「モランディ」とは?反復した静物画の作品背景や生涯を解説

「モランディ」が反復して描いた繊細な壜や壺の静物画は、美術愛好家の間で特に人気があります。この記事では、ボローニャのアトリエで同じ主題を描き続け、20世紀を代表するイタリアの画家で「孤高の芸術家」と呼ばれた、モランディの作品や生涯について解説します。

「モランディ」とは?

モランディのポートレート
(出典:Wikimedia Commons User:Mlang.Finn)

「モランディ」とは静物画をひたすら描いた孤高の画家

ジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi、1890年~1964年)とは、イタリアを代表する画家です。故郷イタリア・ボローニャを生涯離れず、独自のスタイルで静物画をひたすら描き続けました。その作風と謎を秘めた人生から「孤高の画家」と呼ばれます。

卓上に置かれた何の変哲もない壜(びん)や壺や水差しなどの静物画を、組み合わせや光の加減を変えて繰り返し描きました。風景画も描きましたが、対象となる風景はあくまでも日常のありふれた風景でした。

柔らかな色彩と繊細なタッチで描かれるモランディの静物画は、独特な静寂の世界を保ち、激しい主張がないにもかかわらず、その奥に物語性を感じ取る不思議な作品です。唯一無二の世界観は美術愛好家を惹き付け、芸術家たちにインスピレーションを与え続けています。

「モランディ」の作品の特徴とは?

特定の運動には距離を置き独自の世界を追求した

20世紀の絵画界は、フォービズム、キュビスム、印象派、抽象主義、シュルレアリスムなど、さまざまな芸術運動が生まれては消えた激動の時代でした。モランディは模索期には前衛の影響を受けましたが、そののちには特定の様式や運動とあえて距離を置き、自身が定めた静物や風景のみを繰り返し描きました。

特定の流派などに属さないため、絵画の系譜から外されることもありますが、モランディはその静かな前衛性により、20世紀を代表する重要な具象画家に位置づけられています。

静寂をたたえた作品と人生を一体化させた

モランディは友人たちにあてた手紙の中で、自分は制作のために必要な平穏と静寂だけしか望んでいない、と繰り返し書きました。モランディの人生も、芸術家にありがちなスキャンダルや特異な出来事などは何も起こらない、絵を描くことを繰り返す静かな毎日であり、またその人生から生み出された作品も同様に静寂をたたえています。

モランディは生と芸術が一体となることを望み、そのように評論されるよう批評家に対して自ら演出することもありました。微妙に色や配置を変えて反復された静物画は、モランディという芸術家の緻密なブランディング戦略から生み出されたものだとも言えます。

「モランディ」の生涯とは?

ボローニャの街並み

3人の妹とともにボローニャの簡素なアパートに暮らした

1890年、モランディはボローニャで麻の取引業を営む父のもとに生まれます。画家を志し、ボローニャの美術アカデミーに進み、その後パリに出て勉強することを望みますが、父の急逝によって夢をあきらめることになります。

1910年、20歳のモランディは3人の妹とともにボローニャのフォンダッツァ通りにある簡素なアパートに移り住み、生涯をそこで過ごしました。3人の妹たちは結婚せずにモランディの身の回りの世話をすることを選び、兄に生涯を捧げました。

若いときの挫折が、モランディの絵画への向かいあい方を決定づけたのではないかとの研究もあります。

20代の模索期にはキリコや新しい芸術潮流に接近した

モランディは終始一貫して同じ画風を貫いたイメージがありますが、20代の頃は自分のスタイルを模索しており、キュビスムや未来主義、形而上絵画などに接近し、それらに影響された作品を描きました。

特にデ・キリコの影響を色濃く反映した静物画や自画像を模索期に描きましたが、晩年にその時代の作品を破棄したことが知られています。モランディは、一貫して揺るぎのない芸術家としての顔を、後世に残そうと意図していたことがわかっています。

版画教師をしながら世界で名声を得る

1930年、画家が40歳のとき、ボローニャ美術アカデミーで版画教師の職を得ます。アトリエを兼ねた自宅からアカデミーに通う規則的な生活を26年間勤務を続けました。

職人あるいは修道士のような生活を片田舎の町で続けていたモランディですが、1930年代にはその名声はイタリア国内はもとより、欧米の主要都市にも広がり、国内外で作品展が開催されました。

1940、50年代は最も多くの作品を制作し、生涯で1450点余りのカンヴァス画を描きました。そのほとんどは壜やカップなどのほこりにまみれた静物を主題としたものでしたが、モランディはボローニャを代表する世界的な画家となりました。

生涯を過ごしたアトリエはモランディ美術館に再現

1964年、モランディは生涯を過ごしたボローニャで死去します。モランディはボローニャの誇りとなり、1993年には市立モランディ美術館がオープンしました。その中の一室に、画家のアトリエが再現されています。

実際にモランディが使っていた壜や水差し、カップなどの小道具とテーブルが復元されています。

まとめ

モランディが愛したイタリア北部の都市ボローニャは、西欧最古の大学であるボローニャ大学がある、中世の名残をとどめる古い大学町です。その町の小さなアパートにアトリエを構え、モランディは独身のまま生涯を画業に捧げました。

繰り返し描いた壜などの容器類は、意図的に埃をかぶったままにされ、花を描くときは造花を使いました。モランディはほとんどインタビューを受けず、自己を語ることもなかったため、何を考えていたのかは謎に包まれています。

孤独を好んだことは確かなようですが、芸術家仲間や美術史家などとの交流も多く持ち、頻繁に手紙を交換していました。また戦中には、時代に流されない不屈の精神を体現する理想的な人物として、若い知識人などから尊敬され、慕われたという一面も持っていました。