代以降にその美と意味が認められ、さまざまな分野の芸術家たちに影響を与えています。
ブレイクは産業革命期のロンドンに生きた
ブレイクが生まれ、生涯を過ごした時代のイギリス・ロンドンは、産業革命が始まり、社会の様相が一変した時代でした。ブレイクの特異な芸術思想には時代背景の影響があります。
ブレイクは、産業革命の根底にある効率主義や科学万能主義、そして当時の思想の主流であった理性や秩序を重んじる啓蒙主義や合理主義に反発しました。ブレイクは、神が創り出した人間の精神や魂の追求に向かいました。
ブレイクの神秘思想は生前は理解されなかった
ブレイクは幼少のころから「幻視」を見たと主張していました。ブレイクは自らが幻視した特異なビジョンを、神話やキリスト教を題材にして、詩や絵画を用いて表現しました。
スウェーデンボリ神学の影響を受け、また神や天使など霊的な存在を感じ取ってもいたようです。
ブレイクの個性的な芸術は生前には理解されず、個展を開いても精神に異常をきたしていると中傷されるほどでした。それでも旺盛な制作活動を続けますが、困窮の中ひっそりと69歳で息を引き取りました。
ブレイクの神秘主義思想はその死後に理解され、さまざまな分野に芸術家に影響を与えました。文学ではエドガー・アラン・ポーを介して、19世紀の幻想文学にも影響を与えました。
ブレイクの名言と日本における受容
『日の老いたる者』(1794年)
(出典:Wikimedia Commons User:Jaybear)
ブレイクの名言「生きとし生けるものはすべて神聖である」
ブレイクは、キリスト教と芸術を一体化しようとしました。神は人の個性の上に顕現すると考え、芸術に差別を設けてはならず、個性の発現に芸術を見い出そうとしました。多様な個性を表現できるのがキリスト教であるとして、詩集『天国と地獄の結婚』において「生きとし生けるものはすべて神聖である」と述べました。
この言葉は、ブレイクが追求した善と悪をあわせ持つ人間の精神性と、人間存在の平等性の根本的な考え方を表しているといえます。
日本では柳宗悦が熱心に研究した
日本では、民藝運動を起こした思想家、柳宗悦がブレイクを熱心に研究しました。柳の『ヰ(ウィ)リアム・ブレーク』(1914年)は、日本における初めての本格的な研究書です。柳は、「生きとし生けるものはすべて神聖である」というブレイクの肯定の思想に着目し、またそこに東洋的色調を見い出しました。
また、ラフカディオ・ハーンは、1896年から1903年まで東京帝国大学で英文学講義を行い、ブレイクを取り上げました。その際、ブレイクを「英国最初の神秘主義者」「18世紀英国の偉大な狂人」として紹介しました。
ブレイクの代表作品とは?
イギリスの国歌として歌われているブレイクの詩「エルサレム」
第一次世界大戦中の1916年に、ブレイクの詩「エルサレム」に曲がつけられました。現在は事実上の国歌として、さまざまな場面で合唱されています。「エルサレム」はブレイクの預言詩『ミルトン』に収められた序詩で、権力に屈しない自由な精神をうたっています。
彩色本詩集『無垢と経験の歌』と詩『虎』
ブレイクによる『虎』の挿絵
(出典:Wikimedia Commons User:Ausir)
詩人であるとともに銅版画家でもあったブレイクは、自身の詩に銅版画による挿絵を彩色印刷した自作の詩集に取り組みました。『無垢と経験の歌(むくとけいけんのうた)』(原題:Songs of Innocence and of Experience)が代表作です。
『無垢と経験の歌』は、無垢な魂のヴィジョンを子どもに見たブレイクが、わかりやすい言葉で「無垢」を称え、悩みに満ちた大人の世界の「経験」をそれと対比させて一冊にまとめたものです。神聖な情感をうたった詩集であると称賛されています。
それに収められた詩『虎』(The Tyger)は、ブレイクの代表的叙事詩として批評家に取り上げられ、よく知られています。
「虎よ!虎よ!」(Tyger, Tyger, )で始まる詩は、アメリカのSF作家アルフレッド・ベスターによるSF小説『虎よ、虎よ!(Tiger! Tiger!)』(1956年)のタイトルにも用いられました。
晩年に制作した未完の『神曲』挿絵
ブレイクは晩年、病気と貧困に苦しみながら、ダンテの『神曲』の挿絵を描きました。67歳の誕生日の直前の1824年の秋から、亡くなる1827年の秋までの3年間で、百数枚の下絵を描き、そのうち7枚が銅版画として完成しました。挿絵が完成するまで死ねないと語っていましたが、未完のまま亡くなりました。
ブレイクはダンテとは思想的な違いを持ちながらも、常にダンテを偉大な詩人であると称え、その詩を理解しようとイタリア語を学習したほどでした。
『戦車の上からダンテに語りかけるベアトリーチェ』
(出典:Wikimedia Commons User:APPER)
『神曲』の第29・30曲に依拠する挿絵です。渦を巻く車輪と凱旋戦車を曳くグリフォンが中央に据えられています。台の上に立つのはベアトリーチェで、画面の右下に立つのがダンテです。車がダンテの前で止まり、花の雲の中にベアトリーチェの姿を認めるシーンが描かれています。ベアトリーチェを囲む大きな翼は原作にはなく、他の画でもブレイクが用いた独自のシンボルです。
まとめ
ウィリアム・ブレイクは、神秘思想を根底に特異な詩や版画を制作し、その死後に個性の表現の芸術性が評価され、イギリスを代表する詩人・画家となりました。
日本では民藝運動を起こした思想家、柳宗悦がブレイクを熱心に研究しました。
集英社から出版されているダンテの『神曲』には、ブレイクの挿絵が使われています。ブレイクの研究者である寿岳文章が翻訳し、ブレイクの絵についての解説も収められています。
ブレイクのオリジナル図版も収録されたカラー版画詩集も発行されています。『虎』の詩と絵も収録されています。