「脚下照顧」の意味と由来とは?使い方の例文や類語も解説

「脚下照顧」は仏教に関わりが深い言葉です。お寺に入るときには靴を脱ぎますが、出入り口で「脚下照顧」と書かれた貼り紙がよく見られ、思わず足元を確かめてしまいます。しかし、「脚下照顧」は履物だけの問題にとどまるものではありません。ここからは「脚下照顧」の意味や由来、使い方が分かる例文、類語も紹介していきます。

「脚下照顧」の意味とは?

「脚下照顧」の意味①我が身を振り返れ

「脚下照顧」の意味は、“我が身を振り返れ”です。読み方は「きゃっかしょうこ」です。脚下とは足元のことを、照顧とは照らし顧みる、つまり行いを反省して顧みることを意味しており、自分自身をしっかりと顧みなさいということをいっている言葉です。

なお「脚下照顧」は、曹洞宗の開祖である道元禅師が開いた永平寺の玄関に掲げられた貼り紙にある言葉としても、よく知られています。

「脚下照顧」の意味②履物をそろえなさい

「脚下照顧」の意味は、“履物をそろえなさい”です。禅宗に限らずお寺の玄関やお手洗いなどに掲げられていることが多くあります。いずれも履物を脱いだり履き替えたりする場所で、「足元を見なさい」というということから「履物をそろえなさい」という標語のように用いられているのです。

お寺は仏像が祀られた神聖な場所であると同時に、お坊さんたちが修行を行うところでもあります。常に掃除や整頓が行き届いた美しい状態を保つことは、修行のひとつです。

「脚下照顧」の由来とは?

「脚下照顧」の由来は禅の極意

「脚下照顧」はもともと仏教用語で、禅の極意を表した言葉が由来です。鎌倉時代の禅僧である孤峰覚明(こほう かくみょう)が、弟子のひとりに禅の極意を尋ねられた際に答えた、「脚下を照顧せよ」という言葉が元になっています。

悟りとは他に求めるものではなく、自分自身を見つめ直すことで得られるものだという教えを端的に表しており、「脚下照顧」は「脚下を照顧せよ」を漢文的に読んだ言葉です。

「脚下照顧」につながる”履物を揃える行為”

「脚下照顧」は、履物をそろえることを奨励するための標語にとどまるものではありません。しかし、履物の脱ぎ方にその人の精神状態が表れることから、脱いだ履物に心を留めて整える行為やそのものが、自分の心を見つめる修行につながっています。

また履物をそろえる度に、足元をおろそかかにしてはいけないという自戒にもつながります。つまり、履物の脱ぎ方など取るに足らないことだと軽視しているようでは、大いなる悟りに至ることはできないということです。

「脚下照顧」の使い方とは?

「脚下照顧」を使った例文

「脚下照顧」の使い方が分かる例文を紹介します。

  • 周りのことばかり気にしていると足元がおろそかになる。脚下照顧で自分の行いを振り返ろう。
  • あのコメンテーターは一度脚下照顧して、自分が人のことをいえた義理ではないことに気付くべきだろう。
  • 彼の偉業は、日々のルーティンを淡々とこなす脚下照顧の心掛けによって成し得たものだ。

「脚下照顧」の類語とは?

「看脚下」は「脚下照顧」の言い替え

「看脚下」は、「かんきゃっか」と読みます。脚下を看よということを表していて、「脚下照顧」を言い替えた言葉です。

「看」にはただ見るのではなく注意してみるという意味があり、自分の立脚点を見失わないように気をつけることや、足元をおろそかにせず一歩ずつ進んでいくという精進の心掛けを忘れないために有効な言葉です。

「自問自答」は自分に問い掛けること

「自問自答」は自分に問い掛け自分で答えることを指す言葉で、「脚下照顧」の類語です。永平寺を開いた道元禅師は、仏道を習うことは自己を習うことであるという意味の言葉を残しています。

つまり、自らの行いを見れば自分の心のあり方が分かり、修行がどこまで進んでいるかも分かるということで、自分自身に問いかけて答えを見つけることが仏道修行であると教えています。自分のあり方を自ら問うことにより自己を究明することが、「自問自答」です。

「灯台下暗し」は足元が見えないこと

「灯台下暗し」は、身近なことはかえって気づきにくいものであるいう意味です。この場合の灯台は海を照らす灯台ではなく、灯明台のことを指しています。

灯明台とは台の上に皿に菜種油を入れたものを置き、火を灯して用いた照明器具です。灯明台の周囲は明るく照らされているが、足元は油を入れた皿の陰になるため暗くなっていることから、遠くのことはよく見えるが身近なことはかえって分かりづらいということを表します。

つまり「灯台下暗し」は、灯明台の足元はよく見えないということを指摘することによって足元への注意を喚起しており、自らの足元をよく見なさいという「脚下照顧」につながっている言葉です。

まとめ

「脚下照顧」の意味のほか由来・類語を解説し、使い方が分かる例文も紹介しました。物事が思うように進まないときに、その原因を自分以外の要因に求めてしまうことはよくあります。しかしそんなときにこそ、一度立ち止まって自らを顧みることが必要です。

反対にうまく行っているときには、勢い余って足元をすくわれかねません。「脚下照顧」の精神を忘れないことで、地に足がついた進歩を着実に続けることができます。