「大聖堂」「カテドラル」の意味とは?教会との違いや小説も紹介

ヨーロッパの都市に威容を誇る「大聖堂(カテドラル)」とは、どのようなものなのでしょうか?この記事では、大聖堂の意味と歴史、教会との違いなどを解説します。あわせて、ヨーロッパと日本の代表的な大聖堂や、大聖堂をモチーフとした小説についても紹介します。



「大聖堂」(英語:cathedral)とは何か?

「大聖堂(カテドラル)」とは「司教の座る椅子」がある聖堂のこと

キリスト教の「大聖堂」とは、座席を意味するギリシャ語の「カテドラ」に由来し、司教の座る椅子(司教座)が置かれた聖堂のことをいいます。

「司教座聖堂」をフランス語で「cathédrale」といい、そこから日本では大聖堂を「カテドラル」と呼ぶこともあります。英語では「cathedral」と書きます。

司教座とは、それぞれの教区を統括する聖職者が座る椅子のことを指します。司教座が置かれた聖堂である大聖堂は、その地域の信仰と文化の中心となる重要な聖堂です。

「大聖堂」と「教会」は祈りの場としての違いはない

大聖堂とは、先に説明したように、司教座が置かれる教会のことをいいます。キリスト教徒が集まって典礼を行ったり、祈りを捧げたりする場を「教会」(church)と呼びます。聖堂も教会と同じ意味で使われます。

大聖堂と教会の違いは、司教座の有無であり、祈りの場として意味の違いはありません。また、個人的に設けられたプライベートな祈りの場は礼拝堂(chapel)と呼ばれます。

都市の栄光を示す「大聖堂」は中世後期に力が入れられ発展した

ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス帝(272年~337年)が、313年にミラノ勅令によってはじめてキリスト教を公認したことから、各地に教会建築が誕生してゆきます。古くはビザンティン建築に始まり、11世紀~12世紀半ばにかけてはロマネスク建築の教会が盛んに建てられました。

12世紀にゴシック建築が誕生すると、フランスを中心のゴシック建築の教会が広まり、ロマネスク様式をゴシック様式に建て替える教会も多くありました。ロマネスク様式は厚い壁と小さな窓が特徴ですが、ゴシック様式は技術の発達により、薄い壁と大きな開口部を設けることができ、また高く建築することが可能となりました。

ゴシック様式が伝播された時代は、西ヨーロッパの経済が発達して都市活動が盛んになった時期でした。そのため、大聖堂は都市の経済力や栄光を示すものとして、ロマネスク建築のものがゴシック建築に建て替えられるなどしながら、場合によっては数百年の歳月をかけながら、豪華に巨大になっていきました。

大聖堂は、大きな聖堂を意味するものではありませんが、結果として大聖堂は大きな聖堂となったのです。大聖堂は、建築のほかにも、壁画、絵画、ステンドグラス、装飾品など、芸術の精華がすべて詰め込まれ、総合芸術の場となりました。

大聖堂は重要な「聖遺物」を所有している

財力を持つ大聖堂は、重要な聖遺物を所有していることが多く、聖遺物を拝むために巡礼者が多くやってきました。聖遺物とは、キリストの受難にかかわるものや、聖人の遺体の一部などを指し、古い時代から崇敬の対象とされてきました。聖遺物は金や宝石で装飾された美しい箱「聖遺物容器」に入れられ、美術品としての価値も持ちます。

聖遺物のなかでも唯一無二の重要なものとして、キリストが受難の際にかむっていたとされる「イバラの冠」は、パリのノートル・ダム大聖堂が所有しており、2019年4月の火事の際は運び出されて無事でした。

ドイツのケルン大聖堂では「東方の三博士の遺骸」を所有して巡礼者を集め、ケルンが発展しました。また、聖堂はしばしば聖人に捧げられるために建設され、聖ペトロに捧げられたバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂は、聖ペトロの遺骸が祭壇の下に安置されています。

■参考記事
「聖遺物」とは何か?「イバラの冠」「聖杯」なども紹介

代表的なヨーロッパと日本の大聖堂を紹介

「ノートル・ダム大聖堂」フランス・パリ

パリのノートル・ダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)は、高くそびえる双塔(ツインタワー)と優雅な曲線を描くフライング・バットレス、バラ窓と呼ばれる大きなステンドグラスが特徴で、初期ゴシック建築の傑作とされます。

2019年4月15日の火災により尖塔が崩落し、バラ窓のステンドグラスのガラス部分は消失してしまいましたが、過去に何度も修復されてきたように、今回も美しい姿が復活されることを期待します。

「ノートル・ダム」とは聖母マリアを称賛する言葉です。「ノートル・ダム」と名前がつけられた聖堂はフランス各地にありますが、パリのノートル・ダム大聖堂が最も有名です。

