「写本」とは?歴史や「装飾写本」の代表作『ケルズの書』も解説

印刷術が発明される15世紀まで、ヨーロッパの書物は全て手書きの「写本(Manuscript)」でした。中世ヨーロッパでは、豪華な装飾を施した「装飾写本」が作られ、写本装飾は「輝かせるもの」という意味のイルミネーションと呼ばれました。

この記事では、写本の意味や歴史とともに、装飾写本とその代表作などについても紹介します。

「写本」の意味とは?

「写本」の意味とは”手書きで複製された本”のこと

「写本」とは、印刷ではなく”手書きで複製された本のこと”です。古くは古代ギリシャ時代から作られており、15世紀に活版印刷術が発明されるまでの西洋の書物は全て手書きで書き写されました。

写本に使われた素材は「羊皮紙」など時代によって異なる

素材は時代によってパピルス、羊皮紙、紙が用いられました。中世ヨーロッパでは、羊の皮をなめした羊皮紙に、樹皮などから作られたインクで字を書きました。

テンペラで描かれた美しい挿絵(ミニアチュール)が盛り込まれた「装飾写本」も盛んに作られました。

■参考記事
「テンペラ」とは何か?ムンクの『叫び』などのテンペラ画も紹介

「写本」の歴史とは?【古代~中世、近代へ】

キリスト教の「聖書」や図鑑・古典の写本が造られた

古代ギリシャでは、紀元前3世紀に設立したアレクサンドリア図書館において、組織的にパピルスへの写本が行われました。膨大な数の写本があったとされますが、現存していません。プラトンなどの哲学者の著作は、後世に写された写本によって中世にその内容が伝わりました。

キリスト教が発展すると、「聖書」の写本が盛んに作られるようになりますが、そのほかにも、薬草の図鑑や古典など、教養や学問のための写本も作られました。

現存する最古の聖書写本は「死海写本」と「ナグ・ハマディ写本」

現存する最古の写本としては、1947年以降に死海北西岸の洞窟群で発見された「死海写本」があります。紀元前3世紀頃~紀元前1世紀頃に成立したと推定されており、主に旧約聖書(ヘブライ語聖書)とその関連文書からなります。一部パピルスを含み、多くは羊皮紙に書かれています。

「死海写本」は、古代キリスト教の資料として20世紀最大の発見とされますが、次に重要なのが1945年にエジプトで発見された「ナグ・ハマディ写本」です。西暦350年から400年の間に成立したと推定され、「トマスによる福音書」など新約聖書に関連する文書がパピルスに書かれています。

中世ヨーロッパの写本時代は7世紀~15世紀

中世のヨーロッパでは、7世紀頃から修道院にキリスト教の写本工房が作られ、修道士が聖書や古典の写本を盛んに制作しました。主に羊皮紙に装飾文字や細密画の挿絵とともに描かれました。これらは彩色写本と呼ばれます。

13世紀末頃からは、修道院の写本にかわって裕福な王侯貴族が豪華な装飾写本文化をつくりあげます。テーマは世俗的な内容や文学にも及び、さまざまな分野の写本が現れ、商業的に流通するものもありました。

ルネサンス期のイタリアでは、ヴィスコンティ家やメディチ家のパトロンによって、装飾写本が次々に注文されてコレクションされ、写本文化のピークを迎えました。

15世紀以降は「芸術としての本」の価値を高めていく

15世紀に活版印刷術が発明されると、18世紀末頃までは美しい写本を印刷によって再現しようとする伝統が続きますが、やがて大量生産によって本の質が低下します。しかし19世紀末のウィリアム・モリスによるアーツ・アンド・クラフツ運動により、芸術としての本の価値が再考されました。

「装飾写本」とその代表作とは?

「装飾写本」とはテキスト写本に装飾的な飾りを加えたもの

「装飾写本」(英語:illuminated manuscript)とは、テキストの写本に装飾的な挿絵や装飾的な縁取りなどの飾りを描き入れた写本のことです。

写本装飾のことをイルミネーション(輝かせるもの)と呼び、写本装飾家のことをイルミネーターと呼びます。写本装飾には金泥や金箔・銀箔が使われ、細密で美しい文様は鮮やかな色彩で彩られ、まさに輝くほどの美しさでした。

中世ヨーロッパにおいて装飾写本が数多く作成されましたが、その様式は時代によって移り変わり、ケルト様式に始まり、ビザンチン様式、ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネサンス様式に至ります。挿絵はテンペラ技法によって描かれました。

世界で最も美しい聖書の写本『ケルズの書』

『ケルズの書』
(出典:Wikimedia Commons User:File Upload Bot (Eloquence))

アイルランドのケルズ修道院で800年頃に完成された『ケルズの書』(The Book of Kells)は、世界で最も美しい写本と呼ばれ、アイルランドの国宝となっています。

北方ヨーロッパやアイルランドへのキリスト教の布教は6世紀に始まりましたが、そこでは古代ケルト文化が色濃く残っていました。僧院において神の言葉を伝える本が作られ、文字を知らない人々にとって、本は聖なるものでした。キリストを示す巨大なイニシャルの飾り文字「XPI」が神秘的な装飾を伴って描かれました。

テキストはラテン語による四つの福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)が収められ、文字はインシュラー体で書かれています。

『ダロウの書』(650年頃)、『リンディスファーンの福音書』(715年頃)、『ケルズの書』(800年頃)が三大ケルト装飾写本と呼ばれます。これらの特徴は、古代ケルト文化の影響を受けた神秘的・魔術的な様式である、幾何学的なパターンや組紐・渦巻文様などが使われ、写実的な表現はみられません。中世装飾写本は、ケルトの装飾とともに始まりました。

中世装飾写本の最高峰『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』
(出典:Wikimedia Commons User:Petrusbarbygere)

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(ベリーこうのいともごうかなるじとうしょ)は、中世装飾写本の最高峰と呼ばれます。15世紀中世フランス王国の王族、ベリー公が時祷書として作らせた装飾写本です。

時祷書とは、キリスト教徒の勤行のために作られた祈祷書で、定時に用いる祈祷文のほかに、聖歌や聖務などが書かれ、華麗な細密画を伴います。14世紀から15世紀にかけてのフランスでは、優れた写本芸術でもある時祷書が多く作られました。

まとめ

「写本」とは「手書きで複製された本」のことで、古代ギリシャ時代から作られ、現存する最古のものは旧約聖書が書かれた「死海写本」です。中世ヨーロッパでは、修道院の工房で修道士の手によるキリスト教の写本が盛んに作られ、美しい装飾文字や挿絵も細密画を専門とする修道士によって描かれました。

13世紀末頃からのヨーロッパ各地やルネサンス期のイタリアでは、裕福な貴族が豪華な装飾をほどこした装飾写本をコレクションし、活版印刷が発明されるまで写本文化は続きました。

近代では、ウィリアム・モリスがカリグラフィーとともに装飾写本の美しさを蘇らせました。カリグラフィーは日本でも人気があり、教室などが各地で開かれています。カリグラフィー教室ではイルミネーションと呼ばれる挿絵の技術を教えるところもあります。