「エピクロス(紀元前341年頃~271年頃)」は「エピキュリアン(快楽主義者)」の語源となったエピクロス派の開祖です。古代ギリシャ哲学はのちの哲学者の思索の源泉となり、影響を与え続けました。この記事ではエピクロスについてと、その思想や言葉・名言を紹介します。
「エピクロス」とは?
まずはじめにエピクロスについて紹介します。
エピクロスは「快楽主義」の「エピクロス学派」の始祖
エピクロスとは、快楽主義で知られる古代ギリシャのエピクロス学派の始祖です。
エピクロスはサモス島に生まれ、18歳でアテナイに上京します。20代の頃は地中海の島で暮らし、ペリパトス派の哲学や原子論を学びました。35歳でアテネに戻り、アテネ郊外に土地を手に入れ、庭園学派とも呼ばれるエピクロス学派を創設しました。
「エピクロスの園」を創設
エピクロスの庭園は「エピクロスの園」として有名になり、親兄弟の他に大勢の弟子たちが集まり、親密な共同生活を行いました。召使の奴隷にも哲学を学ばせたことが記録に残っています。エピクロスが71歳で没したあとは、弟子が庭園を引き継ぎました。
「エピクロスの園」で展開されたエピクロス学派は庭園学派とも呼ばれます。
セネカの「ストア派」とともに「ヘレニズム思想」の代表
エピクロス派はセネカが代表するストア派とともにヘレニズム期の「ヘレニズム思想」を代表する学派です。ヘレニズム期とは、アレクサンドロス大王が没した紀元前323年から、ローマが地中海一帯を統一する紀元前30年までの約300年の期間をいいます。
ストア派は、快楽や欲求の衝動に打ち勝つ「アパテイア」という精神の強さを理想として、「禁欲主義」と呼ばれます。
■参考記事
「隠れて生きよ」の言葉が有名
エピクロスは国事や世間の煩わしさから遠ざかり、心の平安を大切に生きることを説きました。その生き方を意味する「隠れて生きよ」という言葉がよく知られています。
「エピクロス」の思想とは?
次にエピクロスの思想について紹介します。
デモクリトスの「原子論」を基底に持つ「原子論的唯物論」が基本
エピクロスは「デモクリトス」の原子論を思想の基底とする、原子論的唯物論や原子論的自然観を展開しました。霊魂は死によって消滅するとし、また感覚を徳や幸福の基準としました。この思想の上に快楽主義が築かれています。
カール・マルクスはヘレニズムの学派に着目した古代ギリシャ哲学の研究を行っており、『エピクロスの自然哲学とデモクリトスと自然哲学の差異』という博士論文を執筆しています。日本では筑摩書房の『マルクス・コレクションⅠ』に収められて刊行されています。
■参考記事
最高の善である「アタラクシア」を追及する
エピクロスの説く最高の善は快楽であるとされ、その快楽とは苦痛からの解放や心の平静である「アタラクシア」を意味するものでした。
エピクロスは、人間の欲求を3つに分類します。1つ目は「自然かつ必要不可欠である」欲求、2つ目は「自然だが必要不可欠でない」欲求、3つ目が「自然でもなく必要不可欠でもない」という欲求です。3つ目の欲求は、贅沢や豪華への欲望でこれはきりがないとします。
このように欲求について考察し、選択することが身体の健康と魂の平静を可能とするものであり、それこそが幸福な人生の目的であるとしました。エピクロスは質素な生活の中にアタラクシアを求め、パンと水の質素な生活は健康を手に入れ、運命に対しても恐れない者にしてくれると弟子に説いています。
「快楽主義」とはアタラクシアを追及すること
エピクロスのアタラクシアを追及する思想は「快楽主義」と呼ばれ、エピクロスの名から快楽主義者は「エピキュリアン」と呼ばれるようになりました。エピキュリアンとは、本来はエピクロスを信奉する人の意味でしたが、享楽の意味での快楽主義者という意味を持つようになります。
エピクロスを敵対視する人々によって、快楽主義とは美食や性的快楽に耽る快楽主義であるとの誤解が植え付けられたのがその原因です。
エピクロスは弟子への手紙で次のように書いています。
快楽が人生の目的であるとわれわれが言う場合、その快楽とは、一部の人たちが無知であったり誤解したりして考えているように、放蕩や享楽のなかにある快楽のことではなくて、身体に苦痛のないことと、魂に動揺がないことに他ならない
「死」の恐怖を克服することを説いた
エピクロスは、アタラクシアの追及とともに、「死」の恐怖を克服することも唯物論の立場で説きました。死とは、生の構成要素であるアトムへ解体することであり、解体されたものは感覚を持たず、感覚を持たないものは人間にとってなにものでもないと主張しました。
「死」についてのエピクロスの言葉はのちほど紹介します。
「エピクロス」の著書と言葉を紹介
最後にエピクロスの著書と言葉を紹介します。
エピクロスの著作はほとんどが失われた
エピクロスは300巻にのぼる著作を残したとされますが、そのほとんどは失われ、現存するのは弟子たちに宛てた3通の手紙と教説、箴言(しんげん)の断片のみです。
岩波文庫から『エピクロス―教説と手紙』が刊行されている
日本では、エピクロスの弟子への手紙3通と、教説と断片を収めた『エピクロス―教説と手紙』というタイトルの本が岩波文庫から刊行されています。
「エピクロス」の言葉や名言を紹介
残されている手紙や断片から、エピクロスの言葉や名言としてよく知られているものを紹介します。
全生涯の至福をめざして知恵が整えてくれるもののうち、何にもまして一番重要なのは、友情の獲得である。
人はまだ若いからといって、哲学することを先に延ばしてはならないし、もう年をとったからといって、哲学に飽きるようなことがあってはならない。なぜなら、誰だって、魂の健康を手に入れるのに、若すぎることもなければ、年をとりすぎていることもないからである。
死はわれわれにとって何ものでもないと考えることに慣れるようにしたまえ。というのは、善いことや悪いことはすべて感覚に属することであるが、死とはまさにその感覚が失われることだからである。
死はやがてやってくるだろうという予測がわれわれを苦しめると語っている者は、愚かな人である。なぜなら、現にやってきている時には何の悩みも与えないものが、予期されることによってわれわれを苦しめるのだとしたら、それは根拠のない苦しみだからである。
死は、もろもろの災厄のなかでも最も恐ろしいものとされているが、実は、われわれにとっては何ものでもない。なぜなら、われわれが生きて存在している時には、死はわれわれのところには無いし、死が実際にわれわれのところにやってきた時には、われわれはもはや存在していないからである。
「まとめ」と『エピクロスの園』(アナトール・フランス著)を紹介
「エピキュリアン(快楽主義者)」の言葉の語源となったエピクロスの快楽主義は、死への恐怖を克服し、心の平静であるアタラクシアを追及するものでした。エピクロスの倫理思想は、のちの哲学者や思想家に大きな影響を与え続けました。
1921年にノーベル文学賞を受賞した詩人・小説家のアナトール・フランスは、『エピクロスの園』というタイトルの箴言集を著しています。アナトール・フランスはエピクロスの思想に影響を受け、さまざまな題材を用いて人生哲学や芸術論を表現しました。
『エピクロスの園』の中の「死」というタイトルの箴言では、エピクロスの次の言葉を引いています。「私が存在する時には、死は存在せず、死が存在する時には、私はもはや存在しない。<エピクロス>」
芥川龍之介の箴言集『侏儒の言葉(しゅじゅのことば)』は、『エピクロスの園』に強く影響を受けて執筆されたものです。
■参考書籍