パリの町はパリのノートル・ダム大聖堂を中心として生まれました。もともとは、ローマ帝国の時代に古代ローマの神ユピテルの神殿が建てられていましたが、キリスト教が広まると、神殿を壊してキリスト教の聖堂を建てたものが数回の改築を経て現在の姿になりました。ノートル・ダム大聖堂の地下には、ローマ時代の遺跡が埋まっています。

1163年よりゴシック式での建て替えの工事が始まり、1250年頃に一応の完成を遂げますが、その後も工事は続けられ着工からおよそ200年後の1345年に完成しました。また、フランス革命にともなう聖堂破壊運動によって損傷を受け、1845年以降に正面ファサードの彫刻などが新たに制作されています。

丹下健三が設計した東京都庁舎のツインタワーは、パリのノートル・ダム大聖堂をモチーフにしています。

「ケルン大聖堂」ドイツ・ケルン

ゴシック建築を代表する聖堂として象徴的な聖堂がドイツの「ケルン大聖堂」(Kölner Dom)です。高さ157メートルの双塔を持ち、ゴシック様式の建築物としては世界最大です。ケルン大聖堂の内部は太く高い柱が林立する荘厳な空間で、しばしばヨーロッパの黒い森に例えられて称賛されます。

ケルンはライン川沿いの町で、河川の交通で繁栄しました。ケルンはローマ帝国の植民地から歴史が始まり、キリスト教が早い時期に伝わり、4世紀には司教座を置く最初の大聖堂が建てられました。

13世紀に火災により焼失し、新たな建設が始まりましたが、財政難により途中で工事が中断します。17世紀末から始まったゴシックの再評価であるゴシック・リバイバルの潮流により、19世紀に工事は再開され、建設開始から600年以上が経過した19世紀末に現在の姿が完成しました。ケルンの高い双塔は、産業革命以後の機械の力によって建設されたものです。

「ミラノ大聖堂」イタリア・ミラノ

「ミラノ大聖堂」(Duomo di Milano:ミラノのドゥオーモ)はイタリア最大の聖堂で、イタリアではあまりゴシックが受容されなかったことから、イタリアでは珍しいゴシック建築の聖堂です。白大理石で覆われた聖堂と、人像を頂く135本の小尖塔や、おびただしい彫刻で装飾される壮麗な外観が印象的です。

14世紀にミラノ公ヴィスコンティによって着工され、16世紀には完成されますが、その後も工事は続けられ、500年の歳月を費やした1813年に現在の姿に仕上げられました。

「東京カテドラル聖マリア大聖堂」東京都文京区

(出典:Wikimedia Commons User:Kakidai)

「東京カテドラル聖マリア大聖堂」は、1964年(昭和39年)に日本を代表する建築家、丹下 健三(たんげ けんぞう、(1913年(大正2年)~2005年(平成17年))の設計によって建築されました。この大聖堂は、屋根と壁体が一体化した構造体となっており、丹下の代表作であるとともに、モダンデザインの傑作と呼ばれています。

聖マリア大聖堂は、聖母マリアに捧げられたカトリック東京大司教区の司教座聖堂で、堂内には、ドイツより贈られた聖フランシスコ・ザビエルの胸像が安置されています。

大聖堂をモチーフとした小説を紹介

ヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』

フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』は、『ノートル・ダムのせむし男』の邦題としても知られ、映画やミュージカルでも親しまれています。

15世紀のパリ・大聖堂を舞台に、大聖堂の前に捨てられ鐘つきとなった醜い男と、ジプシーの美しい踊り子との恋愛悲劇が、腐敗した聖職者の姿とともに描かれています。

ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』

『カンタベリー物語』は、中世英国の詩人、ジェフリー・チョーサーの代表作です。カンタベリー大聖堂に来て宿屋で泊まりあわせた29人の巡礼者が、それぞれに身の上話などを披露します。騎士、聖職者、商人などあらゆる階層の人々の物語からは、その当時の風俗や社会をうかがい知ることができます。

まとめ

「大聖堂」は大きな聖堂のことではなく、司教座が置かれた聖堂のことをいいます。その地方の中心に置かれた大聖堂は、その都市や為政者の栄光を示すシンボルでもあるため、長い時間と費用をかけて改修や修復が行われました。

聖堂は信仰の場であるとともに、贅をつくした芸術に触れられる場でもあり、観光客が自由に見学することもできます。この記事では、ヨーロッパの大聖堂を3つしか紹介できませんでしたが、ヨーロッパに旅行で行かれた際には、各地にある大聖堂や聖堂をぜひ訪れて歴史に触れてみてください。