「ミュシャ」の生涯とは?代表的なリトグラフのポスターも紹介

アール・ヌーヴォー様式の装飾で飾られた優雅な女性の「ミュシャ」の絵は、日本でも人気が高く、特別展や関連書籍などで目にする機会が多くあります。この記事では、画家「ミュシャ」の生涯と、その作品について、概要を紹介します。

「アルフォンス・ミュシャ」とは?

「ミュシャ」とはチェコ出身の”アール・ヌーヴォー”を代表する画家

アルフォンス・ミュシャ(Alfons Mucha、1860年~1939年)とは、アール・ヌーヴォーを代表する画家です。モラヴィア(チェコの地方)に生まれました。奨学金を得てドイツのミュンヘンの美術学校で絵画の技術を学び、27歳のときにパリに出ます。当初は挿絵などを書いていましたが、やがてアール・ヌーヴォー様式の画家として大人気となります。多くの商業用のポスターや、装飾パネルなどを制作しました。

アール・ヌーヴォーとは、「新しい芸術」という意味で、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパに興った国際的な美術運動およびその様式をいいます。様式の特徴は、昆虫や植物などの自然のモチーフに、自由で有機的な直線を組み合わせた豪華で装飾的なデザインにあります。

「サラ・ベルナール」の公演用ポスターによって成功

『ジスモンダ』(1895年)カラーリトグラフ
(出典:Wikimedia Commons User:Grendelkhan)

1894年、ミュシャ34歳のときに成功に導く転機が訪れます。当時のパリで大人気だった女優のサラ・ベルナールが、舞台公演『ジスモンダ』用のポスターを業者に依頼しますが、偶然ミュシャが制作することになり、そのポスターが街に張り出されると大評判となったのです。

ミュシャはサラと6年間の契約を結び、次々と手がけるポスターは大好評で、一躍人気のポスター作家となりました。

ミュシャは「ポスターの黄金時代」を築いた

19世紀末から20世紀の初頭は芸術性の高いポスターがたくさん作られ、「ポスターの黄金時代」と呼ばれます。ミュシャの他にロートレックやスタンランらが活躍しました。ポスターは商業の宣伝用として作られましたが、当時からコレクターが存在し、サラ・ベルナールは大量にミュシャのポスターを刷らせ、大きな利益を得ました。

ミュシャが大量印刷できるポスターにこだわったのは、民衆の芸術運動としてイギリスに始まった、「アーツ・アンド・クラフツ運動」の理想を共有し、一般の人々のための芸術を目指したからでした。アーツ・アンド・クラフツ運動は、アール・ヌーヴォーの理念に影響を与えました。

50歳でチェコに帰り、祖国のために絵画を制作した

1910年、50歳となったミュシャは、パリから祖国に帰国します。1900年のパリ万博を頂点としたアール・ヌーヴォーの流行は、この頃陰りを見せていました。

ミュシャはスラヴ民族の血を引いており、強い民族意識と祖国愛を持っていました。帰国後は20年近くを費やし、スラヴ民族のための『スラヴ叙事詩』を制作します。その他にも、国の紙幣や切手のデザインなどを行いました。

「ミュシャ」の代表作品を紹介

「ミュシャ」の作品は「リトグラフ」技法で作成された

ミュシャのポスターや装飾パネルは、リトグラフ(石版画)という技法で作られました。石版の表面を削ることなく、水と油の反発を利用して油性の画材で絵を描いて刷る技法で、版が痛みにくく、大量に刷ることができる特徴があります。リトグラフは18世紀末に発明され、20世紀初頭まで用いられましたが、次にジンク版にかわり、現在はアルミ版が使われています。

代表作品のリトグラフ・ポスター『黄道12宮』(1896年)

『黄道12宮』(1896年)カラーリトグラフ
(出典:Wikimedia Commons User:Carpediem6655)

『黄道12宮(おうどうじゅうにきゅう)』はミュシャの代表作で、現在もカレンダーやポスターなどに印刷されて販売されています。当初はカレンダー用に制作されましたが、人気が高く、のちにパネル装飾も作られました。「黄道」とは、太陽が描く軌跡のことで、黄道を12等分して、それぞれに星座をあてはめたものを「黄道12宮」と呼びます。

図柄にはさまざまなバージョンがありますが、女性の横顔の背景に12星座が描かれ、暦が印刷されていた下部の枠の中に智天使が描かれた特別バージョンは、装飾パネルとして描かれたもので、ミュシャの代表作となっています。

祖国のために制作した絵画『スラヴ叙事詩』(1910年~1928年)

『スラヴ叙事詩』より『原故郷のスラヴ民族』(1911年)テンペラ、カンヴァス
(出典:Wikimedia Commons User:Jklamo)

先に説明した、祖国のために制作した『スラヴ叙事詩』は、一般的にはあまり知られていない作品ですが、ミュシャの代表作の一つであるといえます。この作品は、パリ時代のアール・ヌーヴォー様式とはまったく異なるテーマと様式によって描かれ、プラハ市に寄贈されました。

『スラヴ叙事詩』は、テンペラ技法で描かれ、全20作からなる壁画サイズの大作です。題材は古代から近代までのスラヴ民族の歴史や伝承・神話に求められ、ミュシャはスラヴ民族への思いを込め、後半生をかけて描きました。

まとめ

ミュシャはアール・ヌーヴォー時代を代表する華やかなポスターで知られています。アール・ヌーヴォーの流行は第一次大戦とともに終焉し、アール・デコの流行へと移り変わりますが、その時代にはミュシャはパリからチェコに戻り、祖国とスラヴ民族のための仕事を行いました。

近年、ミュシャのクラシックな様式美が人気となり、関連書籍やカレンダーなどを目にすることが多くなりました。ミュシャが描く女性はスラヴ民族の理想の女性が描かれているのかもしれません。

■参考記事
「アールヌーボー」とは?アールデコとの違いや建築なども紹介