「悦に入る」の意味とは?語源・類語や「悦に浸る」との違いも解説

「悦に入る」は、小説などで目にすることが多い言葉です。文脈からなんとなく喜んでいる様子がうかがえるかもしれませんが、あらためて正確な意味を問われたとき、きちんと答えられるでしょうか。この記事では「悦に入る」の意味や語源・類語をはじめ、「悦に浸る」との違いを紹介しています。

「悦に入る」の意味とは?

「悦に入る」の意味は「一人で喜ぶこと」

「悦に入る」の読み方は「えつにいる」です。これは物事がうまくいって満足して喜ぶことを表した慣用句です。「悦に入る」の「悦」は「ご満悦」という言葉からも分かるように、喜ぶことや楽しむことを指す漢字ですが、心の中で喜ぶという意味合いがあります。

つまり「悦に入る」は、他の誰かといっしょに喜びをはじけさせるという状態ではなく、一人静かに喜びを噛みしめるという状態を表現した言葉です。

「悦に入る」の語源

「悦」は心がほぐれること

「悦」という文字が心の中での喜びを意味していることは、漢字のつくりである「兌(ダ・タイ)」から読み取れます。

「兌」には「抜け落ちる」「ほぐれる」という意味を持っているため、心を表すりっしんべんに「兌」が合わさった「悦」は、「わだかまりが抜け落ちる」「心がほぐれる」ことを示し、ここから心の内の喜びを指すようになりました。

「悦」以外に「兌」をつくりに持つ例として、収穫物から抜け落ちる穀物を指す「税」や、言葉で解きほぐすことを指す「説」があります。

「入る」は内におさめること

「悦に」の後に続く「入る」には、「中にはいる」「内におさめる」という意味があります。つまり「悦に入る」は「心の内の喜びを自分の胸の内におさめる」という状態を指している言葉です。

「一人悦に入る」という用法がよく見受けられることからも分かりますが、「悦に入る」は周囲に公表したり誰かと分かち合ったりして喜ぶのではなく、誰にも言わずに一人胸の内にしまいこんで、しみじみと喜びを味わっている様子を表します。

「悦に入る」と「悦に浸る」との違い

「悦に浸る」は「悦に入る」の誤用

「悦に入る」と同じ意味で「悦に浸(ひた)る」という言葉が使われることがあります。しかし、「悦に浸る」は「悦に入る」の誤用で、「喜びに浸る」と混同されて広まったようです。

「悦に浸る」は間違いなく誤用ですが、「悦に入る」と同じ意味を表す言葉としてすでに通用しています。本来は誤用であっても使う人が多くなると、正しい用法が誤りであると勘違いされるようになり、誤りを指摘することがはばかられるようになるかもしれません。

「悦に入る」の例文

「悦に入る」を使った例文を紹介します。

  • めったに感情を表さない上司が悦に入った表情を浮かべているのだから、よほどいいことがあったのだろう。
  • 難航が予想された交渉を完璧に進めることができたので、我ながら上出来と一人悦に入ってしまった。
  • 彼の最新作はあまりにも前衛的だったためかさほど評価されなかったが、当人の悦に入った様子から会心の出来だったことがうかがえる。
  • 安楽椅子に座り葉巻をくゆらせながら、悦に入ったような笑みを浮かべて大人のゆとりを演出してみた。

「悦に入る」の類語

「悦に入る」の類語は「ほくそ笑む」

喜ぶことを表す言葉はたくさんありますが、「悦に入る」のように一人心の中で静かに喜びを味わっているという意味合いを持つ言葉は多くありません。

その中で「悦に入る」の類語として適切な言葉は「ほくそ笑む」です。物事が思い通りになって満足し一人ひそかに笑みを浮かべている様子を表す言葉で、「ひそかにほくそ笑む」というように使われます。

「ほくそ」とは「ほくそう(北叟)」のことで、「塞翁が馬」の塞翁です。塞翁は幸・不幸のいずれに対しても動じることなく、いつもうっすらと笑っていたという故事から「ほくそ笑む」が生まれました。

「堪能する」も「悦に入る」の類語

「悦に入る」の類語としては、「堪能する」も挙げられます。「堪能」は「たんのう」と読み、「充分に満足すること」と「納得すること」というふたつの意味を持っています。

このうちで後者が、「悦に入る」の個人的な喜びに浸っている様子により近い意味合いを持ちます。つまり、自分の気が済んで納得できればそれでいいということであり、客観的な評価とは別次元の深い喜びを指しているのです。

なお、「堪能」を「かんのう」と読むと意味が変わり、仏教用語のよくたえ忍ぶ力、あるいはその道に通じていることや人を指すため、注意が必要です。

まとめ

「悦に入る」の意味や語源・類語を解説し、悦に浸るとの違いや「悦に入る」を使った例文などを紹介しました。いいことがあると誰でもうれしい気持ちになりますが、「悦に入る」の場合は喜びをストレートに表現せず、一人で反芻しているような状態です。

分かち合うことで喜びは広がりますが、相手によってはやっかみを受けることもあります。しかし、喜びを一人でしみじみと深く味わう「悦に入る」なら、誰にも邪魔されることはないでしょう。