「一遍」とは?開いた「時宗」や「踊念仏」の特徴と名言も紹介

「時宗」の始祖である「一遍」は、踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」を各地で行い、また徹底的に所有物を捨てたことで「捨聖」とも呼ばれる、鎌倉仏教を代表する僧侶です。

ここでは鎌倉浄土教を代表する「時宗」と、その始祖「一遍」についての概要を解説します。



「一遍」(一遍上人)とは?

はじめに一遍と、一遍が興した時宗について説明します。

「一遍」は「時宗」の開祖

一遍は「時宗(じしゅう)」の開祖です。「時宗」とは、法然の「浄土宗」と親鸞の「浄土真宗」につらなる浄土仏教の宗派です。

一遍の生涯は「遊行(ゆぎょう)」の一生でしたが、少数の弟子とともに旅を続けており、その弟子を「時衆」と呼んでいたことが「時宗(じしゅう)」の始まりとなりました。遊行とは、僧院などに定住せず、旅を続けながら布教する出家者の形態をいいます。

そのような生活形態の中で、一遍自身は新たな宗派を立宗しようとは考えておらず、研究者も室町時代までに関しては時衆の名称を用いています。時衆とは善導の「観経疏」の一節に由来し、一日を6分割して不断念仏を行う集団を指します。

■参考記事
「法然」の思想とは?その生涯や弟子の親鸞との違いも解説
「親鸞」の思想や教えとは?その生涯や名言も解説

「一遍」は「南無阿弥陀仏」の札を配りながら遊行した

一遍は14歳のときに法然の孫弟子である浄土宗の聖達(しょうたつ)の門に入り、30代の頃から「南無阿弥陀仏」の名号を記した念仏札を配りながらの遊行を開始します。

このことを、算(札)を賦(配)るという意味で「賦算(ふさん)」といいます。一遍の配った札には「南無阿弥陀佛 決定往生(なむあみだぶつ けつじょうおうじょう) 六十万人」と書かれており、「六十万人」というのは一遍の決意を表していました。

一遍は、法然の「浄土三部経」の説示を根拠として、南無阿弥陀仏の六字の名号が絶対的なものであることを論じました。

「一遍」の特徴は「賦算」と「捨聖」

一遍の時宗の特徴は全てを捨てて、ただ念仏することのみを説いた「賦算」と「捨聖」にあります。一遍は先に説明した「賦算」を行い、その生き方から「捨聖(すてひじり)」とも呼ばれました。一遍は衣食住、さらには家族も捨て、ひたすら念仏を唱えたのです。

「念仏者は智慧や煩悩や善悪の境界を捨て、貴賤や地獄を怖れる心や極楽を願う心も捨て、仏教の悟りや全てのことを捨てて唱える念仏こそがもっとも阿弥陀仏の本願にかなうことだ」と一遍は語っています。

「念仏の行者は智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賤高下の道理をも捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極楽を願ふ心をも捨て、又諸宗の悟をも捨て、一切の事を捨てて申す念仏こそ、阿弥陀世の本願にもっともかなひ候へ」『一遍上人語録』

また、一遍は自身の死期を悟った時、「一代聖教(しょうきょう)みなつきて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」といい、所持していた経典を全て破棄し、自己の思想も何も残しませんでした。そのため一遍の著作は現存せず、一篇の思想は門下の弟子が記録した一遍の法語集である『一遍上人語録』などを手がかりにすることになります。

一遍の今日の評価は、法然と親鸞の浄土仏教を完成させたとする高い評価と、法然と親鸞が高めた浄土の哲学を平安の習俗的な仏教へ逆戻りさせたとする低い評価の二つに分かれています。

「一遍」の「踊念仏」の意味とは?

次に一遍が遊行とともに行った「踊念仏(おどりねんぶつ)」について説明します。

「踊念仏」の祖は「空也」

一遍の遊行集団は各地の民衆に熱狂的に迎えられ、民衆とともに「踊念仏」を行いました。踊念仏とは、太鼓などを打ち鳴らして踊りながら念仏を唱えることをいいます。踊念仏の「踊り」は、念仏の喜びを自由に体で表現したものでした。

踊念仏の起源は平安時代中期の僧「空也(くうや)」にあるとされ、空也は口称念仏の祖であるとともに、民間における浄土信仰を醸成した僧とされています。

一遍は空也を崇拝し、空也の「名を求め衆を領すれば心身疲れ、功を積み善を修すれば希望多し。孤独にして境界なきには如かず」ということばを大切にしていたといいます。

一遍の「踊念仏」は全てを捨てた境地

空也の平安浄土教にみられる呪術性や習合信仰の特徴が、一遍の「捨てる」ことの徹底によってさらに深化されて踊念仏に表れているとされています。習合信仰とは異なる信仰や矛盾する信仰を混合することをいいます。

『一遍聖絵』とは?

一遍の著作はありませんが、一篇の活動を記録した『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』が現存しています。

『一遍聖絵』(一遍上人絵伝)は一遍の活動を描いた絵巻

一遍の異母弟とされ、弟子であった聖戒が、一遍の活動を記録に残したいという動機から画僧に描かせて作成したのが『一遍上人聖絵』で、『一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)』とも呼ばれます。

『一遍聖絵』は一遍の活動の様子とともに、寺社や名所の四季折々の景観などの風景や自然の描写も美しく描かれ、国内に現存する絹本著色(けんぽんちゃくしょく)絵巻物の最高峰とされ、現在は国宝となっています。

「一遍」の名言を紹介

最後に一遍の名言を紹介します。

さけば先ちらばおのれとちる花の ことわりにこそ身はなりにけれ 
咲くときがきたら咲き、散る時がきたら散る、花と自然の道理が私の生き方である。

花がいろ月がひかりとながむれば こころはものをおもはざりけり
花には花の色が、月には月の色がある。それをそのまま眺めれば、心は余計なことを思いめぐらすことはない。

こころをばいかなるものとしらねども 名をとなふればほとけにぞなる
心とは、どんなものかもわからない。心にとらわれず、ただ南無阿弥陀仏と唱えれば仏になれる。

まとめ

一遍は「賦算」と「捨聖」、さらに「遊行」と「踊念仏」を特徴とする時宗を興しました。一遍は、南無阿弥陀仏と唱えれば、天地万物と一体となり、悟りを開いて嬉しくて仕方がない境地になる、その嬉しさは「踊ればわかる」と言ったそうです。

時宗は多くの人に支持され、芸能にも大きな影響を与えたとされますが、江戸時代に制定された檀家制度により、遊行の時宗が信者を増やせなくなったことが原因となり、衰退してゆきました。

ABOUTこの記事をかいた人

アバター

趣味は読書とヨーロッパ旅行です。ドイツには5年余り滞在経験があります。某大学の人間科学部とデザイン学部を卒業。人生が豊かになる知識の探索を人生の糧にしています。