「観念」は「観念する」と動詞として使う他、「固定観念」のように「○○観念」と熟語として用いられることもしばしばです。「観念」の持つ複数の意味をはじめ、その使い方を例文で詳しく解説します。また、「観念」の類語、対義語や英語訳といった関連用語も併せてみていきましょう。
「観念」の意味とは?
観念とはわかりやすく言うと「主観的考え」
「観念」とは、「人が物事に対して抱く考え、見解」という意味です。「その人が持つ考え」「頭の中に抱いているイメージ」を意味するのが「観念」であり、「主観的な考え」 ということもできます。
「観念」の意味には「諦めて受け入れること」も
「観念」には「考え」という意味の他、「諦めて状況を受け入れること、覚悟すること」という意味もあります。どうしようもない状況や不利な状況を受け入れて、覚悟することもまた「観念」と言います。
「観念」は仏教用語で「観察し思念する」の意味
「観念」は上記以外にも仏語として「心を集中させ観察すること、思念する(思い考える)こと」という意味も持ちます。仏教用語しての「観念」の「観」は観察、「念」は「念想」の意味です。
「観念」の使い方と例文
「観念する」「観念しました」は諦めを表す
「観念」を「観念する」と使った場合は「諦める」という意味になります。たとえばドラマで「観念しろ!」というセリフを時折耳にしますが、この場合の「観念」も「諦める、諦めて状況を受け入れる」というニュアンスです。
なお、法律用語としての「観念する」は「事実だと認める」という独特なニュアンスで用いられます。たとえば「観念の通知」は「事実を通知すること」という意味、「観念しにくい」と使うと「事実と認識しにくい」という意味の法律用語となります。
観念的とは「現実に基づいていない様」
「観念的」とは「頭の中だけで想像し、現実に基づいていない様」を指して用いられます。具体的な事実ではなく、個人の頭の中で考えられたような様を指して使う表現です。
観念的なストーリーで分かりにくい
「観念」を使った表現と熟語
「固定観念」「強迫観念」のように使う
「観念」は「○○観念」の形でよく用いられます。たとえば「固定観念」とは、心の中に凝り固まっていてその人の行動を規定するような考えという意味です。その場の状況や人の意見に左右されない、変化しない考えであるのが「固定観念」の特徴です。
ほかにも「強迫観念」や「衛生観念」といった使用例が挙げられます。また「観念」を名詞として使う場合、「観念にとらわれる」などの言い回しも可能です。
- 強迫観念:いくら意識から排除しようとしても離れない考え、不安な気持ち
- 衛生観念:清潔さや健康の維持、生活習慣などに対する考え方
「観念奔逸」とは考えの方向性が定まらない様
「観念奔逸(かんねんほんいつ)」とは「考えの方向性が決まらず、ほとばしる状態」を表します。
方向性の決まらない考えが次々とあふれ出るような精神状態、統一感のない「観念」をしゃべり続ける様に用いられることが多く、躁病(躁状態)の症状のひとつとされる医学用語です。
「観念失行」は高次脳機能障害のひとつ
「観念失行」も医療の分野で用いられる語で、高次脳機能障害のひとつ「失行症」の症状です。
「観念失行」とは、道具の使用方法や行為の順番が分からなくなる症状で、たとえば衣服の着方が分からない、靴を履こうにもどうしていいか分からないといった例が挙げられます。
「観念的競合」は法律用語
「観念的競合」とは「ひとつの行動で2つ以上の犯罪を犯すこと」を意味する法律用語です。
たとえば、警察官に対する暴力は「公務執行妨害」で、同時に「暴行罪」にも該当するという場合があります。被疑者の1回の行動で2つ以上の犯罪に問われるケースが「観念的競合」です。
「観念」の類語とは?
「概念」との違いは「客観的な認識」
「観念」と似た言葉に「概念(がいねん)」がありますが、意味は異なります。「観念」が「個人が頭の中に持っている考え」を意味するのに対し、「概念」は「物事を大まかにまとめた意味内容」を指します。
主観的な「観念」に対して、「概念」は客観的な認識や共通認識である点が特徴です。そのため、「固定観念」とは言っても「固定概念」とは言いません。
「観念する」の類語は「断念する」「諦める」
「観念する」の類語では「断念する」が挙げられます。「断念する」は「自分の希望などをすっぱりとあきらめること」を意味します。また、単に「諦める」という語に言い換えることも可能です。
このほか、「観念しろ!」という場合の「観念」は「降参」が類語と言えるでしょう。
「観念」の対義語とは?
「観念」の対義語は「実在」
「観念」の対義語は「実在」です。頭の中にある「観念」に対し、そこに目に見える状態で存在することを意味する「実在」が対義語とされています。
また、「観念」と混同しやすい語として紹介した「概念」も、主観的な「観念」に対して客観的であることを踏まえると対義的な表現だといえます。
「観念的」の対義語は「実践的」
頭の中で組み立てられた事を意味する「観念的」と反対の意味では「実践的」が挙げられます。
「実践的」とは「自分で実地に行う様、実行する様」という意味で、「頭の中」で考えるだけでなく「実際に行う」という意味で対義的ということができます。
「観念」の英語訳とは?
「観念」は英語で「idea」
「観念」は英語では「idea」を使用します。英単語「idea」は「考え」という意味の語で、他にも「notion」や「sense」を使った英語訳がなされることもあります。
- You have the wrong idea about business.(君は仕事に対して誤った観念を持っている)
- She has no sense of time.(彼女には時間の観念がない)
「観念する」は英語で「be resigned oneself to」
「諦める」というニュアンスで用いられる「観念する」の英語訳では「be resigned oneself to」が使用できます。「resign」は「辞任する」などの意味を持つ英単語ですが、「be resigned oneself to」の形で使うと「甘受する、諦める」という和訳になります。
I resigned myself to waiting. (私は観念して待つことにした)
まとめ
「観念」は「人が物事に対して抱く考え」という意味で、わかりやすく言うと「主観的な考え」です。考えを表す場合は「固定観念」「強迫観念」のように「○○観念」の形で使われます。「観念する」と動詞として使う場合は「諦めて状況を受け入れる」という意味になります。また、法律用語や仏教用語にも用いられる言葉です。
浮気の証拠をここまで突きつけられたら観念するしかない