「キルケゴール」の思想とは?実存主義と著書や名言も紹介

「キルケゴール」は実存哲学(実存主義)の創始者とされますが、それはどのような思想なのでしょうか?ここではキルケゴールの思想に大きな影響を与えた苦悩の生涯を紹介するとともに、その著書や名言を紹介します。実存主義についても解説しています。

「キルケゴール」の思想と生涯とは?

キルケゴールの思想と、その思想に影響を与えた生涯の出来事について紹介します。

キルケゴールは実存哲学の祖

セーレン・キルケゴール(1813年~1855年)は、デンマークの哲学者で、実存哲学の創始者とされています。著書はハイデガーやサルトル、カミュなどに影響を与えました。

実存哲学(実存主義)とは「今ここにいる私」の哲学

キルケゴールの創始した実存哲学は実存主義とも呼ばれます。キルケゴールは、実存という言葉を「今ここに私がいる」という意味で初めて用い、人間性の実存の主体的な個別性を提起しました。

キルケゴールは「私が私自身に対してどのような関係にあるのか」や、「自分にとっての真理」を大切にしました。つまり、実存ということを初めてはっきりと意識していたという点で、キルケゴールは実存主義の創始者、あるいは開拓者と呼ばれるのです。

キルケゴールの実存の概念は主体的なものでしたが、実存に哲学的な規定を与えたのはハイデガーです。さらに、ハイデガーに影響を受けたサルトルは『嘔吐』を著しました。サルトルは、人間は、自らつくるところのもの以外の何ものでもない、と実存主義の原理を言い表しています。

実存主義の哲学者にはサハイデガー、サルトル、パスカル、ニーチェ、ショーペンハウアー、メルロー・ポンティ、文学ではドストエフスキー、カフカ、カミュ、モラリストの思想家などが挙げられます。

キルケゴールの実存の三段階

キルケゴールは人間の自己生成の段階を3つの段階によって説明しました。実存は深化してゆき、人間は最終的に宗教的実存に至るとしました。

◆実存の三段階

  • 第一段階:「美的実存」
    快楽や美を求め無限の可能性に浸り感覚的に生きる段階。美的実存の段階では挫折と絶望に陥り、次の実存段階に移行する道となる。
  • 第二段階:「倫理的実存」
    倫理感や正義感に基づき自己実現をはかる段階。倫理的実存を追及することによって、個別的な自己では普遍的な倫理を実現できない不条理に直面し、宗教的実存に飛躍する。
  • 第三段階:「宗教的実存」
    神と一対一で向き合うことで本来の自分を取り戻す。

キルケゴールはヘーゲルに対抗して思考した

ヘーゲルが体系的で客観的かつ普遍的な真理を提示したのに対して、キルケゴールは主体的で個別的な「自分にとっての真理」を追及しました。

ヘーゲルが弁証法によって矛盾を切り捨てずに統合していくプロセスは、「あれも、これも」と切り捨てない思考法ですが、キルケゴールは「あれか、これか」を主体的に自分で選択することが人間の真理だと主張しました。著書『あれか、これか』についてはのちほど紹介します。

婚約者レギーネへの婚約破棄と父への葛藤が思想に影響を与えた

キルケゴールの著作を読む上で、彼の生涯について理解する必要があります。その思想に大きな影響を与えた主な出来事として、父と婚約者との葛藤があります。

キルケゴールの父は熱心なクリスチャンでしたが、家の使用人に乱暴して懐妊させたという罪を抱えていました。さらに、キルケゴールは七番目の末子でしたが、彼と長男を除く他の兄弟姉妹は皆、33歳にならないうちに死没しています。キリストが十字架にかけられたのが33歳とされており、父は子どもたちの死を神の罰であると考えていたのです。

父の罪を聞かされたキルケゴールは「大地震が起きた」と日記に記しています。その頃キルケゴールは父との折り合いが悪く、キリスト教への懐疑も募り、自ら「破滅の道」と呼んだ放蕩の生活を送っていましたが、その大地震によって父の苦悩を理解し、父の罪を自分のものとして引き受け、キリスト教への信仰を取り戻しました。

