「諸子百家」の意味とは?流派の一覧とそれぞれの思想も紹介

古代中国の思想家は「諸子百家」と呼ばれ、墨家や道家などの流派に分類されます。諸子百家とは、具体的にどのようなものなのでしょうか?ここでは諸子百家の意味や背景を紹介し、それぞれの流派ごとに代表的な人物や思想も紹介します。



「諸子百家」とは?

諸子百家の意味と、その時代背景について紹介します。

諸子百家とは春秋戦国時代の学者・学派の総称

「諸子百家(しょしひゃっか)」とは、古代中国の春秋戦国時代に活躍した学者や学派の相称です。「諸子」の「子」には先生という意味があるため、諸子は思想家の先生たちといった意味となり、また「百家」とは数えきれないほど多くの学派を表します。

春秋戦国時代に諸子百家は諸国を遊説した

古代中国の春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)は、紀元前770年に周王朝が東西に分裂してから、秦の始皇帝が中国を統一する紀元前221年までの、およそ550年の期間を指します。紀元前5世紀を境として前半期を春秋時代、後半期を戦国時代として別々に区分することもあります。

春秋戦国時代は、周王朝の衰えが春秋時代に始まり、統一的な権力がなくなって国々が激しく争った中国の歴史における大きな変動期であり、また混迷の時代でした。伝統的な秩序が乱れ、実力がものを言う時代になり、新興の国々が出現します。新しい国とともに古い国の諸侯や支配層も、この変動期を乗り切り、自分たちの勢力を拡張するために、有能な人材を広く求めることになりました。

諸子百家はこのような時代に現れた思想家で、政治のあり方や乱れた世の中に対処するための処世術などを説き、諸国を遊説して回りました。優秀な人材を確保し、敵国に流れないように、諸侯たちは思想家のために立派な邸宅を用意したり従者をつけたりと歓待しました。

諸子の分類一覧

前漢時代に図書の整理が行われ、目録に収められる書目は百八十九家四千数百巻となりました。その時、諸子は次の九流派に分類されました。

  • 儒家(じゅか)
  • 墨家(ぼくか)
  • 道家(どうか)
  • 法家(ほうか)
  • 農家(のうか)
  • 名家(めいか)
  • 陰陽家(いんようか)
  • 縦横家(しょうおうか)
  • 雑家(ざっか)

諸子に分類されなかった「兵家(へいか)」は兵書略という部類に分類されました。諸子百家は、これら諸子略や兵書略に分類された、漢以前の思想家や流派のことを指します。

「諸子百家」の流派ごとの人物や思想を紹介

諸子の流派の中でも儒家、墨家、道家、法家が最も大きな勢力でした。この四勢力とその他の主な流派について、それぞれの思想や中心人物などについて解説します。

儒家

諸子百家の時代を最初に切り拓いたのは孔子を祖とする儒家集団です。戦国期には特に孟子と荀子が活躍しました。孔子の思想には、徳を尊重する精神主義の面と、礼に重きを置く形式主義の面がありましたが、前者が孟子に受け継がれ、後者が荀子へ受け継がれて発展しました。

儒家は諸学派と対立しながらも発展を遂げ、漢の武帝の時に儒教が国教と定められました。

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墨子

墨子に始まる墨子学派は儒家とならんで思想界の二大勢力でした。儒教の仁愛は血のつながりを重視する差別愛だと批判して、差別がない兼愛主義(博愛)を説きました。さらに非戦論である「非攻」を主張しました。

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道家

道家の代表は老荘思想とも呼ばれる老子と荘子です。老子は儒教を人工的な世界だと否定し、自然世界を重視して礼を捨てる「無為自然」を説きました。荘子も、道徳によって人間本来の自然なあり方を束縛しているとして儒家を批判しました。

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法家

法家は、儒家の徳治主義を批判し、法治主義を説きました。法治主義とは、徳治のように為政者の基準で治める政治ではなく、厳格な法によって国家を治めるべきだという主張です。韓非子が代表的な人物です。

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農家

神農という本尊を立てて皆農主義を説き、自らも農耕を実践する集団が農家です。具体的な思想を伝えるまとまった資料は残っていませんが、漢の農業政策論は農家の流れの思想とみられています。農家の許行(きょこう)は徒党とともに耕作を続けながら君主や人々に皆農主義を説きました。

名家

名家は論理学派で、詭弁を主とした恵施(けいし)や公孫龍(こうそんりょう)がいます。恵施は「太陽が真上にあるときはすでに傾いている」などといい、時間や空間の概念を否定しました。公孫龍は「白馬という概念は馬という概念ではない」などといい、概念の分析を行いました。これを「白馬非馬説」といいます。

陰陽家

陰陽思想を説いた思想家を陰陽家といい、騶衍(すうえん)や公孫発などがいます。戦国時代末期には五行説と結びついて陰陽五行思想が生まれ、飛鳥時代の日本にも伝わりました。

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縦横家

縦横家は、各国間の政略を論じた思想家のことで、外交の策士として各国の間を行き来しました。合従(がっしょう)策や連衡(れんこう)策を唱えた、張儀(ちょうぎ)や蘇秦(そしん)などがいます。

雑家

雑家は学派としてのまとまりがあるというよりは、分類のひとつです。儒家、墨家、道家、法家など諸派の学説を取り入れて著作を著しました。代表的な著作に『管子』『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』『淮南子(えなんじ)』などがあります。

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兵家

戦闘方法や軍事戦略などを研究した一派が兵家です。『呉子』『孫子』『六韜(りくとう)』などがその代表的な兵法書です。

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まとめ

春秋戦国時代に出現した諸子百家の時代は、中国の歴史において最も自由に思想が説かれた時代でした。またこれほど多様な思想が登場した時代は他に類がなく、諸子百家の活動期は中国思想の黄金期となりました。

諸子百家の中でも、後世まで大きな影響を与えたのは儒家と道家ですが、法家の思想は政治を支える技術として、政権の舞台裏を支えました。諸子百家による思想は現在にも生き続ける古典として、日本でも広く読まれています。