「ジョルジュ・スーラ」は、小さな点を打つ点描により2メートルを超える大作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を描き、フランス近代絵画を代表する画家となりました。
この記事では、スーラとはどのような画家なのか、また点描技法とはどのようなものなのかを、代表作品とあわせて紹介します。
「ジョルジュ・スーラ」とはどんな画家?その技法とは?
スーラのポートレート
(出典:Wikimedia Commons User:Coldcreation)
スーラとは「新印象主義」の画家
ジョルジュ・スーラ(1859年~1891年)とは、19世紀後半に、新印象主義を創始したフランスの画家です。
新印象主義とは、印象主義(印象派)から発展した美術運動です。それまでフランス美術界の中心であった印象主義が失ってしまった造形の秩序を回復し、体験的だった印象派の色彩理論をより科学的に追求しました。
スーラが画家を志した時、フランスの絵画界ではモネやルノワールなど、それまでの伝統を打ち破った革新的な芸術集団である「印象派」が勢いを持っていました。しかしスーラは印象派に加わることはなく、独自の絵画方法である点描技法を研究しました。新印象主義の画家たちは、点描技法を共通の手法とします。
スーラの創始した革新的な絵画は、20世紀の前衛芸術に大きな影響を与え、スーラが亡き後はポール・シニャックがその技法をさらに発展させ、近代絵画に影響を与えました。
スーラは科学的理論に基づく「点描技法」を創始した
スーラは、印象派が経験的に行っていた「筆触分割」を科学的に体系化し、発展させました。筆触分割とは、絵の具を混ぜずにカンヴァスの上に直接置くことで、混色による濁りを防ぎ、明るく鮮やかな色彩を表現することができる手法です。
スーラは論理的、科学的な計算のもとに筆触分割の技法を発展させ、カンヴァスに絵の具を点で配置する点描技法を見い出しました。色彩を分割するため分割主義とも呼ばれます。
「加法混色」の効果を持つスーラの点描技法
絵の具などの、物体に光が当たった際に生じる色は、混色すればするほど濁った色になります。これを「減法混色」と呼び、基本色であるイエロー・シアン・マゼンタを全て混ぜ合わせると黒に近い色になります。
その一方で、赤・緑・青の光の三原色は混色させると明度を増し、三原色を等量で混ぜ合わせると白色光になります。これを「加法混色」と呼びます。パソコンのディスプレイは加法混色で作られた色です。
スーラが創始した点描技法では、絵の具でありながら加法混色の効果を得ることができます。例えば黄色と赤色の小さな点をたくさん並置すると、遠くから見ると鮮やかな橙色に見えます。これは加法混色の一つである並置混色と呼ばれるものです。
スーラはさまざまな色彩理論を研究し、点描技法を生み出しました。
スーラの代表作とは?
点描を完成させた作品『グランド・ジャット島の日曜日の午後』
(出典:Wikimedia Commons)
『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(1884年~86年)は、縦2メートル、横3メートルの大作で、この作品をもって点描が完成したとされるスーラの代表作です。1886年に開催された最後の印象派展に出品され、ポスト印象派の代表作品ともされています。
パリ郊外のセーヌ川の中州にあるグランド・ジャット島は、当時の市民の憩いの場所で、さまざまな年齢、階級の人々が訪れていました。この作品では、夏の一日を過ごす大勢の人々を整然とした構図で描きました。
スーラはこの大作のために多くの習作を制作しています。習作の段階では点描ではなく粗いタッチで描き、改めて点描に置き換えて描き直しました。
幾何学的構図の『サーカスの客寄せ』
(出典:Wikimedia Commons User:白拍子花子)
図像を簡略化・抽象化し、幾何学的な形態に整理して描くこともスーラの絵画の特徴です。当時の娯楽として人気だったサーカスのチケットを買わせるために、路上で行われた客寄せのパフォーマンスを描いた『サーカスの客寄せ』(1887年~88年)においても、現実の光景を巧みに整理して描かれています。
緻密な点描の生み出す幻想的な色彩と、幾何学的な構図が現実離れした不思議な光景を生み出しています。
遺作となった代表作『サーカス』
(出典:Wikimedia Commons User:Coldcreation)
『サーカス』(1890年)は、未完のまま1891年のアンデパンダン展に出品されましたが、点描技法の理論が際立つ作品として認められ、スーラの代表作品となりました。赤、黄、青の三原色を主体とした点描で色彩を調和させ、青と橙色の反対色の効果が際立っています。
スーラは展覧会の会期中に風邪をこじらせ、絵を公開してから10日もたたずに亡くなったため、この作品は遺作となりました。31歳の若さでの夭折でした。
まとめ
ジョルジュ・スーラは、印象派が経験的に受容していた色彩理論を科学的に推し進め、点描技法を確立しました。小さな点を置いて描く点描技法は制作に時間がかかり、またスーラは31歳の若さで夭折したことから、点描による作品は数が多くありませんが、のちの芸術に大きな影響を与えました。
スーラが試みた色彩の三原色への還元は、20世紀のモンドリアンが追求した三原色のみを用いたコンポジションの作品群へと繋がってゆきました。