キルケゴールの深い内面の戦いとなったもう一つの出来事として、婚約者レギーネとの関係があります。キルケゴールが27歳の時、18歳だったレギーネと婚約しますが、父の罪と不幸を抱える家族にレギーネを迎え入れる事を躊躇して、婚約から11か月目の時に婚約指輪を送り返し、一方的に婚約を破棄します。

しかしレギーネを愛していたキルケゴールは、レギーネに向けて自分の心情を訴えるために多くの著述活動を行い、実存思想に目覚めていったのです。

「キルケゴール」の著書を紹介

キルケゴールの著作には、自らが審美的(文学創作的)著作と呼んだ哲学的著作と、宗教的著作の2種類があり、生涯に渡って記していた日記を含めると多量の著作があります。代表的な著作を紹介します。

『あれか、これか』1834年

著述家としての最初の著作が『あれか、これか』で、婚約を破棄したレギーネに宛てて書かれたとされています。本書は2部から成る大著で、第一部にはAという人物の手記を、第二部にはBという人物の手記が収録されるという構成です。

人物A、Bとも著者の仮面ですが、Aは美的な人生を送っており、Bは倫理的な人生を送っています。それぞれの文体や思索態度も対照的です。

第一部と第二部を対立させることによって人間の根本的な生き方や考え方を「あれか、これか」と提示するもので、人生において人間はどちらか一つを選ぶ必要があることが示されます。

『おそれとおののき』1843年

本書の題名は聖書におけるパウロの言葉「おそれおののきて、おのが救いを全うせよ」からとられています。この言葉は、神に服従し、従順に生きる信仰の生活によって人は救われることを説いた言葉です。本書もレギーネに宛てて書かれています。

本書は愛するものを突き放すことによって、愛は宗教的な領域にまで高められることをテーマに書かれています。本書はキルケゴールの愛と信仰との葛藤から生まれたものでしたが、個人的な体験を超えてキリスト教信仰を主題とする哲学的な文学作品に昇華されており、デンマーク文学における不朽の名作とされています。

『死に至る病』1849年

『死に至る病』は宗教的著作で、テーマは「絶望」です。冒頭で、人間存在を次のように著しています。

人間は精神である。精神とは何であるか?精神とは自己である。自己とは何であるか?自己とは自己自身にかかわるひとつの関係である。この関係のうちには、関係がそれ自身にかかわることが含まれている

自己が自己自身に絶えずかかわることが実存のあり方であり、自己へのかかわりを忘れた自己は、失われた自己であるとされます。キルケゴールは本書において絶望のあらゆる形態の分析を行い、絶望からの解放がどこから見出されるかを教えています。

「キルケゴール」の名言を紹介

キルケゴールの名言を『死にいたる病』から紹介します。

医者なら、完全に健康な人間などというものはおそらく一人もいないと言うだろうが、同じように、人間というものをほんとうに知っている人なら、少しも絶望していないという人間など、その内心に動揺、軋轢、不調和、不安というものを宿していない人間など、一人もいないと言うだろう。

気絶した人があると、水だ、オーデコロンだ、ホフマン滴剤だと叫ばれる。しかし、絶望しかけている人があったら、可能性をもってこい、可能性をもってこい、可能性のみが唯一の救いだ、と叫ぶことが必要なのだ。

可能性を与えれば、絶望者は、息を吹き返し、彼は生き返るのである。なぜかというに、可能性なくしては、人間はいわば呼吸することができないからである。

信じる者は、可能性という、絶望に対する永遠に確かな解毒剤を所有している。なぜなら、神にとっては、あらゆる瞬間に、一切が可能だからである。これが信仰の健康であり、この健康が、もろもろの矛盾を解くのである。

まとめ

キルケゴールが実存主義の創始者とされるのは、それまでの哲学が一般的、抽象的な概念としての真理を探究していたのに対し、人間一人一人の個別的、具体的な存在としての真理を追究したことがその理由です。

キルケゴールは42歳の時に路上で昏倒し、若くして亡くなりました。孤独のうちに戦った生涯でしたが、その後の2度の大戦においてキルケゴールの著書は人々の精神的な支えとなり、キルケゴールブームが起きました。

■参考記事

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