「墨子」の兼愛の思想とは?名言も現代語訳とともに紹介

「兼愛」という博愛を説いた古代中国の思想家「墨子」を知っていますか?行動と情熱の人であった墨子は自らの著書は残しませんでしたが、その時代の底辺で生きる人々の心を捉えました。戦国時代の異端の思想家であった「墨子」について概要を解説します。

「墨子」とは?

はじめに「墨子」の概要と、その思想と背景について説明します。

墨子は戦国時代の思想家で「墨家」の開祖

「墨子」とは、戦国時代の思想家で、「墨家」の開祖です。生没年は明らかになっていませんが、およそ紀元前470年~390年頃の人だとされています。「墨家」は「儒家」とならんで中国古代思想界の二大勢力とされた思想家集団でした。

しかし墨子の死後、秦の中国統一ののちには墨家の勢力は衰え、消滅しました。その理由は、秦の思想統制政策により一気に消滅させられたことや、墨家と対立していた儒家による墨家思想排斥の動きによるものとされています。

墨家の思想は「兼愛交利」

「墨家」は中国の春秋戦国時代に活躍した学者や学派の総称である「諸子百家」のひとつで、「兼愛交利」を説きました。「兼愛公利(けんあいこうり)」とは、墨子が主張した倫理説で、それは儒教に対する批判から生まれました。

「兼愛」とは「兼(ひろ)く愛する」という意味で、「公利」とは互いの幸福を増幅するという意味です。墨子は、お互いの利益を考え、すべての人を公平に愛する博愛を実践することから道徳が成り立つことを説きました。

墨子は「非攻」も主張した

墨子は、普遍的な愛を主張するとともに、平和も求めました。そこから「非攻(ひこう)」という平和主義の非戦論を主張します。墨子はその他にも、身分の貴賎にかかわらず有能な人物を登用すべきとする「尚賢(しょうけん)思想」など、独自の思想を説きました。

墨子は「孔子」を批判した

墨子は儒家を師として孔子の儒教を学び、その教えに感銘を受けましたが、その教えから一歩進んで独自の説を唱えるに至ります。その背景には、孔子の「仁」や「義」の教えは主に「士」の身分以上の者に向けられており、君子と小人を区別していることに墨子が限界を感じたからだとされます。

なぜなら、墨子は工匠の出身であり、当時の工人(技術者)は「士農工商」といわれるように、農民より下位におかれていたからです。墨子は厳しい待遇に耐えていた工人の首長でした。墨家の思想は、このような都市の下層にいた工人集団の連帯を背景として生まれたものです。

さらに孔子よりも100年ほど後の墨子の生きた時代は、為政者は権力をほしいままにし、世の中は乱れて戦乱が絶えない世の中でした。そのような中で人々の暮らしや心も荒れていました。

このような背景から墨子は、孔子の主張する愛は一定の立場の限定的な愛であるとして批判し、「全ての人を平等に、かつ公平に愛すべきである」という兼愛主義を唱えたのです。

墨子の「兼愛」はキリストの「博愛」と比較される

「墨家」が消滅してから墨子の思想は長く忘れられていましたが、近代になって西洋文明を取り入れる動きの中で、その「兼愛」の思想がキリスト教の「博愛」思想に似ているとして注目されるようになりました。

また、敬虔なクリスチャンであるロシアの小説家、トルストイが墨子を高く評価していることも知られています。自著『人生の道』の中で、墨子の教えはキリストと同じであるということを記しています。

書物の『墨子』とは?

次に書物の『墨子』について解説します。

『墨子』は墨子の弟子が編さんした書

書物の『墨子』とは、墨子やその弟子の思想を弟子によって編さんされた書物です。墨子本人が書いたものではなく、53篇が現存しています。

『墨子』の思想は繁栄したが批判も多かった

当時の様子を記した言葉には「弟子いよいよ豊かに、天下に充満す」などと書かれており、その思想は繁栄しましたが、一方で批判も多くありました。例えば『墨子』の主張である「兼愛」は、かえって人倫を害するとして、孟子から「楊墨をふせぐものは聖人の徒なり」とまで攻撃されたこともありました。

『墨子』の名言を現代語訳とともに紹介

最後に『墨子』から名言を現代語訳とともに紹介します。

兼ねて相愛し、こもごも相利す。
みなが相愛し、互いに相利する。自分のことのように相手を考えよ。

不足をかいて、有余を重ぬるなり。
不足している者からさらにものをとり、その分を有り余る者に重ねるようなやりかたをすれば国は亡びる。

義を為すは、毀を避け誉に就くにあらず。
道義を行うのは名誉を得るためではない。人として当然のことである。

源濁るものは、流れ清からず。
源が濁ればその流れは清くならない。行いの根本に信義がなければ必ず亡びる。

官に常貴(じょうき)なく、民に終賤(しゅうせん)なし。
役人には賢才を高位につけるのがよいが、同じ人間が永久に貴い位置にあるのはよくない。民は努力する人間が栄えるべきで、同じ人間がいつまでも賤しい地位にあるのはよくない。

乱のよって起こる所を知って、よく之れを治む。
乱はそれが起こる理由の根本を知ってはじめてよく治めることができる。

弓張って弛めざるがごとし。
弓を張ったままゆるめることをしないと弓は役に立たなくなる。人にも適当なくつろぎが必要だ。

まとめ

戦国の時代に「兼愛」の平和主義思想を説いた墨子は政治的には黙殺されましたが、その思想は文学者によって語り継がれています。近代中国の小説家である魯迅は、墨子の反戦の闘いを「非攻」という小説に描いています。「いかなる戦争にも正義はない」と説いた墨子の思想は、これからも静かに読まれ続けていくのではないでしょうか。

■参考記事

「諸子百家」の意味とは?流派の一覧とそれぞれの思想も紹介