ミシェル・フーコーは20世紀のフランスを代表する哲学者です。『監獄の誕生』や『狂気の歴史』など、歴史の中から知を発見しようとするその独自の哲学と、際立った生き方でも注目されるフーコーについて、ここではその概要と主著について解説します。
「フーコー」とは?
フーコーは20世紀のフランスを代表する哲学者
フーコーとは、1960年代からフランスの現代思想をリードした、フランスを代表する哲学者です。フーコーは1926年に外科医の父のもとに生まれますが医学の道には進まず、哲学教授や作家として活躍しました。1984年、フーコー58歳の時、後天性免疫不全症候群(AIDS)によって突然に死去しました。
フーコーはニーチェに影響を受けた
フーコーは「真理などない。あるのはさまざまな解釈だけだ。」「それがいかに作られたか、その発生を調べることで虚構性が明らかになるはずだ」というニーチェの思想に決定的な影響を受けました。一つの思想に縛られれることから離れ、フーコーは独自の探求の道を歩むことになります。
フーコーは「権力」や「性」を主題として探求した
フーコーが探求した歴史は、特に人間の権力や性を主題とし、時代ごとの特有の見方を分析しているのが特徴的です。どの時代も特有の傾向を持ち、一定の枠組みにとらわれていることを解き明かしています。
フーコー哲学は「ポスト構造主義」に分類される
著書『言葉と物』の副題が「構造主義の考古学」だったため、フーコーは構造主義の旗手とされました。しかし構造主義をフーコーは批判していたため、現在はポスト構造主義者に分類さています。
構造主義とは、1960年代にフランスに登場して発展した20世紀の現代思想のひとつです。あらゆる現象を構造によって解き明かしすことで理解しようとする哲学思想を指します。構造主義の代表的な思想家はフーコーの他に、クロード・レヴィ=ストロースやロラン・バルトなどがいます。
ちなみに「フーコーの振り子」の実験で有名なのはフランスの物理学者「レオン・フーコー 」で、ミシェル・フーコーと「フーコーの振り子」は関係ありません。
「フーコー」の思想に関するキーワード
次にフーコーの思想をキーワードで説明します。
「アルケオロジー」
フーコーのいうアルケオロジー(考古学)とは、主題の概念を成り立たせている時代の無意識的な構造を明らかにする手法のことでした。時代によって異なる概念の差異を明らかにし、浮かび上がる構造を明るみに出すことにフーコーは集中して取り組みました。
「エピステーメー」
エピステーメーとは、フーコーが提示した概念で、特定の時代の思考や知識のあり方を集約的に示す構造のことで、すなわち「知の枠組み」を意味します。フーコーは「エピステーメー」の観点から各時代の資料を研究する「考古学」のテクニックを用いて、真理を追究しました。
「パノプティコン」
「パノプティコン」とは、功利主義の創始者であるイギリスの哲学者ベンサムが構想した「全展望監視システム」のことです。ベンサムは、恒常的な監視下に犯罪者をおくことで、犯罪者に生産的な労働習慣を身につけさせることができると考えました。そのため、ベンサムは、収容者からは看守が見えないが、看守からは収容者が監視できる刑務所を構想しています。
フーコーは著書『監獄の誕生 監視と処罰』において「パノプティコン」を管理システムの比喩として用い、管理統制されたあらゆる環境は人間の主体性をコントロールしているとして、社会システムを批判しました。
■参考記事
「ベンサム」の思想「功利主義」「パノプティコン」とは?名言も
「フーコー」の著作を紹介
次にフーコーの主著について説明します。
『狂気の歴史』(1961年)
『狂気の歴史』はフーコーの博士論文として刊行されました。その序文にはブレーズ・パスカルの「正常な者とはただたんに狂人ではない者のことであるかもしれない」という言葉が引用されており、「狂気とはそもそも何か」について論じられています。
具体的には、時代によって狂気の対象がどのように変遷したのかが示され、狂気が精神病としてみなされるようになった経緯が明かされるなど、精神の異常性の把握が時代ごとにどのように位置づけられるのかを解き明かしています。
『カントの人間学』(1961)
博士論文の『狂気の歴史』の副論文として『カントの人間学』が執筆されました。本書はカントの『人間学』に関するフーコーの論考で、カントの「人間とは何か」という問いについて解き明かしています。
『言葉と物』(1966)
『言葉と物 人間科学の考古学』が正式なタイトルとなる本書のテーマは、「人間性」という概念がどのように発展し、認識の対象となったのかを解明することです。フーコーは、近代という時代が、すべてを支配する存在としての人間という認識を生み出したとしました。
『監獄の誕生』(1975年)
『監獄の誕生 監視と処罰』が正式なタイトルである本書は、ヨーロッパにおける刑罰の変遷を辿り、刑罰という新しい権力が出現したことを提示する、フーコーによる「権力論」が書かれています。本書ではフーコー哲学の中心問題である「知=権力」の言葉で表される、知と権力が結びついていることの意味を解き明かしています。
『性の歴史』(1976年~2018年)
『性の歴史』は当初6巻に分けて出版される予定でしたが、第3巻を出版したところでフーコーの突然の死によって第4巻が未完のままとなりました。しかし死後34年を経た2018年に、遺構管理者の手によって第4巻が刊行されました。
編集者はこの時期に出版したことについて、セクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)を受けたことを告発する「#MeToo(私も)」運動が高まっている背景を受けて、出版にふさわしい時期が訪れたと発言しています。
また、フーコーが同書を執筆していた時はすでににAIDS(エイズ、後天性免疫不全症候群)を発症しており、その病のために1984年に亡くなっています。この一連の著作『性の歴史』においてフーコーは、西洋社会における段階的な人間の性の認識を研究しました。
なお第1巻は『知への意思』、第2巻は『快楽の活用』、第3巻は『自己への配慮』、第4巻は『肉体の告白』というタイトルで刊行されています。
まとめ
フーコーの言葉に「今考えているのとは違った形で考えることはできるのか。これを知ることが絶対に必要だ。」とあるように、フーコーは既存の枠組みを疑うことが大切だと考えていました。そのためには私たちが使っている言葉や法、そして社会のシステムの「系譜」をたどることが必要だとも訴えます。フーコーの著書によって私たちは「知ること」への探求を余儀なくされるのです。
フーコーの著書を読みたいと思われた方には、フーコー入門として、次の解説書から入ることをおすすめします。