「去る者は日々に疎し」は、別れのシーズンによく見聞きすることわざですが、別れのシーズンは出会いのシーズンでもあるため、別れの悲しさや寂しさは意外と早く薄れていくようです。この記事では、「去るものは日々に疎し」の意味をはじめ、出典や類語と例文なども解説しています。
「去る者は日々に疎し」とは?
「去る者は日々に疎し」の意味は”死んだ人は忘れ去られる”
「去る者は日々に疎し」の意味は、“死んだ人は忘れ去られる”です。「さるものはひびにうとし」と読み、”日日に疎し”とも書きます。亡くなった人は月日と共に忘れられていくということを表したことわざです。
「去る者」はこの世を去った人、つまり亡くなった人のことを指しています。「疎し」を現代語訳すると「疎い」となり、親しくないことのほか、無関心なことや不案内なことを形容した言葉です。
この世でも「去る者は日々に疎し」は使える
「去る者は日々に疎し」での「去る者」とは本来、亡くなった人のことを指していましたが、転じて自分の近くから去っていって、会うことがなくなった者という意味としても使われるようになりました。
親しくしていた者も離れてしまうと疎遠になっていくということを残念に思う気持ちと、しかたがないと諦める気持ちがこもったことわざです。
「去る者は日々に疎し」の使い方や例文とは?
「去る者は日々に疎し」を使った例文
「去るものは日々に疎し」を使った例文を紹介します。
- あれほど盛大な送別会を開いてくれたのに、「去るものは日々に疎し」ということか年賀状は1枚も来なかった。
- 失恋してもう立ち直れないかと思うほど凹んでいたが、今では彼女のことをほぼ忘れてしまっている。
- 「去るものは日々に疎し」というが、前の総理大臣が誰だったかをすぐに言える人は少ないようだ。
遠距離恋愛は「去る者は日々に疎し」の好事例
「去る者は日々に疎し」の意味がよく分かる好事例として、遠距離恋愛があります。固い絆で結ばれたふたりも、転勤などで離れ離れになってしまうと心も離れてしまうことが一般的です。
また退職して職場を離れた後、元同僚たちとの交流を維持することは難しく、現役中に定年後に身の置き所を探しておく必要があります。
「去る者は日々に疎し」の類語とは?
そばにいないと別れてしまう「遠ざかるは縁の切れ目」
「去る者は日々に疎し」の類語としては、「遠ざかるは縁の切れ目」が挙げられます。人間関係は難しいものですが、基本はコミュニケーションです。
現在のようにいつでも連絡が取れるインフラが整備されていても、直接会って話をする機会をひんぱんに持てなければ、だんだんと疎遠になってしまいます。
遠く離れてしまえば滅多に会えなくなるため直接話をする機会も少なくなってしまい、ついには縁が切れてしまうでしょう。
「遠ざかるは縁の切れ目」は、遠く離れてしまえば縁は切れてしまうものだということを表したことわざで、「去る者は日々に疎し」が持っている、離れてしまった者とは疎遠になるという意味と同じです。
「遠ければ薄くなる」のは自然な流れ
「遠ければ薄くなる」は先に挙げた「遠ざかるは縁の切れ目」と同じ意味合いがあることわざです。
お互いの物理的な距離は心理的な距離に比例し、遠く離れてしまえば接触する機会が減り、関係も薄れていきます。
昔のように離れたもの同士の連絡手段が乏しかった時代には、会えなくなることは交流する機会も失われてしまうことにつながり、いずれは思い出すことさえなくなってしまうのです。
「去る者は日々に疎し」の出典とは?
「去る者は日々に疎し」の出典は漢文で書かれた『文選』
「去る者は日々に疎し」の出典は、「文選・古詩十九首」其一四にある作者不明の詩の冒頭部分です。「文選」は、後漢時代の梁の太子である蕭統(しょうとう)が編んだと伝わる選集で、選りすぐりの詩や文章が集められています。
作者が城門を出たときの眺めが詠われた詩で、荒涼とした墓地が続く光景と柳の枝が悲しげに風に吹かれている情景を描いた、寂寥感と無常観が感じられる秀作です。
「去るものは日々に疎まれ、生ける者は日々に親しむ」が原文
漢文で書かれた「文選」にある原文では、「去る者は日々に疎し」が「去るものは日々に疎まれ」となっており、後に「生ける者は日々に親しむ」と続きいています。
現代語訳すると、死んでしまった者は日々忘れられ、生きている者は日々親しくなっていくとなります。生前どんなに親しくしていたとしても、死んでしまえば記憶から消えていくが、一方生きているもの同士は日毎に親しくなっていくという意味です。
親しさを維持するためには、実際に会うことや話しをすることが必要で、思い出の中に大切にしまっておくだけでは、いずれは消えてしまうのでしょう。
まとめ
「去る者は日々に疎し」の意味のほか、ことわざの出典や類語および例文を解説しました。「去る者は日々に疎し」は人の情がはかないということを表したことわざですが、誰かが去ってしまっても、また新しく誰かがやって来ます。
新しい出会いがあるからこそ昔の記憶が薄れていくのかもしれないと考えれば、「去る者は日々に疎し」は、過ぎ去ったことよりこれからのことを大切にする前向きな考え方を奨励しているものともいえます。