「崇神天皇」はどんな人?疫病を鎮めたエピソードや卑弥呼との関係

「崇神天皇(すじんてんのう)」は第10代天皇です。年代の古さから断言はできませんが、学術的に「実在した可能性が高い」とされる最初の天皇です。さまざまな取り組みで日本の基礎を確立したと言われています。崇神天皇が何をした人なのか説明しましょう。疫病を鎮めたエピソードや、卑弥呼との関係も紹介します。

「崇神天皇」は実在したのか?

「崇神天皇」は第10代天皇

「崇神天皇(すじんてんのう)」とは、日本の第10代天皇です。奈良県を拠点に領地を広げ、最終的に日本の多くを支配したヤマト王権(大和朝廷とも)の基礎を整えました。

具体的な生没年は分かっていません。書物によって記述が違うことと、平均寿命を大きく超えた長命であることから、信ぴょう性が低いとされているためです。例えば「古事記」では、崇神天皇は168歳で崩御したことになっています。

「崇神天皇」は実在した可能性がある

古代の天皇は、残された記録の内容の信ぴょう性から「実在していない(神話・伝承の人物)」とする説が有力です。ただし、崇神天皇は具体的な政策やエピソードの記載が多いことから「脚色されているが、実在していた」可能性が高いと考えられています。

「崇神天皇」の治世は3世紀頃と推測される

「崇神天皇」が実在した場合、治世は3世紀後半や4世紀前半だと考えられています。生没年と同じく、具体的な年は不明です。

書物の記述を信じると紀元前90年前後になるのですが、前述の通り寿命の関係で信ぴょう性が低いとされています。

「崇神天皇」の別名はいくつかある

崇神天皇には別名が多くあります。有名なものは日本書紀に書かれた「御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)」です。意味は「初めて国を統治した天皇」になります。

日本書紀には、他にも「御間城尊(みまきのみこと)」や「御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)」という呼び名が使われています。古事記では「御眞木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)」と残されていました。

ちなみに、「崇神天皇」は奈良時代に奉られた諡号(貴人に死語に贈られる名)です。

「崇神天皇」は何をした人?

「崇神天皇」はヤマト王権(大和朝廷)の基礎を整えた

「崇神天皇」はヤマト王権の基礎を整えた天皇です。各地に将軍を派遣し領地を広げ、反乱を鎮圧しました。この時に派遣された将軍たちを「四道(しどう)将軍」と呼びます。北陸道、東海道、山陽道、山陰道の4か所に派遣したためです。

また、財政を安定させた功績もあります。「調(みつぎ)」という税制を定めたことで、国が安定しました。

外国との通交を初めて行ったのも崇神天皇だと考える説もあります。朝鮮半島にあった国に使者を送ったと言われているためです。

「ヤマト王権」とは日本最初の統一国家

「ヤマト王権」とは、3世紀頃に成立し、天皇を頂点とする政権です。日本列島の大部分を支配していました。

「大和朝廷」「ヤマト政権」など、歴史学者によって名称が異なっています。かつては「大和朝廷」が一般的でした。研究途中のため、今後も名称が変更されることもあり得るでしょう。

「崇神天皇」は天照大神を遷して疫病を鎮めた

崇神天皇の有名なエピソードに、疫病を鎮めた件があります。崇神天皇は、疫病の大流行を天照大神(あまてらすおおみかみ)の祟りと考えました。そこで、それまで宮中で祀っていた天照大神の神体・八咫鏡(やたのかがみ)を笠縫邑(かさぬいのむら)へ遷します。(神人分離と呼ばれます)笠縫邑の具体的な場所は諸説ある状態です。その後、神託に従い宮中で別の神を祀ったところ、疫病は鎮まりました。

天照大神とは神道の最高神で、女神とされるのが一般的です。太陽神にして皇祖神(皇室の祖先)であると神話に残されています。「天照大御神」とも表記します。別名は「大日孁貴(おおひるめむち)」です。

「崇神天皇」の他のエピソード

「崇神天皇」は卑弥呼の関係者とする説

「崇神天皇」は卑弥呼(ひみこ)の関係者だとする考えがあります。卑弥呼の弟や、卑弥呼の後継者の摂政だったという説です。この説では、卑弥呼の治める邪馬台国(やまたいこく)はヤマト王権と同一だったと考えられています。

他にも「邪馬台国とヤマト王権は別の政権。ヤマト王権の崇神天皇が、邪馬台国を滅ぼした」という説もあります。

邪馬台国は2世紀~3世紀に日本にあった政権です。中国の歴史書に登場するのですが、日本のどの地方にあったのかは明らかになっていません。

「崇神天皇」は「初代天皇」と考える人もいる

「崇神天皇」は「初代天皇」と考える人もいます。崇神天皇の別名「御肇國天皇」が、一般的に初代天皇とされる神武天皇と同じためです。また、崇神天皇より前の天皇は実在が疑問視されていることも「崇神天皇が実質的には初代天皇」と考える理由になるでしょう。

「崇神天皇」の墓所はパワースポットとされている

「崇神天皇」の墓所は「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」です。巨大な古墳で「崇神天皇陵」とも呼ばれます。所在地は奈良県天理市です。

周辺の神社や神宮とあわせて「パワースポット」だと考える人もいます。

まとめ

「崇神天皇」は3世紀~4世紀頃に在位していたと考えられています。軍事・内政ともに整備し、国家の基礎を確立しました。「卑弥呼の関係者説」「初代天皇説」など、さまざまなエピソードもあります。