「怒り心頭」の意味とは?間違えやすい誤用と類語・使い方も解説

「怒り心頭」に続く言葉として、怒り心頭に「達する」がよく使われますがこれは誤用で、実は「怒り心頭に発する」が正解です。誤用が広まったことの理由は、「怒り心頭」の正しい意味を知らないことにあります。この記事は「怒り心頭」の意味や類語のほか、使い方と例文などを紹介しており、慣用句の正しい理解に役立ちます。

「怒り心頭」とは?

「怒り心頭」の意味は”心底激しく怒ること”

「怒り心頭」の意味は、“心の底から激しく怒ること”です。「心頭」は「心」や「心の中」のことを指しています。

「心頭」で用いられている「頭」は「そば・あたり」という意味合いで使われ、「心頭」で「心のあたり」となるのです。つまり「怒り心頭」とは、心の中から沸き起こる抑えられないほどの激しい怒りという意味になります。

「怒り心頭」に続く言葉は”発する”

「怒り心頭」での怒りは心の中から発生しています。したがって、「怒り心頭」に続く言葉は「発する」が正解です。

「怒り心頭」に続く言葉で「達する」が多く用いられる理由は、「心頭」を心と頭のことであると理解し、怒りが心から頭の中にまで達するほどの激しい様子を思い浮かべるからでしょう。「心頭」の正しい意味さえ理解しておけば、今後間違った表現をしてしまう心配はないはずです。

「怒り心頭」に「達する」は誤用?

「怒り心頭に達する」は誤用だが、使う人が多い

一般的に「怒り心頭」に続く言葉は「に達する」であると思われています。しかし「怒り心頭に達する」は、先に説明したように誤用です。

にもかかわらず、半数以上の方が「怒り心頭に達する」という使い方をしており、正しい用法である「怒り心頭に発する」は、少数派となっているのが現実です。

誤用の原因は「心頭」への誤解

「達する」と「発する」は、発音が大変よく似ているため紛らわしく、この点が誤用につながっています。しかし、「達する」が多数派となってしまった原因は、「心頭」への誤解もあるのです。

「心頭」は「しんとう」と読み、文字を見ると心と頭のことを指している熟語と思われがちです。しかし「心頭」に頭という意味はなく、「心」あるいは「心の中」のことを指しています。

「怒り心頭」の類語とは?

「怒り心頭」の類語は”激高(激昂)する”

「怒り心頭」は、抑えきれない激しい怒りのことを指している慣用句で、同じ意味を持つ言葉としては、「激高(げっこう・げきこう)する」があります。

「激昂」とも書きますが、漢字の意味そのままで激しく高ぶることを指している言葉です。車内での暴行事件などの報道で、「激高した犯人が…」とアナウンスされていますが、抑えられなくなった怒りは暴行の引き金となることがあるほどに危険です。

同じ意味合いがある言葉として「憤怒(ふんど・ふんぬ)」があります。「忿怒」とも書きますが、この場合は人間の怒りではなく不動明王の怒りの表情を指すことが一般的です。過ちを犯す者に対して厳しく導こうという強い意志を表現したもので、単なる怒りではない「愛のムチ」的な教えを含んだ怒りです。

「怒髪天を衝く」や「腸が煮えくり返る」も類語

「怒髪天を衝く」や「腸(はらわた)が煮えくり返る」も、「怒り心頭」の類語です。「怒髪天を衝く」は激しい怒りで髪の毛が天を衝くほどに逆立っている様子を、「腸が煮えくり返る」は沸騰した怒りで腹の底が沸き返っている様子を表しています。いずれも比喩的な表現ですが、怒りの激しさがありありと目に浮かぶようです。

「堪忍袋の緒が切れる」は我慢の末の怒り

「堪忍袋の緒が切れる」も激しい怒りを表した慣用句です。忍耐力のキャパシティをたとえた堪忍袋の口を閉じている緒が切れてしまうことをいっており、我慢の末に怒りが爆発することを指しています。

「堪忍袋の緒が切れる」と似ている表現として、「腹に据えかねる」も挙げられます。怒りが大きくて心中におさめておくことができなくなることを指しており、いずれも怒りの度合いは激しいものの瞬間湯沸器のような怒りではなく、我慢を重ねた末の怒りを表しています。

「怒り心頭」の使い方とは?

「怒り心頭」を使った例文

口語的な表現では「怒り心頭」はあとに「発する」を続ける用法より、「怒り心頭」と単独で用いられることが多いため、単独で「怒り心頭」を使った例文を以下に紹介します。

・得意先からのあまりに理不尽な納期短縮要請に、現場の工員だけでなく社長までもが怒り心頭となった。
・彼のすごいところは、どんなに怒り心頭であっても感情に任せた判断をしない点だ。
・いつもは温厚な上司だが今回ばかりは怒り心頭の様子が伺え、誰も言葉を掛けることができなかった。

まとめ

「怒り心頭」に続く言葉を正しく理解するため、慣用句の意味と類語のほか使い方が分かる例文などを紹介しました。多数決が物事を決めてしまうことは言葉の世界においても見られ、たとえ誤用であってもより多くの人が使っている用法が主流となっていく傾向があります。

幸い「怒り心頭」は単独で使用できるため、もし周囲が「怒り心頭に達する」と言っている場合には、「怒り心頭」とすることで波風を立てずに正しい使い方を貫くことができます。